#小説版雨の日の帝國図書館企画



買い出しを済ませた帰り道、降り出した雨に慌てて近くの駅へと駆け込んだ。

「降られちゃったね。そっち、買い物は大丈夫?」
「ええ、ええ。大丈夫ですわ。しっかし、間に合う思うたんになぁ…」

予報にない薄曇りにもしやと思っていたが、悪い予感が当たってしまったようだ。
ざあざあと雨降る空はけれど明るい。だからすぐに止むだろう。そう楽観している徳田の耳に「ケッケッケ」と聞き慣れた笑い声が聞こえてきた。

「秋声サン、今日はエエもんありまっせ」

肩を濡らす滴を払うのもそこそこに織田は買い物袋を漁る。徳田は、体が強くない織田の自身へのぞんざいな態度に心配を口にはするものの、自分の頭にブーメランが突き刺さっていることに気付かない。
そうこうしている内に目当てのものを見つけたのだろう、織田は端正な顔立ちに人好きのする笑顔を浮かべると得意そうにそれを差し出した。

「じゃじゃん!」
「わ、コロッケ!どうしたのこれ?」

手のひら大の小判型。細かいパン粉のからりと揚がったそれは見ただけでまだ熱いと分かる。ふわと香る美味しそうな匂いに、徳田はごくりと唾を飲み込んだ。

「ケッケッケ、肉屋のお姉さんがオマケしてくれたんですわ!」
「へぇ、あのおばちゃんがねぇ…」
「ちゃいまっせ、秋声サン。おばちゃんやのうて、お・ね・え・さ・ん」

流石関西人だ、と偏見甚だしく徳田は思った。「分かった?」と念を押されようとも、次回に会って自分がお姉さん呼びなど出来ようもない。曖昧に笑って濁すと、徳田は差し出されていたコロッケを受け取った。
安い白の紙袋は油を吸ってところどころ変色していた。予測の通りにまだ熱く、誤魔化しなど最早意識にない。ただ目の前の美味しそうなコロッケに心奪われ、徳田はきらきらと輝く目で向かいの織田を見上げる。

「ドーゾ、お上がりください?」

美味しそう、いや、絶対美味しい。早く食べたい。食べていい?──そう雄弁に語る目で見上げられ、織田が笑いを噛み殺しながら促すと徳田は元気よく「いただきます!」と言ってコロッケに噛み付いた。
一噛みすればザクッと心地好い音がする。目が細かいパン粉の衣はカラッと薄く、小狐色の良い揚がり具合だ。挽き肉の旨味を存分に吸ったじゃがいもは甘く、ところどころに残ったごろりとした塊を噛むのがまた楽しい。塩胡椒の確かな下味のお陰でソースなしでも十分に美味い。

「おいしい!」

にっこりとその言葉をそのまま押し出した笑顔は普段の仏頂面を思えば別人のようだ。
織田は最早隠しきれない笑みを浮かべては小さく咳払いをする。脳裏に浮かぶのは先程買い物した肉屋のオネエサンのことだ。ひとりで買い物に来た織田に「あら、今日はあの子いないの?あの黒髪の」と尋ねた彼女はころころと軽やかに笑う。

「あの子、いっつもうちの惣菜に釘付けで、でもメモ通りにしか買わないでしょう?いつか買ってくれないかなと思っているんだけど、ねぇ?」

徳田は真面目だ。だからか、おつかいついでの買い食いなどもしない。
しかし徳田は、そういう奴なのだ。美味しいものを前にすると餌を前にした犬のように感情豊かになる。自分では気付いてないだろう、無理矢理の真顔の中で輝く瞳が周囲をやきもきさせる。ころりころりとからあげが周囲からひとつふたつとお裾分けされ「こんなに食べられないよ」と嘯くも嬉しさを隠しきれない瞳を見れば、また次もあげようという気になるものも少なくなく。

「おまけしてあげるから、今度はうちの惣菜も買っていっておくれよ。うちはコロッケもメンチも絶品だからね!」

誰がそれが商店街の肉屋のオネエサンにまで適用されるとわかるだろうか、いや、わかる筈がない。そう言ったオネエサンにコロッケをふたつおまけしてもらえた織田はしみじみと思ったものだった。
そのことを思い出しながら、織田もコロッケに噛み付く。嗚呼、確かにこれは絶品だ。

「織田くんの顔がいいから、僕も得をしちゃった。ありがとう」

ぺろりと食べ終えてしまった徳田が満足気にそう腹を撫でながら言う。揚げ物の油分が気になるのか手の甲で唇を拭うも、まだ少しつやつやとテカっていた。
徳田はどうやら織田の顔が良いからオマケをもらえたのだと思っているようだが、実はその逆である。織田こそが得をさせてもらったのだ。
まぁ、そんな事情を話す訳にも、要因のひとつに彼の容姿が幼く見えることも挙げられるだろうことも推測できるが、それで機嫌を損ねるのも面倒で、んん、と小さく唸って誤魔化した。

「そりゃよかったですわ。ね、秋声サン。……ここ、メンチも絶品らしいですよ?」

誰も近くにいないと分かっているのに織田は身を屈めて徳田の顔に近付くと、声をひそめてそう言った。

「───」

ぐるぐる、と徳田の目が忙しなく回った。使命と私欲との天秤が揺れているのがよく分かる。だから、織田は猫撫で声で続ける。

「貰いっぱなしも悪いですしぃ…チキンカツも、イモフライも、めっちゃうまそうやったなぁ……」
「う……」
「今みたく食べちゃえばエエんとちゃいますの?知ってるのはワシと、秋声サン、だ・け。たまぁ〜の買い食いぐらい、ご褒美ですやん。ねぇ、秋声サン?」
「ううう…」

言いながら最後の一口を口に押し込んだ。サクッサクと音がする。
それを羨ましそうに見た徳田の喉がこくりと鳴った。
彼はうろうろと視線をさまよわせると、恐る恐ると織田を見上げる。

「み、みんなには内緒だよ?特に、師匠と鏡花と花袋と島崎と国木田には……」
「ワァ、特別が多くいはるナァ!」

指折り数えられる「特別」に織田は苦笑する。ド天然で騒ぎを大きくする一門に確信犯で火にガソリンを注ぐ一派との交遊関係を彼は嫌いこそしないが喜ばしいものとも思っていない。その反動か平凡を愛する庶民感に共感を抱くのだけれど。
織田はええですよと軽く請け負うとケッケッケッといつもの笑い声を上げる。

「なんだい、その笑いは」

流石に自分の言動が子供の駄々のようで気恥ずかしいのか、徳田はささくれた視線で織田を睨む。

「いやぁ、ふたりだけのナイショやなんて。ケッケッケッ、なんや、蜜の味やな〜って」

そう言ってふへへと照れ笑いをする織田に秋声はギュンと心臓が握られたように痛んで「ウッ」と



180607/16

加筆したら元のとは全然違う話になりました。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -