【8】ブリキの心臓


狡噛くんがやって来た日の夜、彼は再び出て行ってしまった。
槙島という男を追って。
槙島という男を殺すために。

恐らくこれで、雑賀先生の犯罪係数は上がってしまっただろう。
きっと、私も。
それでも構わなかった。
これは全て、私が望んだこと。
私が望んで、先生の傍を離れなかった。



「なまえ」
「なんでしょう、雑賀先生」



この広い家に たった二人きり。
いつもどおりの筈なのに、それは私をひどく不安にさせた。
然程 大きくもない先生と私の声が、厭に響く感覚がする。
室内に、家中に。鼓膜に、骨に、内臓に。



「後悔は、していないか」



先生の声は、まるで毒のように 静かに私の体を巡り、鉄が酸化するようにゆっくりと私の体の自由を奪う。
それは、何より心地よく、甘美で艶やかな猛毒。
私の心は とうの昔に、自身で何かを考える能力を失っていた。
だから 私の答えは、決して変わることがない。



「先生と同じです」



きっと先生は、狡噛くんを手伝ったことを、後悔などしていない。
ただ、私を巻き込んでしまったことだけが気がかりなのだろう。
私は、巻き込まれたつもりなんてないし、むしろ自分から喜んで首を突っ込んだというのに。



「久しぶりに、あんなに楽しそうな先生を見られましたから」



彼は、狡噛慎也は、先生や私にとって必要な人間だった。
先生と彼は傍から見れば、親子のようであり、私にとっての彼は、弟のようでもあった。
狡噛くんと関わったことを後悔することなんて、後にも先にもないのだろう。
そして、狡噛くんが選んだ道を責めることもまた、ない。
譬え、それに関わった先生と私が 離れ離れになるとしても。



「後悔はありませんよ」



貴方といた人生に 後悔がないように、終わりにもまた。

すっかり錆び付き 考えることを辞めてしまったこの心は、それでも貴方と共にあることを望んでいるのです。