※ちょっと、グロい。流血。
※病んでます。



彼は、優しかった。
誰にでも、平等に。
私だけではなく、誰にでも。
否、私にだけは、少し違った。

彼は、怖かった。
私にだけ、猟奇的に。
万人に対してではなく、私にだけ。
そう、他の人間には、絶対にしないような事でも、私相手なら、平気でやってのけるのだ。

そんな彼だから、私達の周りの人間には、それこそ彼と寝食を共にするあの男にすら、彼への恐怖を訴えたところで、決して聞き入れては貰えないのだろうと思う。
何しろ私は、彼へ恐怖を抱いてから今日まで、そんな事をした過去は、一度もない。
何故かって?
それは、彼が怖いからに他ならない。

彼、善法寺伊作は普通じゃない。



「僕は、異常だね」



彼が唐突に、そんな事を言った。
急にどうした。というのと、何を今更。というの、それから、自覚があったのか。という、どうにも異常な彼の被害者とは思えないような、呑気な感想が浮かんだ。
正直私は、普通という言葉が好きじゃない。
彼と居ると、普通というものの、自分の中での定義が曖昧になってしまうから。
普通って、なんだっけ。
でも、これだけは分かる。
彼、善法寺伊作は普通じゃ、ない。



「自覚があったのね」

「非道いなぁ。僕にだって常識くらいあるよ」



あるだけ、だけどね。


そう言って彼は、空っぽな笑みを浮かべた。
中身のない、ただ在るだけの笑み。
意味をもたせようという気さえ、感じられない、どうでもいい笑顔。
そんな顔をした後の彼は、決まって私に恐怖と痛みを与えるのだ。
今度は、全ての感情を、何処か遠くに放り投げてしまったかのような、何もない表情で。
私は、この顔が怖くて仕方がない。



「なんで、右腕に怪我なんてしたの」



痛い。
普段なら、治療してくれる筈の彼の指先が、ぱっくりと開いた傷口に、彼の言葉同様、じわじわと押し入ってくる。
けれど私は、声を上げてはいけない。
実習で負傷したこの右腕は、私の腕ではないのだから。
この右腕は、彼のものなのだ。
だから、右腕を傷付けられて痛がるのは、彼でなくてはならない。

声を上げられない私は、只ひたすら痛みに耐える為、唇を噛み締め、眉間に皺を作った。
ねぇ。と呼ばれ、余裕が無いながらも彼に目を向ければ、彼もまた、眉間に皺を作っていた。
それも、直ぐに冷たいものに変わってしまったけれど。



「この右腕はさ、誰のものだっけ」

「ぜっ…んぽー、じ……」

「だよね。だって、僕が治したんだから」



随分と前の話だけどね。

そんな安易な言葉は、無理矢理呑み込んだ。
痛みに耐えながら、彼の独白とも取れる台詞に、抗議の意も含めて、彼の名を呼ぶ。
その声は、途切れ途切れで、聞き取り難い事この上なかったが、答えが分かりきっていた彼は、そんな事など気にも留めず、ばっさりと言い切った。
当たり前だ、と言うように。
傷口は、未だに抉られ続けている。
大丈夫だ。
目も当てられないような傷になったって、彼が治してくれる。
大丈夫。
今までだって、そうだった。
これで右腕が使い物にならなくなれば、彼は私の身のまわりの世話を、全てしてくれるのだろう。
何も、心配はない。



「忘れた訳じゃ、ないんだろう?」



あの時の約束も、僕が嫉妬深いという事も。


彼が握る、私の右腕からは、血が滴り続け、小さな血溜まりを作っている。
少し、量が多い。

忘れてなどいない。
何一つ。
まだ私達が幼かった頃、彼は言った。
僕が治した君の体を、僕に頂戴、と。
あれは、約束というよりも強迫に近く、あまりにも一方的なものだったが。
それでも彼は、あれを約束と呼ぶ。
何を思ったか、その時の私は首を縦に振ってしまった。
どう考えたって、危ない台詞だ。
体をバラバラにされたり、人体実験に使われたりしていても、不思議ではないし、文句も言えない。
それでも、あの時合意したのは、きっと彼をいい人だと信じたかったから。
彼の笑顔が、頷く事しか、許してはくれなかったからだ。
それからというもの、私の左膝は彼のものになり、次いで右肘、額、右の脇腹、左の肩甲骨辺り、と私の体は徐々に、彼のものになっていった。
今では、彼のものではない部位なんて、無い気がする。
私の体は、彼のもの。
傷付けるのも、愛撫するのも、彼の自由なのだ。

