18 魔王と僕。


よし、お前は今日から救世主だ。と言われて、あれよあれよという間にこの森に送り出されてから半日ほど。
宛てもなく森の中を彷徨いていれば見えた、如何にもそれらしい古い屋敷。
噂では、此処に魔王が住んでいるらしい。
そもそも、今日から救世主ってどういう事なん。
救世主って、何かを救ったとか守ったとか、結果が出てからそう言われるんとちゃうん?
そして何より、俺の意見は聞いてもらえへんのやろうか?
疑問は次から次へと止まないが、ここまで来てしまったら、もうどうしようもない。
俺は諦めて、薄暗い屋敷の中へと足を踏み入れた。



☆/☆/☆/☆/☆




「え、君が魔王?」
「ああ。私が魔王だ」



魔王を探していた俺の目の前に最初に現れたのは、俺とそう年の変わらない女の子だった。
どうして女の子が、とも思ったが、よくよく考えれば、普通の人間がこんな場所に居る筈もない。
暗いながらも目を凝らしてよく見れば、彼女の耳は自分のそれに比べて少しばかり尖っているし、人間にはない 大きな角まである。
何より、身に纏っているものの隙間から僅かに見える手は、人間のそれとは大きく異なっていた。
彼女は、人間ではない。
しかし不思議と、俺を喰おうとしているようには感じない。
悪魔は皆、人間を喰らおうとするものだと思っていたが、そうでもないのだろうか。

そんな少女相手に、魔王の居所を問えば、彼女は自分が魔王だという。
世の中、不思議な事もあったものだ。
一匹の悪魔と出会うことなく、魔王と対峙してしまった。
経験値上げとか全然出来とらんし。
どないしよ。

それにしても、こんな女の子が、



「魔王って…厳ついオッサンみたいなん、想像しとったんやけど」
「それは失礼した。期待に添えなくて」
「拍子抜けっちゅうか、なんちゅうか…」
「代わりに、お前に殺されてやろうか?」
「………え?」



彼女は何と言っただろうか。
俺の聞き間違いでなければ、殺されてやろう、と?



「私を倒しに来たのだろう?お前が持っているその聖剣なら、殺せる」
「………この剣、なら?」
「それは特別だ。魔王である私の治癒力を上回る力を持っている。この距離からでも、それが我々魔族にとって脅威である事は分かる」



どういうつもりなのか。
自分の弱点をペラペラと喋った上、『殺せ』だなんて。
残念ながら、前職が勇者でも兵士でも戦士でも格闘家でもない平民の俺は、殺気なんてものにはとんと縁がなく育ってきた。
ただ、人の顔色を伺う事には、少し自信がある。
たぶんこの子は、嘘を吐いてはいないし、本当に殺されてもいいと思っているように感じた。



「君、仲間は?」



仲間がいて、今も影から隙を窺っている、なんて事は思っていない。
この子には、仲間なんていない…ような気がした。
別に、彼女の性格に問題があると言っている訳じゃない。
出会って数分で相手の性格なんて分かるはずもないし。
ただ、仲間が居るなら、殺されてもいいなんて思わないんじゃないかと、そう思っただけ。



「そんなものは、ない。気の小さい小鬼は一匹、世話係として傍に置いているが、あれ以外にここを訪れる者はない。蜘蛛の一匹すら、十数年ほど見ていないな」



俺の質問に対して彼女は僅かに目を瞠り、小さく息を吐いた。
そして帰ってきたのは、想像していたものと大して変わらない答え。
ただ、答える彼女の声に寂しさのようなものは感じず、彼女にとって 独りである事は、然も当たり前の事なのだと思った。



「ちょお待ち」
「……なんだ」
「誰も?誰も来てへんの?」
「そうだが…?」



おかしい。
それは、おかしいのだ。



「ほな、俺の前に来た、勇者や救世主は……?」
「………此処には来ていない。最後に勇者が来たのは、数十年も前の話だ」



俺の前にも、勇者や救世主は送られた。
ここ数年、村人が被害を受けてからというもの、何人もの勇者や救世主が、魔王の元へと送られ続けていたのだ。
けれど、誰一人として帰ってきたものは居らず、村では皆、魔王に喰われたのだと言われている。

