短編置き場


最初の日(739)

 カウントが増えていく。十五年を八分に凝縮した速度。それに比例して、流星は地に落ちず空へと返っていった。

 忘れたい『あの日』から一月にも満たない間に、俺の立ち位置は変動し続けた。その所為であんな妙な夢を見たのだろう。
 ナナシは話すだけ話して、いつの間にか去っていった。あれから姿も見かけない。
 俺といえば自分にも警察にも納得出来ないままに職務を続け、一週間後には相棒を死なせてしまった。その事件から芋づる式にワイロのことが明るみになり、謹慎を食らって、それからの日々は浴びるほど酒と女を買うだけの、まるで動く死体のような生活だった。
 
 それから――、それから、俺はどうした。
 重い瞼を持ち上げると、また虎の背が、鉢植えの前にしゃがみこんでいた。

「お巡りさんはさ、白でも黒でもいいから、さっさとどっちかに染まっちゃえばいいんだ」

 俺は床に横になっている。いつからそうしていたのだろうか。クーラーもついていない部屋は、いくらカーテンを閉め切っていたとしても酷い暑さだ。

「半端に信念とか正義感持ってるっつうのはよォ、『善』側なんかに向いてねえんだ。どっちかっていうと……悪の中の正義とかのほうが似合ってる」

 頬を、汗が伝った。
 ああ夏か、と今更ながら実感する。ただ今日が何日なのかは、はっきりと思い出せない。記憶に靄がかかっているようだ。

「悪とか善とか正義ってのは便宜上だぜ? 吸血鬼は『悪』で人間は『善』とかさ。そういう括り」

 ナナシはそこまで言って、崩れた前髪を掻き回した。どうしてまた、こいつがいるんだ。
 『あの日』以来会うことのなかったナナシは、俺の現状にはとくに興味がないらしい。別に心配してもらいたいだなんて女のようなことを言うつもりはなかったし、顔も見たくないと思っていた割には、もう腹も立たなかった。
 ただ暇潰しなら他を当たればいい。そうとだけ、思う。
 軋む体を起こして、無防備な背中に足の裏をぶつける。足を上げた弾みか、背骨に痛みを感じた。固い床で寝ていたのだから、どこもかしこもきしきしと痛むしょうがないことのように思えた。

「あと『組織』とか……でっかいのには属さない方がいいんじゃあねえの。頭が多いと、ブレるから。そういうの融通効かなそう。たった一人、信頼出来る人とか、作れればいいな」

「さすが耳が早いな。いや、遅いのか」

 そうだ。俺は少年と呼んでも過言じゃあない年若い男に連れられ、『あいつ』と出会った。今まで見た誰よりも美しい瞳。悲しみと強さに洗われた濃褐色をしたそれで俺の真っ直ぐと見つめ、そいつは笑みを浮かべるわけでも、バカ丁寧な低姿勢でも――むしろ高圧的な態度だった――ない、ただただ自然体のまま、俺の前に立った。

「それが――だったらいいけど」

 ブローノ・ブチャラティ。俺が待っていたのはこれだったのだと、柄にもなく心臓が跳ねた。

「……なにか、言ったか? 悪い、聞き取れなかった」

 気分が、静かに高揚しはじめる。
 その所為でナナシの思いつめたような言葉を聞き損なってしまった。どうせまたよく理解らないことを言っていたのだろう。一々聞いてやる義理もない。
 そんなことより。
 思い出してしまえば、居ても立ってもいられない気分だった。

「アホか」

 呆れたような嘆息も、俺にはそよ風のように感じられる。

「警戒心強そうな顔して、さ」

 立ち上がったナナシの視線は、ソファ横の棚にのったライター。
 赤い火が、強く燃えている。 

「消しちまったけど、まあ普通に着いたから大丈夫だろ。しっかし、俺はなんで倒れてたんだろうな」

 あと一二時間。時計に目をやると、自然と口が緩んだ。

「お巡りさん。寝てると、可愛いな」 

「いまの顔が気持ち悪いとでも言いたいのか。それにもうお巡りじゃあ……まあいい。ナナシ、オメーの言ってる『信頼』っつーのはわからねえけどよお」

 俺は、この試験に合格してギャングになる。

「『確信』は、あるぜ」
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