短編置き場


Joseph・Joestar

 オレはその年上の友人が大好きだった。
 とある月の晩、いつものように部屋を抜け出した俺が出会った、黒い髪の男。優しいそいつは、いつだってどこか寂しそうな紫の目をしていた。

「ナマエ、こないだの続き教えてくれよォ! オレったらもうここまで出来るようになったんだぜ!」

 彼はいつも裏通りのバーの前に立って、オレを待っていた。走り寄るとほんの僅かにだけれど、嬉しそうな顔――だと思う。口数と同じくらい表情の変化が乏しい男だったのだ――をした。
 ナマエはオレが10話すとしたら1しか口を聞かない寡黙な人間だったけれど、その知識はオレの知る誰よりも豊富だった。
 そう広くない店の一番奥のカウンターの二つに居座って、ヘリの運転の仕方やラテン語の読み方から、拳銃の整備の仕方、カクテルの名前やラタトゥイユの作り方まで、10歳になったばかりのオレに、彼は丁寧にそれらを教えてくれた。
目が見えないのだと一度だけ言っていたが、彼の動作はとても洗練されていて、オレが憧れるには十分すぎる存在だった。

「ジョセフは、敏い子だな」
「だろ! へへ……それにしても、ナマエは何でも知ってンな! どこで勉強したんだ?」

 けれどそうやって過去を尋ねるオレに、ナマエは毎回、困ったように口角を片方上げるだけだった。その笑顔とも呼べない表情に、オレはそれ以上追求する言葉をさがせなくなってしまう。

「……オレ、あんたのこと全然知らねえな」

 唇を尖らせて拗ねて見せれば、ナマエはマスターに軽く目配せをする。すると無言のまま、ロックグラスがオレの前に置かれる。リキュールとカルーア抜きのカルーアミルクだ。
 すぐ子ども扱いする。そうやって駄々をこねると、ナマエは光を拒むように目を細めてオレの背中を叩いた。
 父親というものを知らないオレにとって、ナマエはそういった大きな存在で、ヒーローで、夜のこの時間が毎日のスペシャルだった。

「ナマエ!」

 でも――そんな特別な夜が終わるのは、突然はじまったのと同じように突然のことだった。



「愛しい子、はなしをしよう」



 それは長い昔話。誰も語らなかった、一人の"男"の話。
 
「こうして、俺はディオの配下になった。そして、たくさんの人間を――殺した」

 淡々と感情を込めることなく――いや、一度だけ声を荒げたの以外、彼は恐ろしく冷静にその話を告げて、締めくくった。
 紫の瞳が、オレを捉える。

「あんたは、誰だ……!」

 体温を奪うような異形の瞳に、息が止まった。
 知らない、こんなやつ。こんな冷たい目をした化け物を、オレは知らなかった。背中を氷の虫が這い回るような悪寒に、吐き気がこみ上げてきた。後退ると、冷たい路地裏の壁にぶつかる。

「私は、吸血鬼だ。正しくは半分だけ、だけれど」

 はじめて見た彼の笑顔は、美しく空虚だった。

「ジョセフ。お前は、私が殺したあの男に、よく似ている」

 そんな風に吸血鬼と名乗る年上の友人は、かなしそうに笑った。

「――似てる、ってなんだよ! オレはそんなやつの顔なんか見たこともない! 知ったこっちゃねえ! オレはオレだ! オレは、オレは……ジョセフ・ジョースターだ!!」

 オレはその目をきつく睨みつけ、声を張り上げる。
 ナマエは、ゆるゆると顔を伏せる。

 かなしかった。いつだってかなしかった。
 スピードワゴンのじいちゃんも、エリナばあちゃんも、オレと"ジョナサン"を比較したりしたことは一度だってない。ただ少しだけ、懐かしそうに、愛おしむように――そうやって、かなしそうな笑みを浮かべるだけ。

「そんな話をオレに聞かせてどうするつもりだ!? 聞いたのはオレだ、でもあんたは言わなくったってよかった! いくらでもはぐらかせただろ!? なんで……オレが、憎かったのか……?」

 それがどうしようもなく、かなしかった。
 オレは蓄積されていた感情を爆発させるように叫び続ける。吸血鬼はなにも言わない。それにますます、頭に血がのぼってきた。

「憎かったんだろ、あんた! その"ジョナサン"のことが憎くてたまらなかったんだろ!?」

 かなしかった。怒りよりも、涙もでないくらいかなしかった。過ごしてきた時間が全て嘘だと言われるようで。オレが"ジョースター"だから、そばにいてくれたとでも言うようで。

「……オレのことも、殺すのか?」

 俯いていた顔があげられる。もう一度、大好きだったあの紫の瞳が、まっすぐにオレを見た。
 それは、絶望はこんな色をしているんだろうなと思わせる、澄み渡るほどに醜い色だ。

「なぜ」

 吐き出された言葉が重なる。なぜ、オレの目の前に現れた。なぜ、オレにこんな話をした。なぜ、なぜ、なんでだよ!