しかし、どうだ。
魔王だという目の前の少女は、そんな勇者や救世主には会ってすらいないと言う。
彼女が嘘を吐いている可能性は皆無ではないが、この状況で彼女がそんな嘘を吐く理由が分からない。
俺に隙を作るため?
有り得ない。
だって今の俺は、魔王を目前にして剣を構えないほど、これまでの勇者、救世主の中で、最も隙を見せているだろう事を自覚しているから。

彼女の言葉が真実だというならば、考えられる事は二つ。

他の勇者や救世主は、此処に来るまで道のりで、逃げ出したか。
それとも、悪魔に喰われたか、だ。



「救世主。お前はどうしたい?」
「どうって…」
「お前が望めば、私はそれを叶えてやろう。何を望む、救世主」
「………タダでっちゅー訳やないんやろ?」
「無論、契約するなら対価は払って貰う」



俺は確かに、魔王討伐のためにこの森へ送られた。
しかし、これまでの被害に魔王の関与はなく、他の悪魔によるものだというなら、俺が倒すべきは目の前の少女ではなく、今も森の中に潜んでいる悪魔どもではないのか。
彼女は、それをどうにかしてくれると言う。
俺が望めば、叶えてくれると言う。
それに伴って俺が払うべき対価の方も気になるが、それよりも気になることがある。
彼女は、何故 そんな面倒臭そうな事を自らかって出ようというのか。



「お前に興味が出た」
「…え?」
「無傷で此処まで来た事といい、これだけ近づいても私の魔力にあてられぬ事といい……今まで見た人間とは少し違うようだ」



そういった彼女は、ほんの少しだけ嬉しそうな顔をしているような気がした。
最初からずっと無表情で、何も感じ取れなかった彼女だが、俺はこの時やっと、この子も生きているんだとなんの脈絡もない事を思った。
それくらい、彼女は生というものを感じさせなかったのだ。



「……村人達には、この森に近付かないようにとだけ忠告しておけ。私が関わっていない事は、伝えなくていい」
「伝えなくていいって…」
「悪魔共の事は、私に任せておけ。少し時間は掛かるだろうが、どうにかしてやる」
「……対価は?」



どうやら、悪魔退治をしてくれるらしい彼女だが、先程言っていた対価はどうなるのだろう。
対価は俺の命、なんて言われたら流石に尻込みしてしまう。
いくら村の為とはいえ、命を懸けられる程、俺は出来た救世主ではない。
何しろ、自ら救世主に志願した訳ではないのだから。
次に彼女の口から発せられるであろう言葉を、緊張しながら待つ。



「必要ない。お前が望む前に、私が勝手に言い出した事だ。これは契約ではない」
「え、…ええんか…?」
「ああ。ただし、悪魔にとって契約は絶対だが、これは違う。私を信用するかは、お前次第だ」



つまりこれは、彼女の気まぐれ、という事だろうか。
彼女が途中で投げ出す可能性がゼロではないと言いたいのだろうが、生憎俺は彼女を信用している。
会って数分の魔王を信用するなんて、あえり得ない事だとは思うが、それでも彼女なら大丈夫だという、根拠のない自信があった。
うん。彼女に任せよう。



「分かった。ほな、頼むわ」
「……いいのか?」
「ええよ。で、全部終わったら、お礼はする」
「…必要ない。私が勝手に言い出した事だと、さっきも言っただろう」
「ほな、これも俺が勝手に言い出した事やな」
「……好きにしろ」



その後、帰路は眷族の魔物に送らせると言い出した魔王。
彼女が何処からともなく呼び出した 狼のような外見の魔物は、彼女曰く、人の言語は話せないが知能は高いらしい。
一度は断った俺だが、悪魔に襲われても面倒だと思い、好意に甘えることにした。
結局のところ、魔王を含めここまで一切 戦って来なかった俺は、どうしたって史上最弱の救世主として1,2を争う非力さなのだろうし、得体の知れない悪魔に殺されるよりは、取り敢えず襲う気がなさそうな 賢い狼の方と村に帰る方が安全だと思うのだ。



「また会おう、救世主殿」



そう言って魔王は、俺に背を向け 暗闇の奥へと消えていったのだった。

気付けば、薄暗い部屋には 人間が一人と、魔物が一匹。
取り残された俺たちは、訳もなく見つめ合う。
ぐぅぅ。
嗚呼、腹が減ったな。
……帰ろう、家で弟が待っている。