いつものうっかり司書とは違う司書(不在)
いつもの設定とは違う独自図書館注意
※微とうらぶクロスオーバー







この図書館には司書がいない。
館長が言うにはとても優秀な人で、俺たち文豪の魂を転生させて図書館を運営させるだけではなく、審神者として刀剣の魂を顕現させて本丸も運営しているらしい。
といっても、実は頼み込まれてこちらの方が後付けらしい。そんな二足草鞋の審神者兼任司書は図書館には週に一度か二度程顔を出せばいい方だ。
なにやら聞いた話では、刀剣の魂とは匠の精神と技でもって鍛えられし刃とその逸話と歴史に宿る付喪神というものらしい。あやかしと紙一重といえども神の一端として、なにやら気難しい者が多いのだとか。

「神隠しだか呪いだか。ヒトが神になんぞに手を出すなんてな」
「止めとけ、バチが当たっても知んねぇかんな!」

腐っても信仰篤い筈の親友に俺は──俺こと田山花袋は少しばかりおののいてそう言った。
俺は神も悪魔も信じてはいない。が、信じている訳でもない。
付喪の神とはいえ存在するなら受け入れる。いてもいいが、いなくてもいい。否定もしないが肯定しないというスタンスは、自分自身という実例を含めて、あるがままを愛する自然主義としての矜持だろうか。

「はーあ、それにしたってね」

親友、国木田独歩はそう深々と溜め息をついた。

「あの代理ってやつはどうにかならんのか」

代理、というのはその名の通り、不在がちな司書の代わりに図書館に常駐する男のことだ。
いっそ司書よりもまめに連絡をくれるのが館長であるが、館長は余所も監督している身であり、俺たちだけのものではない。
俺たちだけのものの筈の司書が不在がちの為、彼女と俺とを繋ぐのは、「クロ」と呼ばれる二十歳ほどの青年だった。
能力や状況に応じてだが確かに、文豪の助手ではなく錬金術師の助手を置くところは各所にあるという。本当に単なる助手として、または共同研究者として。もしくは言ってしまえば弟子だろうか。もっと年若い錬金術師を助手として図書館に住まわせているところもあるらしいが、このクロという奴は錬金術師ではなく、単なる連絡役だ。会派の日取りや変更や報告書をまとめたり、ちょっとした御用聞きの役を担っている。文豪たちは彼からしか司書に直接の連絡手段を持たないのでなんだかんだ関わりは多い。
平均身長がやけに高い文豪が多いので160センチ程の彼は小柄に見える。館長たちと同じく図書館の制服を身にまとい、上着の下に青いパーカーを着ている。目深に被るフードから覗く長い前髪と黒縁の眼鏡で顔は口元くらいしか窺えないがやけに背は真っ直ぐに伸びていた。
きっと顔が見えているのは賢治や南吉くらいではなかろうか。
時折、司書が兼任する本丸からの使いでやってくる男は白いパーカーを着ておりやはりフードを目深に被っているので、まぁ、それが司書の助手としては通常形態なのかも知れない。

「あのな。独歩があいつのフードを脱がそうとして追いかけ回さなきゃあいつは逃げねぇよ。おい藤村。お前もだぞ分かっているのか」
「…僕は脱がそうだなんてしてないよ」
「お前は執拗な取材を止めろっていってんの!」

どうやらこの取材組はクロが気になっているらしく、助手室にこもりがちのクロが一旦部屋から出ればまとわりつくし、追いかけ回すし。そんなことが多かったからか、最近は文豪側の助手でありこの図書館の最強の男オダサクが止めている間にダッシュで逃げ出すことも見掛けはする。
俺の親友たちがすまない。

「だってよぉ、隠されているなら見たいだろ!?知りたいだろ!?」
「見せたくないから隠してるんだろほらお口にチャックしてろ」
「いでで」

独歩の両頬を掴んで引っ張れば痛がりながらも楽しそうに笑っている。

「…でもさ、僕は知りたいんだ」

そう静かに藤村が呟いた。
憂鬱げに窓に視線を投げる横顔は美少女そのものだが、ついているものはついている。泣きたい。

「隠されていれば暴きたい。知らないものならば知りたい。
彼はなにかを隠している。顔だけじゃない。物寂しげにこちらを見詰める一瞬を、みんな、知っているでしょう?笑おうとして上がった口角を噛み締めて俯く前髪を。
彼が何故そんな反応をするのか。
彼がなにを思っているのか──知りたいだろう?彼と、僕らの関係を」