「なあ! なんでだよ、ナマエ!」
「なぜ、私がお前を殺さなくてはならない」
「質問に答えろ!」

 口がつぐまれた。オレは肩で息をしながら、それでもナマエから目を離さない。
 耐え難い沈黙が夜を覆った。それは世界なんて壊れてしまえばいいと、本気で思うような時間だった。
 すぅと、小さな呼吸音が静寂を破り、

「……私は、ジョセフ、お前に……殺してもらいたかった」

 お前の、その手で。まるで神に乞うような、真摯な声でナマエはそう言った。

 瞳からは堪え切れない涙が溢れ出る。痛くてたまらない。彼の感情が、オレの悲しみが、心臓に突き立てられている。痛い。痛い。痛い。

「もう……不可能になってしまったがな」

 それは、なぜ。
 失望か、諦めか、それとも――。

「……父さんも……あんたが、殺したのか?」
「止めることが、出来なかった。……俺は、なに一つ運命に打ち勝てない」

 拳をナマエの頬に叩きつけた。骨のずれる鈍い音。触れ合った部分が燃えるように熱かった。

「消えろ。今すぐオレの前から。今すぐにだ」

 ナマエはゆらりと一旦体をふったかと思うと、迷いなく通りへと足を向けた。見なくてもわかる。あいつは、一度も振り返らない。二度と、振り返らない。
 壁に沿って、オレの体は地面に崩れ落ちた。

「頼むよ……消えてくれ……ッ!」

 目を閉じても、手で覆っても、どれだけ忘れようとしても、あの笑顔が消えない。何を忘れても、それだけは、どうしても忘れられなかった。


 再会はそれから十年程度、もう思い出すこともほとんどなくなった頃。思い返しては、あれは悪い夢だったんじゃあないかと思うほど、長い時間が経った頃だ。

「話しただろ? オレが世界を救った時だ」

 小さな手を握って、オレは目を閉じた。記憶を遡れば遡れるほど腹が立って、あの時オレは間違ってしまったのだと後悔をする。いつまでも、悔やみ続ける。

 仕切りなおすように息を吐いて、小さな頭に語りかけた。
 最後の最後、火山の中の飛行機の中、さすがのオレも死んだな、って思ったわけよ。"あいつら"と違って皮膚を蟹みてえにするなんて出来なかったから。
 そう思うと急に時間がゆっくり進むような気がしてさ、火口におちるまで、お前の好きなアリスみたいな気分だったんだ。でも落ちていた体が、急に横から突き飛ばされた。
 そこからはもう急展開!アリスなんてもんじゃあねえよ。インディージョーンズだってあんなに時の速さを実感したことはないはずだぜ。
 オレは一秒を更にちっちゃくちっちゃくした時間かけてその突き飛ばしたやつを見たんだ。その時、妙な確信があったんだよ。

愛しい友よ

 そいつの声は届かなかったけど、なんて言ってるかは分かった。

幸せに

 自分勝手なやつだろ。二度と会いたくねえって言ったのに、ずっと、ずっと見てたんだよ。いや、わかんねえ。もしかしたらピンチを察知して飛んできたのかもな。なにせ、

「――ッナマエーーーーーーっ!!!」

 吸血鬼だし。
 その時オレは、なんて幸せそうに、命を投げ打つんだろうってノンキに思いながら、


「そうやって叫んだよ。もう柱の男にやられた傷なんて目じゃあないくらい、喉が裂けて」

 愛娘を膝に乗せて、オレもまた昔話をする。
 怖いからやめて、という制止がこないことを――平和を愛する優しい子は、少しでもバイオレンスな話をすると嫌がるのだ。――不思議がりながら顔をのぞきこむと、ホリィの緑の目にはいっぱいの涙がたまっていて、それでも零すまいと唇をきつく結んでいた。

「……ホリィ」
「かなしい……お話ね。とても、とてもかなしい話だわ」

 しかし、言葉をつむぐと同時に、大粒の宝石のような涙がぽろりと落ちる。後から後へとそれは流れ続ける。あの日あいつが泣けなかった分も、ホリィは泣いている。

「それに、とってもさびしいお話だわ」

 泣き続けるホリィを強く抱きしめて、オレは折れてしまいそうに華奢な肩に額を押し当てた。子どもの体は温かい。とても温かい。
 キッチンで晩飯を作るスージーQからも、鼻をかむ音が聞こえる。
 
