爛れた関係だがつきあってはいない鳥秋






白鳥が自室の扉を開けると、既に明かりは灯っていた。

「…なにをしている」
「ああ、白鳥。おかえり」

主不在の寝台を陣取った男は悪びれず見ていた本から顔を上げて言う。

「なにをしていると聞いたんだが」
「ああ、うん。お邪魔してる」
「そうだが、そうじゃない」

呆れたような溜め息を吐く白鳥に秋声はふっと笑うと体を起こした。肩掛けの外套も脚絆も腰元の着物も外して身軽な姿の秋声は朗らかで眉間にシワも寄っておらず常より若々しく──あどけなく見える。

「勝手に入って悪かったよ。今、僕の部屋は占拠されてしまっていてね」

白鳥の部屋は完全洋室である。ただし土足エリアは限られ、入り口すぐの下足置きから先は基本的に素足だ。大半はカーペットが敷かれているが、板床に素足がぺたぺたと音を立てるのを秋声は面白いと思っている。
客用スリッパの用意(備え付け)もあるが、基本的に来客を受け付けない白鳥の部屋では使われることはない。
訪れるとしても自然主義の面子は白鳥に対して無遠慮なので使うことすら考えていないように思われる。
机にベッドに本棚に収納箪笥。どこかの汚部屋とは比べ物にならないくらいに整えられている。それでも雑然と棚に置かれた上着や机に広がる紙類には流石に男の部屋と言うべきだろう。
対して秋声の部屋は、元は白鳥と同じ洋室だったのをリフォームして和室へと変わっている。入り口は土足だが中に入れば小上がりの畳部屋。しかも畳を上げると収納となっておりとても便利だ。更にチュートリアル文豪として最古参の秋声は他の人(織田も除く)より広めの部屋を使用しているので、やはり秋声にも無遠慮な自然主義の面子はそこを溜まり場ともしていた。

「またか、あいつらは。全く、人の苦労を少しは考えろと。お前も甘やかすから悪い」
「いや、僕だって言ってはいるのだけれど…彼らに、僕が勝てる訳ないじゃないか…」
「……まぁ、な」

故に、たまに、こうして、家主の方が追い出されることもある。勿論この慣れた様子にこれが初回ではないことは分かるだろう。
しょんぼりとした秋声に、確かに彼らの勢いを思えば無茶な話とは思う。なにせ、白鳥だって負けることが多々あるのだから。
同意を示され一瞬ムッとするものの秋声はまた表情を和らげてぼすりと寝台に身を投げ出した。足袋すらはいていない気の抜けた指先が袴の裾と絡んで白いシーツへと落ちる。

「だから、今日は泊まるから」

余りにもあっさりとしたものだったから、白鳥の反応は一拍遅れた。秋声が部屋を乗っ取られたことと白鳥の部屋を乗っとることはだからで繋がりし得ない。
は?と短く呟いて、眉間にシワをこれでもかと寄せ秋声を睨み付ける。

「お前な…俺は無関係だろう。俺を巻き込むな」
「君だっておんなじ、ちーむ弓組じゃないか」
「ちーむ弓組…いや、阿呆な呼び方は今は問題ではないな。お前の部屋を占拠しているやつらの部屋を使えばいいだろうが」

重複表現に頭痛で頭が痛くなっている白鳥は一度やれやれと首を振ると、問題となっているやつらの部屋への誘導をする。白鳥が今ここ、彼の自室にいるという事態が正しく彼が無関係である証明だ。
だが。

「……やだ」

大の字に寝転がり、そう唇を尖らせて言った秋声の前では無意味であった。一層白鳥の顔が凶悪に歪む。

「お前な、」
「だって、部屋の主のいない他人の部屋だなんて、くつろげないじゃないか。それに、国木田と島崎はそのシンパが怖い」
「ああ…」

そのシンパには更にシンパがついているのだ。この小さな図書館内といえどだからこそ世論が恐ろしい。脳内で花袋が「俺は!?」と喚いているが、それを泡鳴が指差し笑うのをスルーして二人は背を震わせた。ぶるり。
ふたりで示したようにちらと視線を交わし合うと、秋声が肩をすくめる。