嫉妬深いのも、忘れてない。
その矛先が、私にだけ向く事も。
潮江と殴り合った時だって、その後も痛い思いをしたのは、私だけ。
僕以外の人間に、傷を作らせるなんて。そう言って、散々お仕置きをくらった。
潮江には一言、気を付けてね。それだけ。
今回は、食満相手だったが、私がボッコボコにした食満は、早々に手当てされ、自室に戻って行った。
彼はまた、あの男に対しては、気を付けてね。の一言で済ますつもりなのだろう。

いつの間にか、傷口を抉る彼の腕は、緩められていた。
感覚は麻痺しているものの、鋭い痛みが引いていく分、遥かにマシだ。
傷口は、思ったよりも、悪化していない。
まぁ、ぐちゃぐちゃではあるけれど。

あれだ。
私は昔、脇腹を刺されてかなりの血を流した事がある。
普通に、致死量だ。
その時の彼は、必死になって治療してくれていた。
彼自身がやっとの事で塞いだ傷口を数日経って、治療してくれたあの指で押し開いてきた時は、本当に吃驚した。
そして、冗談でなく、死んだほうがマシだと思った。
それくらい、痛かったし、傷口も酷い事になっていた。
うん。
あれよりは、ずっとマシだ。



「っ……忘れてない、わ」

「………本当に?」

「えぇ。この体は全て、とっくに貴方のものなんでしょう?」



私がそう言うと、彼は虚を衝かれたような顔をする。
何か、可笑しな事を言っただろうか。
あぁ、もしかして、未だ彼のものでない部位があったのだろうか。
何処だ、それは。
彼は、こういう事には几帳面だから、治した部位は全て覚えているし、治していないものを治したとは言わない。
だから私は、彼の所有が十を越えた頃から、数える事を止めてしまった。
けれど、感覚的にいっても、彼のものでない部位なんて無いと思うのだが。
それとも、あれか。
私が覚えていた事に対する驚きか。
失礼な。
私は、そこまで鳥頭ではないぞ。
怪我をする度、必要以上に抉られ続ければ、嫌でも忘れない。
それこそ、鳥でも忘れないのではなかろうか。



「確かに、僕は君の体を手に入れたよ。もう、殆どが僕のものだ。けれどね?一番欲しいものだけは、未だなんだ」

「……い、ちばん、ほしい?」



それはね?と言いながら、嬉しそうに笑う善法寺。
あぁ、私の好きな顔だ。
優しい彼の、優しい笑顔。
けれど、とんでもない事を考えているんだろうなぁ、きっと。
普通は考えないような、とんでもない事を。



「なまえの命だよ」



だから、早く死にかけてね。僕が助けてあげるから。なんて、笑いながら言う彼に、やっぱりか。なんて思いながらも、少しだけ嬉しくなった。
彼は、私を殺さない。
私の全てを、手に入れたいだけなのだ。
だから、どんなに傷口を抉られたって、笑顔で毒を飲む事を強いられたって、最後には必ず助けてくれる。
しかし、彼は大切な事に気付いてない。



「私の命なんて、とっくにあげたつもりだったのに」



彼から痛みを与えられる事に、慣れつつある頃から、私の持てる全ては彼にあげようと決めていたのに。
けれど彼は、きっとただでは貰ってくれないのだろう。
それなら一つ、頼んでみようか。
貴方の心が欲しい、と。
貴方の心と私の命を交換しよう、と。

そんな事を呟けば、彼は再び目を丸くし、少しだけ吹き出した。
そして、一言。



「馬鹿だなぁ。僕の心なんて、なまえが左膝をくれたあの日からずっと、君のものなのに」



僕の全ては、とっくに君のものなんだよ?


そう言って、傷口を更に拡げる彼は、空いた左手で器用に包帯を引っ張り出しながらも、それを巻こうとする気配はない。
もう暫くは、このままかぁ。なんて呑気に構えては居るものの、痛みと痺れでどうしようもないのが現状だ。
いい加減、止めてほしい。
けれど、ふと見た彼の顔は嬉々としていて、文句を言う気にもなれない。

早く死にかけてくれないかなぁ。なんて笑顔で呟きながら、傷口を抉り続ける彼に対して、私はただただ、苦笑するしかなかった。



傷口に毒薬



傷口から血がまた一滴、血溜まりに静かに滴り落ちた。



あぁ、きっと。

こんな彼を愛しいと思う私も、普通じゃないんだろう。