確かに彼は、そういう一面を持つ。一瞬見せる親しげな反応とは裏腹の、一歩引くも名残惜しげに追いかける視線。
それはまるで構ってほしいのにそうと言えないこどものような愚かさで。
彼はなにを知っている。
彼は自分達と、一体どんな関係を持っているのだろうか。
一方的なファンであってもあの反応は奇異だろう。彼は。彼は。

「それに、あいつは──徳田秋声を知っている」

それは、まだ司書が図書館に長く留まっていた時期のことだ。
本丸と違いこちらは大人として生きた男の魂なので、衣食住とやることさえはっきりしていれば勝手に回るものなのだ。それも、変人揃いの文豪なのだから、放任であるくらいが丁度良い。
だが人数が揃わず、手の掛かる弱い時期くらいはと司書はこちらにも手を掛けてくれていたのだ。
この図書館に未だ来ていないのは芥川と伊藤と梶井と井伏くらいか。流石に有能と言われるだけあって優秀なものだ。
そして──「徳田秋声」について。
本来、館長と共に最初に転生させるのは「徳田秋声」という男である。これは館長がなにか「徳田秋声」に縁があるのか縁あるものを持つようで確定だ。
しかしうちの司書は優秀なのでそれを行わなかった。
最初から、独力のみで織田作之助を転生させることに成功した、らしい。
後から来た自分は事実としてそれを伝え聞くことしか出来ない。
だから、俺たちの図書館に「徳田秋声」はいない。
「クロ」が──あの助手の男が言ったという言葉。
嘘か、本当か。俺は知らないけれど。

「この図書館に徳田秋声が来ないのはアイツの所為なんだろう?」

ある程度の人数が集まり、強くなった文豪たち。
司書の手が離れる日。
せめて「徳田秋声が転生されるまで」と乞い願う師の声に司書ではなく答えたクロの言葉は酷いものであった。

「ここにその人は転生しない」
「“徳田秋声”はここにいらない」
「忘れてください。ここに来ないその人をあなたたちが気にかけるべきではないのだから」

あの日、同席していた奴等はその時の尾崎紅葉の激昂を忘れられないと言っていた。
火鉢を飛び越えた実績のあるもう一人の弟子が腰を浮かした状態で思わず固まってしまう程の激昂ぶりだ。
もしも距離が近ければ。
もしも机と司書と館長が間にいなければ──きっとクロの顔は今頃判別していたことだろう。常とは物理的に違う形になっていて判別とは言い難かったかも知れないが。
ちなみに、その時のクロは殴られてもいないのにぶるぶるぶるぶると震えて酷く悼ましい様子だった。手に持つバインダーを抱き締め引けた腰で、隣にいた万年助手のオダサクの背に隠れていた。
わかる、鬼ババア怖い。

「花袋は、秋声に会いたくないの?」
「……会いたいさ」

徳田秋声。それは、不器用で、無関心で、その癖、人好きの賑やか好きな男だった。
こういう人物だ、と見せられた他のところの徳田秋声は、生前、最後に見掛けた姿とはかけ離れた若く青々しい青年だった。灰色の目、尾崎の着物。ふてくされたように俯く姿はどこか既視感がある。

「会いたい。あいつは、俺の親友だからな」

司書が戻って来る度に行われる有硯書でも期待をしている自分がいる。
いや自分だけではないだろう。絶対に。
あの師匠も、あの兄弟子も。俺も。そこの取材バカも。
みんな、みんな。徳田秋声を待っている。

「花袋は、クロから聞きたくない?憎くない?きっと、彼なら知っているよ?」
「んー、なんかなぁ。うん。なんかな?俺、あいつのこと、嫌いじゃないんだよ。嫌えないんだよ、よく分からねぇけど」

