※白(→)京で白竜の独白みたいな感じです。


水葬


きっと、掬わなければすぐに沈んで見えなくなってしまう。


無駄に小綺麗なシャワールームの奥。カーテンを挟んで置かれた無駄に大きなバスタブに身体を預ける。入ったと同時に浴槽から溢れ出した水が一斉に排水溝目掛けて流れていくのを特に何の感情も抱かずに眺めていた。

温い温度に包まれた身体から徐々に疲労感が抜けていく感覚。そこで初めて自分がいかに身体を酷使していたかを思い知らされる。そういえば今日の練習もキツかった。この島に来てから毎日莫大な量の練習をこなしているから疑問には思わなかったが、一般的に言えば狂っているとしか思えない量だ。無意識の内に疲れが身体に蓄積されていたのだろう。その事実が情けなくて、そんな自身のことでさえ把握できないようでは究極までは程遠いなと一人笑った。


「……どうであれ、もう俺は究極にはなれないんだがな。」

弱気な呟きは誰の耳にも届かないまま落ちていく。見上げた先の天井に話しかけてもただ沈黙を守るだけ。

剣城がこの島を去っていったいどれほどの時間が経ったのだろう。まだほんの数日しか過ぎていないはずなのに、もう何年も過ぎてしまったかのような喪失感が胸を占拠していて思考が絡まる。そんな感覚が麻痺するほどあの日からただ漫然と日々をやり過ごしている。

剣城がいた頃の自分はもっと強かった。確かに現在のチームでのトップは俺だという自負はある。けれど違う。今のチームメイトはちょうど、押しても張り合いのないこのカーテンに似ている。剣城と競い合っていた頃は毎日が本気だった。認めたくはないが、日増しに脅威的に強くなる剣城を必死で追いかけ追い越しを繰り返す日々だったと思う。押したら次はその何倍もの力で押し返してくる。剣城はそういうやつだった。

体勢を変え浴槽に顔を沈める。足を折り畳み、底に頭をつけて目を開けると視界の全てがぼやけて見えた。息を吐く度小さな泡たちが上に向かって消えていく。不意に熱くなった目頭から溢れたものはその形を成さないまま水中に溶けていってしまった。けれどそれらの感傷は全て俺にはいらないもの。それだけははっきりしていた。たかが一人いなくなっただけじゃないか。剣城がいなくても俺は究極になれる。それ相応の器はある。先程の弱気を吹き飛ばすようにそう自分に言い聞かせて目を閉じた。

ふと、こんな陳腐な浴槽が底の見えない深い海のように思えた。気を抜くと感情の海に溺れてしまう。息を止めただけですぐに窒息してしまいそうだった。その中で足掻きながらも手には掴めないものを探している。自分から手放したはずなのに、いざ失うとなると心細い自分がいて。掬わなければきっと、沈んで見えなくなってしまう。そして不可解なそれは俺自身をもっと深い海の底まで引きずり込もうとする。


「……ふっ……は、…」

あまりの息苦しさに顔を上げた。額にへばりついた前髪をどかす。体勢が元に戻ったことにより水面が揺れ、また浴槽から水が溢れていった。排水溝に流れた要らない水は、結局どこに辿り着くのだろうか。それを知る術はない。


「……つる、…ぎ…」

もうその名前を口にすることは二度とない。あるとすればそれは、俺の実力に見合った人物が現れるか、この手からするりと零れ落ちてしまった感情の正体が分かった時だろう。けれどそんなことは無いに等しい。俺にできることはせいぜい何も考えずに毎日の練習をこなすことだけ。剣城のいなくなった島での練習にもはや活気はない。この手に転がりこんできたのはチームの代表とトップの座という不動の地位。けれど俺の手はむしろもっと違う何かを手にしたかったに思えてならない。


浴槽から上がると、身体が軽くなった気がした。いらないものを全て洗い流した気分だった。一方で水分を失った肌はみるみるうちに乾燥し始め、軽くなりすぎた胸はどことなく虚しかった。




水葬



(沈めてしまった感情は何、)




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白京考察の結論。あえて遠まわしな表現ばかり使ったんですが余計分からなくなっちゃいました。白竜は自分の気持ちに気付かずに葛藤しながらも無意識にいらないものとして切り捨ててそうだよねという……。雰囲気だけでも感じ取ってもらえれば…。


12.01.18


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