「ねぇ、パパ……私、ナマエに、会ってみたかったわ。会ったらいっぱいハグをして、パパがしてくれるみたいに頭を撫でて、暖かいところで、たくさん……たくさん話をするの。ちいさい時のパパの話を聞いて、それでね、私はちょっとだけおもしろくない、って顔をするの。だってそうでしょう? 私はその頃のパパを知らないわ。やけちゃうわ。それでね、そうしたらね、きっと、きっとナマエは、ミルクをグラスに注いでくれるの。パパがすねた時みたいにね。ねぇパパ、そう思わない?」

 顔をぐしゃぐしゃにしながら、オレのお姫様は花のように笑った。
 
「そう、だな……オレも、そう――」

 そっと涙を拭ってやると、緑の瞳がオレの顔をはっきりと映す。いつだって澄んだホリィの目は、涙で洗われてもっと透明度を増し、すべてを見透かされそうな色をしていた。

「パパは、ナマエにあいたい?」
「……ああ」

 会いたいなあ、ナマエ。
 不覚にも目の奥が熱くなった。しかし、外から飼ったばかりの犬のけたたましい鳴き声でそれも引っ込んでいく。

「なんだなんだァ? 泥棒かァ?」

 カーテンを開けて庭に出れば、最後に見た彼と何一つ変わらない姿で――ナマエが犬にコートを引っ張られていた。

「ハァッ!?」

 なんてふざけた光景だ!
 けれどオレが拳を固めるよりもはやく、小さな影がナマエに飛びつく。不審者は目を丸くして、ホリィに視線を下ろした。

「さびしかったわよね」

 震える、小さな声。

「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私、あなたのことを知らなかった、ずっと、ずっと見守ってくれていたのに……!」
「どうして、お前が謝るんだ?」

 ナマエは困惑に眉をひそめ、どうすればいいのかわからないまま、不格好に両手を上げている。

「だって、私……きっと気付いていたわ。神様よりも、ずっと近くで、パパとママがいない時も……あなたが、傍にいてくれたこと……」
「ホリィ、おいで」

 オレも庭に下りて、ナマエにしがみつく娘を抱き上げる。もう泣き止んでいたけれど、鼻と目は可哀想なほどに真っ赤だ。
 軽く頭を撫でてから、目を吸血鬼に向ける。

「ジョセフ、すまない……私は……ッ!」

 恐怖に似たものを顔に浮かべて、じりじりと後退るナマエ。あの日と反対だ。
 今なら分かる。あの日のオレは、こいつを失うことを怖がっていた。

「いいから……寒いだろ。入れよ。ホリィが風邪引いちまう」

 軽く顎をしゃくって、リビングを示す。言葉は、思うより容易に口から出てきた。

「……私が、憎くないのか?」
「……ああ、憎いよ。勝手に話すだけ話して自分だけ楽になっちまいやがってよぉ〜」

 そんなことはあり得ないと知っている。ナマエは弱いから、いつまでも自分の犯した罪が許せなくて、痛んで仕方ないんだろう。ずっと自分を攻め続けて、楽になんて、それこそ死んだってなれない。

「で命の恩人なんて大層なもんになっていつまでもオレのことを悩ませて、しかも生きてるだと!? 早く会いに来いよ! それがこそこそ覗いてたって……ヘンタイじゃあねぇか! しかもオレの可愛い可愛いホリィまで泣かせやがって、ふざけんじゃあねーぞ!」
 
 そんな大馬鹿野郎だって、知っているから、知っているのは、きっとオレだけだから。

「でも……オレは今幸せだから、すごく幸せだから……」

 オレくらいは、オレたちくらいだけは、こいつの幸せを願っても許されるはずだ。

「あんたはもう、あんたを許してやってよ。憎むのは、オレがやっといてやるから」

 なあ、じいちゃん。顔も見たことないじいちゃん。あんただって、きっとそうした。そうだろ?
 だってやっぱりこいつはオレの友達で、大切な人なんだよ。

「ジョセフ」

 信じられない、とナマエは目を剥いた。しばらく合わないうちに随分と感情を隠すのが下手になったなと気付く。年だろうか。そう思うと堪らなくなって、オレはホリィを回した腕を反対の手で、バシバシとナマエの肩を叩く。

「なんだよ、神妙な声だして。笑え! 幸せなら、なっ、ナマエ!」

 にかっと笑いかければ、今度こそ間違いなく、ナマエは喜びに瞳を歪めた。

「ジョセフ……私はお前を、抱きしめてもいいんだろうか」
「……好きにしろよ!」

 どうしようもなく馬鹿で、愛しい吸血鬼は、今もオレ達を見守ってくれている。
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