花袋はそう言って頭を掻いた。

「なんでだろうな?あの、構ってくれと言わんばかりのジト目の所為かな?」
「あ、分かるわそれ。あいつ、そういうとこあるよな。嫌だ嫌だという癖に、藤村に追いかけ回されている時ちょっと嬉しそうだしな!」
「…国木田に追いかけ回されている時もそんなかんじだよ」
「マジか!」

藤村の返しに独歩は嬉しそうに笑って手を叩いた。

「…みんな、そう言うよね。不思議。あの尾崎紅葉や泉鏡花でさえ、ふふ。嫌いにはなれないんだって。どうしてかなぁ?」

あの一件があったから紅葉のクロに対する態度がどうなるか、と随分と気を揉んだものだが、その時の紅葉はまるで生き別れの娘がいつの間にか結婚して作っていた孫にどう対応すればいいか分からないジジイ、といった感じだった。腫れ物を扱うような気遣いと疎ましさ、それでも消えない興味関心が見え隠れしている。
なにかあってはいけないと物陰に隠れて見守っていた者の言だと、クロはその時腰が引けていたらしい。たかが連絡事項ひとつの為に走る緊張感。じり、じりと両者距離を図り合う異空間。

「……用はそれだけか」
「……はい」
「……そうか」
「………」
「………」
「…………それではこれで失礼を」

見守られる中で踵を返そうとしたクロを紅葉が「まぁ、待て」と制す。
その時のクロは10センチほど飛び上がったような気がしたが、ぎぎぎ、と歪な様子で振り返ると紅葉が「ん」と手を出していた。

「そら、手を出せ。……我は決して悪いことはしておらぬが、露伴が…まぁ、我も悪かったから謝るべきだと抜かしおってな。いや、だからといってお主が一番悪いとは思うが、まぁ、確かに、我も年下相手に大人げない真似をしたかも知れぬごにょごにょごにょ」
「………………???」

訳が分かっていない様子でいつも持っているバインダーを抱き締めるクロは首を傾げながら一歩後退りをした。

「そら!手!」
「は、はい!」

そんなクロに痺れを切らした紅葉の一括にクロはバインダーを取り落としながらも両手を前へと差し出した。
ぽとり。
両目さえ瞑っていたクロは、なにかが手に置かれた感触に恐る恐ると目を開く。
そこにあったのは──饅頭であった。

「それは我の茶請けだが、その、まぁ、詫びの品としてだな、そのな、とっ、取っておけ!」
「あ、あの、あ、ありがとう、ございます…」

照れ合うふたりを前に「紅葉が自分から菓子をやるなんて大人になったなぁ」と男泣きする露伴。
それに気付いて紅葉は露伴を追いかけ回し──クロは嬉しそうに笑って饅頭を見詰めていた。
──なんてこともあったな、と花袋は笑う。

「俺は、クロとも仲良くなりたいな」
「ふふ、友達100人作りたいんだもんね花袋は」
「友達が多くて悪いことなんかないだろ?」
「親友が多くなったら俺たち嫉妬しちまうけどな」

けらけら笑う独歩に、じっと見詰めてくる藤村に。花袋は片眉をついと上げると頬杖をつく。

「俺の親友は、独歩と藤村。あと、秋声で枠はいっぱいなの。変な心配してんじゃねぇよ、ばぁか」






このクロという男と最も仲がいいのは自分だろう、と織田は思う。
助手室という同じ空間で最も長く過ごすし、なにより、クロという人物の正体、というものを掴んでいる唯一なのだから。

「クロさん、もうそろそろ休憩せん?ワシ、腰がもうアカン」
「ん?ああ、もうそんな時間か。分かった。休憩にしよう」

報告書を纏めていたクロが顔を上げてそう言うと、織田は両手を上げて喜んだ。

「今日は志賀サンがなんやおやつ作ってくれるとか言うてはって!ちょ、今から貰ってきますから待っててください!」
「へぇ。それは楽しみだな…ありがとう、お茶の用意をしておくね」