「そういうことだからさ。世話になるね」

決定事項である。
それが面白くなくて、話しながら脱いでいた外套を椅子の背に掛けた白鳥は、大きな溜め息を吐きながら自身の寝台へと乗り上げる。

「構わん。が、ここは勿論、寝台がひとつしかない。俺は床で寝るのはごめんだぞ」
「僕もだね」

白鳥に遮られ秋声の上に影が落ちた。ひとつしかない寝台。互いに譲るつもりなどない。
ならば。

「宿代は好きに徴収してよ」
「俺に強姦の趣味はない」

秋声は腕を伸ばして、白鳥の耳にゆれる羽飾りに触れた。ひら、と指先をくすぐるそれにただ笑うにしては、余りにも挑発的な視線を白鳥へと投げ掛ける。
返す白鳥の言葉もまた、直接的で挑発的だ。服の上からするりと脇腹を撫でる。経験から秋声が一般的にくすぐったいと言われる場所全般が弱いことを知っている。

「ッ……」

ぴくりと反応を返した秋声の眉間に小さくシワが寄る。白鳥はそのまま思わせ振りに袂に軽く指を差し込んで、それに沿うように首筋まですると手を滑らせた。

秋声と白鳥は、所謂、そういう関係、というものであった。恋仲というには少し遠いが、情は友にしては深く、爛れている。
初めてはなにがきっかけだったかは覚えていない。酒だっただろうか。あまり酒の強くないふたりがどうして飲んだかは互いに知らんフリをして。
例えばふたりきりだったから。
例えば不満が溜まっていたから。
そんな理由で彼らは体を重ねるが、そんな理由がなければ触れられもしない。
そんな恋仲には遠い関係。

「…今日、俺にするつもりがないと言ったら?」

白鳥は秋声に覆い被ったまま、思わせ振りな言葉とは裏腹に猫をじゃらすように顎の下をこちょこちょとくすぐった。決めつけられていることに対するちょっとした意趣返しだ。
正直、白鳥が秋声に言わせたいことなど分かっている。しかし、求める言葉を望まれるままに吐くには秋声は、いや、互いに意固地であった。ぎ、と睨み付ける秋声に対して白鳥は余裕の顔。何故なら、他の知り合いもいるのに(古参の秋声を慕うものは多い。白鳥以外にだって秋声が頼めばいくらだって泊めてくれるだろうに選んだのは彼だ。今のままの関係も悪くないが、別に違う名前の関係になることを白鳥は拒むつもりはない)ここにいるのだから、秋声だって下心があるのだろう推測はあながち外れではないはずだ。
普段ならば勢いのままに。雰囲気に飲まれて。後悔も反省もないが、自発的意思で相手を唯一とする特別な欲求を言葉にしたことはなかった。
否、だからといって誰とでも寝るほど情欲に飢えていたこともないのだから、それは単純に羞恥からの現実逃避であったのかも知れない。

「あ…」

不意に白鳥は秋声から退くとそのまま装飾の類を外して、部屋着を取り出して着替えようとする。
本当に、今日はするつもりがないのだろうか。
今日は然程疲れるような仕事はこなしていない筈。それに多少のご無沙汰であるし、断られたことなど今まで一度も。
ぐるぐるぐる、と秋声は考える。
なにか気分を害する言動をしただろうか。確かに、不遜なそれはあったかも知れないが。でも、こんなものいつものことじゃないか。
いつものことなのに、断られた。
怒られた?嫌われたのかな?なにが悪かったのかな。分からない。
なんでだろう。
振り向かない背中を見ながら、焦りや悲しみがふつふつと沸いてくる。

「……好きにすればいいって言ったじゃないか」

この分からず屋め!と吐き捨てて秋声は白鳥の寝具を引っ掴むとぐるぐると自身に巻き付けた。つまり端から見れば小山である。
それは実は、秋声が本当に気を許した人にしか見せない拗ねスタイルである。なってしまえばもうおしまいで、しばらくそのままで動きはしないのだ。

