「明日だろ、出て行くの。」
背後からそう呼びかけられて振り向くと、ひどく見慣れた顔があった。
「……なんだ、剣城か。」
「なんだとは何だよ!」
「はいはい、何でもないよー。」
そう言いながら近くのベンチに腰を下ろす。そして少し上にある顔に視線をやり隣に座るようベンチを叩き促すと、剣城は案外あっさりと隣に腰を下ろした。
「今日はやけに素直なんだな。」
「べつにそういうのじゃねぇよ……。」
隣で俯いた顔を横目で見る。その顔が少し悲しそうに見えたのは、単なる俺の感傷かもしれなかった。
「そーいや、まだ荷物の整理終わってないや。」
努めて明るく言ったつもりが、その言葉に改めて気がついた。明日、このフィフスセクターの寮を出て行くこと。そしてこいつ、剣城とも、もう会えないこと。
今声をかけられた理由は既に分かっていた。剣城はお別れを言うために来たんだってこと。会えなくなる前に俺に何か話しに来たってこと。
「まだ終わってないのかよ。……あとで手伝いに行ってやるから。」
いつもと変わらない呆れた口調で剣城は言う。一応年上だというのに、俺に全く敬語なんて使わない。使わなくてもいい仲だったとは俺も思っている。ちょっと生意気な弟が出来た気分だった。
いつだっただろうか。それが単なる弟分に向けるような感情ではなく、もっと特別な何かを孕むようになったのは。
「……明日からもう、会えないんだな。」
そしてしばらくの沈黙のあと、あえて触れようとしなかった剣城がおもむろにその言葉を口にした。
「………ああ。」
「なあ、」
そう言って、ベンチの上に無造作に放り出されていた俺の手に少し冷たい手が重ねられた。
「絶対、お前のあと追ってくから。」
だから、と柄にもなく泣きそうな顔をして俯く剣城。
「俺のこと、忘れんなよ…」
途端、上げられた剣城の顔は弱々しくて。今更痛感してしまった。
俺は、剣城が好きだったんだ。もどかしくてくすぐったいこれは、まさしく俺が剣城に恋をしていた証。
俺がいなくなったこの場所で、剣城が他人にもこんな弱々しいところを見せていくかもしれない。そう考えるだけで堪えきれなくなって、剣城のその手を痛いほどきつく握り返していた。
「ああ、待ってる。だから、お前のことも忘れないよ。」
忘れるわけがないだろ、と精一杯笑ってみせた。お前を慰めることも、笑わせることも。全部俺だけができたらいいのに。
けれど勇気のない俺には、一番伝えたかった気持ちなんて言えるわけがなくて。
「……そんな顔、俺以外には見せるなよ。」
沈んでいく夕日を見て、ただただ明日に向かって流れていく時間に身を任せることしかできなかった。
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磯→←京くらいな感じ。
シード養成時代にはこんな別れがあってもいいよね(´□`)
11.09.06