15 狂気こそが最大の凶器である。


※物騒。


なまえに想いを告げてから、9日目。
明日でとうとう10日になるが、あれ以来、それとなくなまえに避けられている気がしてならない。
露骨に避けられることはなくとも、長時間、俺と一緒にいる事は避けたがっているのが分かる。
もっと傍に居たくて、近づいたはずなのに。
これは、彼女の忠告を蔑ろにした罰なのだろうか。

彼女が言った『ずっと昔に、愛した相手』とは、どんな人間なのだろう。
なぜ自分は、その相手よりも早く、彼女に出会うことが出来なかったのだろう。
彼女はなぜ、あんなにも悲しそうな顔をしていたのだろう。
どれだけ一人で考えても、出るはずのない答えを探す俺は、今まさに女の子から告白されていた。



「ずっと、白石くんの事が好きだったの」



それが、なまえの口から出た言葉なら、どれだけ喜んだことか。
女子から告白されるのは、初めてではない。
嫌味でも自慢でもなく、事実であり悩みの種だ。
好きな子以外にモテても仕方がない。
何を漫画みたいな事を、と思うかもしれないが、彼女たちからの好意を有り難いと思う一方で、他人事のように感じている事もまた事実。



「悪いけど、好きな子がおるんや」


せやから、君とは付き合えん。


目の前の女の子には悪いと思ったが、彼女の目を見て話すことは出来なかった。
今のこの状況が、なまえに対してとても後ろめたいもののように感じてしまったから。
別に悪いことしとる訳やないんやけど。

そんな俺の返事を聞いた彼女は驚いた風もなく、静かに口を開いた。



「それは、あの女?」
「……報われんのは、わかっとるんやけど、な」



どうやら、彼女には予想出来ていたらしい。
俺の答えも、その理由も。
けれど俺は、『あの女』に肯定はしない。
それがなまえだとは限らんし、仮になまえの事やったとしたら、尚の事。
今のこの状況で、なまえを巻き込めば、彼女はもっと遠くへ行ってしまうだろうから。



「…………して……っ!」
「?」



しばらく待ってもそこを離れる気配のない女子に、いい加減帰ってもいいかと問いたくなる。
彼女の告白を受ける気もないのだから、これ以上此処にいても、俺にしてやれることはない。
そんな女子は、俯いたまま小さく何かを呟いた。
もしや、泣かせてしまったかとも思ったが、そうでもない気がする。
どうにも切羽詰まったような、思いつめたような呟きに聞こえたから。
なんだかいつものパターンとは違うように感じた。
少しばかり嫌な予感もする。

がばっと勢いよく顔を上げた彼女は、怒りと悲痛とも取れる表情で歪んでいた。



「どうしてっ!どうして、あの女なの!?私ならっ!私なら、貴方を幸せにしてあげられるのにっ!!」
「…え?」



金切り声で叫ぶ女子にああ。またか。なんて思いながら、この無駄な時間が早く終わる事を切に願う。
告白を断られたことでヒステリックに陥るなんてのは、彼女のように見た目に少しばかり自信がありそうな女子にはよくあることで。
今までにも何度か、そんな女子に遭遇した事がある。
今回も、暫くすれば落ち着くだろうと傍観を決めた。
けれど、女子の手元が視界の端でキラリと光ったことで、俺の思考は一旦停止する。
いま、なにが、ひかった?



「貴方は、私を選ぶべきなのよ。あんな悪魔より、私を選んで。そうすれば、貴方も私も幸せになれるわ。二人で幸せになりましょう。それでも貴方が、不幸になる事を選ぶと言うなら、私が終わりにしてあげる。安心して。貴方を一人になんてしないわ。私が傍にいてあげるか、らっ!」
「っ!」



ああ、イカれとる。
あの女が持っているのは、ナイフだ。
学生が持ち歩いてもおかしくない様なカッターナイフではなく、折り畳み式のナイフ。
女は、そういう目的であのナイフを持ち歩き、俺に近づいたんだろう。
まったく、世の中くさっとる。

真っ直ぐ向かってくる刃物の先端に、頭では逃げなければと分かっているのに、その為にどうすればいいのか、体が動かない。
俺の神経はどうやらパニックを起こしているようだ。
人間、初めて体験するものにはある程度の猶予が欲しいものである。
うだうだと余計なことばかり浮かんでくる思考を無理やり避けて、目の前の状況に集中するよう試みる。
………駄目だ。
結局、体が動かない。
まるで、金縛りに遭ったみたいだ。

そんな阿呆な俺の視界を綺麗な黒が過ぎった。
それは、俺が愛して止まない、儚く懐かしい黒だった。
……懐かしい?



「……やはり、こうなってしまうのか。いい加減にしてくれ」



俺と女の間に出来た小さな壁は、心底うんざりしたように呟く。
9日ぶりだ。
彼女がこんなにも近くに居るのは。
我ながらこの状況で随分と暢気なことを考えているとは思うが、どうやら先程のパニックで、俺の思考と体、それから心は物の見事に分断されてしまったらしい。



「……なまえ…?」
「蔵ノ介。私は、君を傷つけてばかりだ。ただ、守りたかっただけなのに」


どうしたって、あの約束を守れない。


そう言ったなまえの顔は、俺に背を向けているから見えないけれど、9日前と同じ泣きそうな顔をしているのだろう。
彼女の声は、悲しみと後悔に塗れたようなそれだった。



「……人の体は、脆いな」


どうやら、今回は此処までらしい。


なまえの声が脳内で嫌に響く。
ここまでってなんや。
まるで、



「…血…‥?」
「君の記憶はきっとまた、次になればリセットされてしまう。そうなれば、私のことも、また忘れるよ」



俺は、なんちゅー阿呆なんやろう。
なまえは、俺を庇うために飛び出した。
そんな彼女が無傷な筈がないというのに。



「だから、どうか生きていて。私が愛した救世主」



また、だ。
また君は、俺の知らない誰かと俺を重ねるのか。
俺は、世界どころか、唯一人愛しい人すら救えていないのに。
俺の何が『救世主』だ。


崩れゆく小さな背中を、ただただ見つめることしかできない俺の顔は、ひどく歪んでいることだろう。
だって、こんなにも胸が軋んだ音を立てるのだから。