「ふ、くく…っ」

と、拗ねていた秋声の耳に笑い声が届いた。どう考えても発信地はひとりだけだ。
こんなにも人をやきもきさせてなにを笑っているのだこの野郎!と怒りを込めて小山から顔を出そうとした──が、先んじて、布団から顔を出す前に上にずしりと重みが加わる。

「嘘だ。冗談だ。悪かった、そんなに怒るな」

ぽんぽんと布団を叩いて宥める声は笑っている。
怒らせた訳ではないという安堵と、からかわれたことへの羞恥でぐあっと顔が熱を帯びた。笑っているだろうその顔を見たいという欲求もままあるが、しかしまるっと寝具ごと乗っかられては身動きも取れない。
もぞ、もぞ、と身動ぎする秋声のことなど分かっていると言わんばかりに、白鳥はまた一際強くそれを抱き締めた。

「遠慮なく好きにさせて貰うからな。今更、逃げるのはナシだ。覚悟しておけ。
……風呂に入ってくる。それまで、ひとりでイイコにしていろ」

そんな捨て台詞が聞こえた後。
重みは消えて足音と扉の開閉音が続く。
しばらくぼんやりしてから秋声はもぞもぞと小山を崩して顔を出した。籠った熱気にぷはぁなんて声が出る。
出ていった家主の姿は当然なく、ぽつん、急な居心地の悪さを感じた。先程までの堂々たる侵略振りは、大人の余裕でお誘いをしたつもりで、今の今までド緊張の中にいたからのハリボテだったのだ。
今は「これから抱かれるのか」と、別種の緊張と恥ずかしさとが渦巻いている。先程脱皮した布団を掴んで抱いてごろごろと寝台の上を転げ回った。その際、つい先頃まで読んでいたフリをしていた雑誌を巻き込み表紙を折ってしまったことに気付く。
それは白鳥の部屋から拝借した園芸や観光地やらの特集が組まれた雑誌で、いや、本当は、きちんと読むつもりはあったのだけれど。ただ、お誘いをするぞと意気込んでいたので目が滑ってしまっていたのだ。
表紙の折れを伸ばすが勿論直ることはない。秋声は冷や汗をたらしながらそっとそれを本棚に戻した。
戻して、また手持ち無沙汰になって頭を抱える。

「ああ…もう………」

覚悟が一度折れてしまった男は羞恥にのたうち回ってまるでゆっくりと進む時計の音を掻き消した。うーうーとうなりながら寝台に飛び乗る。

「どんな顔をすればいいんだ……」

秋声の苦悩は、もう少しだけ続く。







一方その頃。

「あいつら、そろそろ告白でもしたかな?」

秋声の部屋のこたつに入りながら思い付いたように花袋は言った。その目線はみかんの皮を剥くことに集中している。

「しないだろ」
「ないね」

同じくみかんを剥いていた独歩は笑いながら断言し、同じく断言した藤村もこたつのかけ布団を引き上げてもっふりと顎を預けている。
静かでまったりとした空気の中、タブレットから配信のバラエティ番組の音が虚しく響いた。

「……言っていい?」
「だめ」
「やだ」

みかんの皮で犬を作っていた花袋が意を決して言った言葉は即切り落とされる。ついでに剥いたみかんの中身を藤村にまるっと奪われて、しばし呆然とした花袋はダァン!と天板を叩き付けると「なんでだァーーー!」と声を上げた。

「うっさ!」
「かふぁいうるふぁい」
「ああ!藤村!まるごと一個口に入れたまま喋るなよ!汁!汁出てる!」

咄嗟に花袋は近くにあったティッシュを取り出して藤村の口を押さえる。勿論、秋声のものである。趣味の裁縫で作ったパッチワークのティッシュカバーは青基調で、ただ少し部屋の主の作り手を思えば似つかわしくないほどに可愛らしい。完全に余談である。