そうクロはいうと下ろしていたフードを目深にかぶり扉に立つ。

「じゃ、行きますんで鍵頼んます」
「うん、いってらっしゃい」

助手室で普段のクロはフードをかぶっていない。し、あの目障りな黒縁眼鏡もしていない。
無理矢理伸ばした前髪と合わぬ後ろ髪は短く切り揃えられている。
彼はなんだかんだと面倒くさがりだからだ。最近では、やはり前髪を元に戻して、フードに直接ウィッグだとかいう髪の毛の偽物を縫い付けてしまおうかと悩んでいたりして、存外におかしい人なのだ。
そして、そんな自然な顔が見られるのは、鍵のかかった助手室だけ。

「…優越感と罪悪感、どっち捨てたらええんやろ」

他の文豪が焦がれるものを隠している。
でも、やると言ってしまったからには二言はないのだ。恨まれたとしても。

「あ、志賀サァン!おやつ、まだ残っとります?」
「お、オダサクか。残ってるぜ?クロの分もだろ?」
「そうですー流石わかってはる!」

今日のおやつはアップルパイだ。つやつやと輝くパイ生地に酸味の利いたりんごの蜜煮。
ホールのハーフサイズが丸々残っているのはクロが甘いもの好きだから。

「いつもえろぉすんません」
「いやいいぜ。助手の仕事大変そうだしな。なんなら、たまには変わってやるからいってくれよな。クロに興味もあるし」

人好きのする顔で志賀が笑う。

「…ややわぁ、いつも一緒のクロ置いてワシだけ職務放棄はできへんすわぁ。クロも一緒に休ませてくれへんと」
「おう、そりゃまた次の機会にな。どっちかいなきゃやり方がわかんねぇし──クロには詫びに俺がおやついっぱい作って持っていってやるからさ」

存外にクロは胃袋を掴まれてしまっているのでこういう時に厄介だ。
でもきっと、そんなことは彼自身が受けないのだから、織田はにっこりと微笑んでやった。

「ま、クロがそうしたいていうんやったらな?」





「アンタ、そら、危なすぎやろ!」
「でも…それでも僕は、」

一冊の本を手に僕は俯く。
それは、あの批評家の男の書だ。発見されたばかりの有硯書は、一時的に各図書館に配布され調査を依頼される。それがある程度の結果を出すと回収され──政府による詳しい調査が済めば、改めて各図書館に配布し直されるのだ。
今、ここで転生が果たされなければ、きっと再配布は年を越えることになるだろう。

「僕は、僕は……諦めたくない」
「……アンタは“諦めろ”って言ったクセに?」

冷めた織田くんの声にびくりと肩が跳ねた。

「アンタは周りにソレ強制してはるクセに、自分は諦めたくないって?なんなん?身勝手も程々にせぇよ」

そうだ。僕は、僕の勝手で。
僕の秘密に巻き込まれた彼も可哀想だ。
──泣いてなんかない。
泣くなんていけない。
俯いて、俯いて。ぎゅうと手を握りしめる。

「……ハァ」

ため息。

「…でも。アンタのワガママ聞いてるワシも同じ穴の狢ってもんか」

そう呟いた織田の声は優しいものだった。
「これ」といって机を滑らせて差し出されたのは金の栞。

「これ、ワシの分。司書サンが縁あるお人以外にレベル順に配布している奴。これ、アンタにやるわ」

存外に縁ある者より高レベルの者が潜書をするとひっかかることがあるので配られたものだ。
それを織田は僕に──クロにくれた。

「行ってき。そんで、さっさと諦めてきぃや。どーせ、こんなん無理やもん。それに……アンタの方が相応しいから」

背を押してくれた織田に僕は不器用ながら笑って見せた。

「ありがとう…!」

そして。

褐色の肌に黒く艶やかな短髪。はためく白いマントと揺れる羽根。
手に持つは機械仕掛けの弓。

「なんで連れてきてしまうん!?ワシ、どう言い訳したらええんや!?」
「あ、あはは、ごめん…」
「ごめんで済むかい!あーもう!あーもう!アンタってお人は〜〜〜〜!」







その日、正宗白鳥は転生した。
その報で図書館の上から下までおおわらわ。

「織田〜〜〜〜!よくやった織田〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「ちょ、酒クサ!離れて!ホンマ離れろやちょいもう!」

酔った花袋に絡まれる織田は流石に声をあらげてしまった。自分の功績ではないそれだから居心地が悪いということもあるのかも知れない。
けれどまぁ、背中を押したのは自分だし栞も己に配分されたものだ。半分は自分のおかげといっても過言ではないのかも知れない。

「……おい、」
「ん?」

きょろきょろと周りを見渡した白鳥が隣にいた独歩に問う。

「秋声は? 見当たらないが…」

酒宴の主役の言葉。それに騒がしさは波のように引いていった。

「……あー、あいつは」

花袋が気まずそうな顔をしていたが、その横で織田は顔を青くしていた。
それを見た者はきっと白鳥だけだろう。皆が一瞬にして通夜の席のような面持ちになって視線を遠くにやっているのだから。

「あいつは、いない。なんか知らないけど、この図書館には転生しないんだってさ」
「転生しない…?」

怪訝な顔。なんだかんだと秋声と白鳥の仲が良かったことを覚えている。
花袋だって、彼を親友と言えるくらい仲が良かったし、今、ここに秋声がいないことが悲しい。
悲しい、けれど。
来たばかりの彼にそんな顔を見せてはいけないだろうと無理矢理に口角を引き上げた。

「そう。助手のクロって奴には会ったか?そいつが言ったんだよ。ここに…あー、うん。“秋声はこない”って」
「………」

花袋の言葉に白鳥は口をつぐむと彼をじっと見詰めた。
花袋は例え伝言でも秋声を「いらない」と称したくなくて大分マイルドな表現にしたが、真意を探る白鳥の前で悪意はないが緊張して小さく息を飲む。

「お前は、それで納得したのか?」
「……する訳ないだろ」

低く押し出された声。普段陽気な男から出たというには驚く程に不機嫌を孕んでいる。
白鳥は立ち上がった。

「そうか。ならいい」
「おい。どこ行くんだ」
「部屋に戻る。…十分付き合っただろう。後は勝手にすればいい」
「あっ待て!ああ、もう…」

自由気ままなのは昔と同じだ。今は余程に無愛想となったが、変わらぬ様子に呆れながらも笑いが込み上げる。
どかっと椅子に戻った花袋に横からずいっと杯が渡される。独歩であった。

「お疲れさん」

受け取った杯に逆隣の藤村からとくとくと酒が注がれた。
普段であれば「フラれてやんの」などと笑う彼らがなにも言わないのは、共に同じく虚しさを抱いているからだろう。単純で純粋な労いの献杯をありがたく花袋は受け取るとくっと喉を潤した。
辛口の日本酒は花袋の好むものではなかったが、すっきりとした飲み口の割に強く喉を焼くアルコールがもやもやとした気分を洗い流してくれるかのようで心が透く思いであった。
は、と小さく息を吐く花袋にもう一杯と注いでは注いで、注いで、注いで。
その日、花袋がどうなったかは言わないでおこう。






「お前はなにを考えている」
「……急に来て、一体なにさ」

歓迎会も盛り上がっているだろう時間の主役の訪問にクロは眉を潜めた。
白鳥はそんな彼の胸ぐらを掴もうとするがそれはするりとかわされる。

「はぁ。まぁいいさ、入るなら入って。入らないなら帰って」
「……入る」
「そう。残念なことにお茶はないよ」
「別にいい」

そんな問答の末に入ったクロの私室は白鳥が宛がわれた部屋よりもずっと狭いものであった。

「狭いな」
「まぁね。居住区以外に住めるところといったらここくらいだったんだ」

壁際に並ぶ本棚と天板が折り畳み式の机。こちらは畳まれることが想像できない、乱雑に紙の積まれた状態であった。備え付けらしい武骨な椅子にはどこか可愛らしいクッションが重ねられている。
そして申し訳程度のワードロープと一人分の寝台。元はリネン室だかに使われるような小さな部屋だ。
クロは行儀悪くも寝台へ飛び乗り座ると両足を伸ばした。