「だぁかぁら。もうさー、あいつらさ。いつになったら付き合うの?俺、もうそろそろ口から砂糖が出そう」
「売る?」
「売らねぇよ!」

混ぜ返されて頭を抱えた花袋を見て独歩と藤村は顔を見合わせて小さく笑った。

本人たちは隠しているつもりかも知れないが、端から見たら──なんにしろ一番近くにいる花袋たちチーム弓組から見れば、秋声と白鳥の関係など言葉にされずともおよそ分かるものだ。
というか、こちらからの方が分かるものがある。
とは言っても推測でしがないが、あの意固地のふたりのことだ。きっと、言葉にせずとも深まった関係を言葉に変える作業を押し付けあっているだけなのだろう。
しかもそう奮闘する秋声をとても楽しそうにからかったり観察する白鳥を思えば、そう易々と進展するべくもなく。いっそ、なんだかんだ慕われている最古参との仲を見せ付けているのではないかという邪推もなかなかに否定できない。

ちなみに今日、秋声を追い出したのは花袋の発案だ。一番近くにいるというかなにかと秋声が頼る為に一番近くなる花袋が、言うなれば実害を被っているのである。
彼女を欲して日々ナンパに勤しむ男の前でノロケとはなんと酷なことだろうか。
痺れを切らすのも無理はない。
しかしてそんな気遣いも実のところ達成しておらず、ただひたすら、可哀想の一言に尽きる。
きっと明日もノロケを受けるだろう。
果てしなく可哀想。

ちなみに追記すると、花袋たちが秋声の部屋を乗っとるのは秋声たちの関係がアレソレなる前からよくあることであり、今更不思議がることはない。し、彼らのことがどう転んでも、特に意味もなく占領することは今後もあるだろうことは請け合いだ。

「まぁまぁ、花袋。ほら、もう一個みかんでも食えよ」

頭をこたつに乗せてうーうー唸っている花袋の頭にぽんと独歩はみかんを乗せた。横からバランスを取ってそのみかんの上に藤村はみかんを乗せる。いい感じに乗ったことに顔を輝かせた独歩がもうひとつとみかんを持つ。

「やめろって!」

ふたりを払って花袋は頭に乗っていたみかんを両手に持ってビャーと喚く。「全くもう!」と憤慨しながら花袋がみかんを剥き始めると、それが彼が落ち着いた合図となったのか、藤村は背後の給湯ポットから急須に茶の用意をし始め、独歩はこたつ布団を持ち上げて顎を埋める。

「まぁ、確かになぁ」
「…そうだよねぇ」

茶を飲んだ男たちは揃って溜め息を吐く。脳裏に現れたふたりの親しくも迷惑な友人たちへの思いはひとつだ。

「はやくくっつけばいいのにな」

そうして3人は顔を見合わせて笑うのだった。














200205

補足
・白鳥は秋声が好きだから部屋に自分は興味のない園芸本を置いている。秋声は部屋に白鳥の好きな茶菓子を切らさず置いている。
・みんなからバレバレの鳥秋
・秋声はよく白鳥の部屋でごろごろ悶絶しているところを白鳥に見付かっていたりする。平静を装うが隠しきれていないのでポーカーフェイス白鳥は内心ニコニコしている。
・花独藤の三人はよく「あいつどうにもならんなぁ」と会議してる。最近兄弟子と庶民派仲間も混ざることがある。
・たまに遠くから延々と秋声を眺めている白鳥。花袋からやめてくれと懇願されている。やめない。
・一番実害があるのは花袋。左右から来る。つらい。独藤は大体面白がっているだけ。
・織田は然程白鳥と親しくないのであまり害はないがたまに特大のノロケを食らうことがあってつらい。
・兄弟子はなんだかんだよく見ているのでバレた。父母は父母で完結してしまっているので周りが見えておらず気にしていないし、気付いたとしても些末。

大体そんな感じ。
多分満足したら白鳥から告白するし、痺れを切らした秋声がキレ散らかして「君は今から僕の妻だ!分かったな!?」とか言い始める。それもまた良し。
くっついてもくっつかなくても周りはつらい。

以上です。
CPあんまり書かない・書けないんですが楽しんで書きましたので読む方もも楽しんで貰えたら幸いです。



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