「話ってなにさ」
「言っただろう。お前はなにを考えている」

かつ、と音を立てて白鳥は寝台へと歩み寄ると、クロの頭、かぶりっぱなしのパーカーのフードを引っ張り剥いだ。

「──秋声」

切り揃えられた後ろ髪に反して伸びっぱなしの前髪から覗く色味のない灰色の目。
白鳥の手を拒まなかったクロ──秋声は、そのまま背から倒れ込む。

「その調子じゃ、まだ誰にも言っていないようだね」

白鳥は、勿論クロが秋声だということは分かっていた。彼を連れてきたのが秋声だからだ。
有硯書にいる間、秋声は姿を偽れない。
長弓をつがえた着物の青年。色を混じらせない灰色の目。腰にはためく紅葉の羽織。
その姿を見て、彼を「徳田秋声」だと思い付かない者がいる筈がないのだ。

「何故、隠す」

寝乱れた髪は普段隠しているその額も瞳もさらけ出しており、白鳥の鋭い瞳に負けず見返している。

「聞いて、どうするの?…まぁいいさ。僕は、僕になんてなりたくなかったからさ」
「なりたくない?」

問い返す白鳥に、秋声はふてぶてしくもごろりと横向きに転がり、頬杖をつく。

「そう。僕は、前で満足していたんだ。前で絶望していたんだ。もう二度と僕を生きるなんてしたくないと思ったのに。生まれ変わるなら蛙か牛にでもなりたかったね。
でも、気が付いけば無理矢理起こされて。僕が僕のままニューゲームだなんて笑えないね」

酷く不愉快そうに秋声は吐き捨てる。
それは白鳥も少なからず思ったことであった。侵蝕者だか知らないが、後世のことは後世の者が対処して然るべきであろう。例えその著者の作品が奪われるとしても死者に一体なにを期待しているだ。
しかして文豪とも称される偏屈者たちは、自分の領域を侵されるのが大嫌いな為、呼ばれたらつい来てしまうのだから仕方がない。
それに──懐かしい者につい釣られてしまう者だって確かにいた。

「……お前は何故、そう思っているのに俺を転生させた」

誰の呼び声にも応えようとしなかった白鳥がついと心動かしてしまったのが秋声だ。独歩や花袋、紅葉、犀星…多くの知人の迎えをも断ったというのに。
それなのに当の本人がその正体を隠しているなど何の喜劇か。

「自分はやらないが他人にはさせる。いいご身分だな」
「……君、そんな性格だったの?」
「秋声!」

詰問に首を傾げた秋声に、おちょくられたと感じて白鳥は声を鋭くする。

「はいはい分かってるから。だから名前を呼ぶのはやめてくれないか。君は、僕の意思を尊重する気があるのかないのか分からないね」
「……」

肩を竦めた秋声を白鳥は睨み付ける。

「君はさ、結構愉快な人のように思えたけれど。あまり随筆は当てにならないのかな?それとも君も、この転生でどこか歪んでしまったのか…」

秋声が一人言ちた言葉に白鳥は首を傾げる。彼の言葉はまるで他人事のようだ。確かに秋声と白鳥はその昔に誼を結んでいただろうに。浅からぬ仲の筈なのに、どうしてかその評が。
怪訝な白鳥を察してか、秋声はにんまりと笑った。彼らしからぬ、どこか投げ遣りな。

「君を転生させたのは確かに僕だ。“徳田秋声”という符丁で君が来るのか知りたかった。欠けた“僕”が埋まるかも知れないと期待した」
「──待て、お前はなにを言っている?」

彼の言葉の不穏に頭が混乱する。
彼はなにを欠いたというのか。なにを以て欠けたというのか。
無造作に投げ出していた脚を動かし彼は立ち上がった。狭い部屋だ、小柄な秋声とはいえ男がふたりいるには圧迫感がある。
半ば叩きつけるように。
けれどそれよりは少しは優しく。
秋声が白鳥の胸ぐらを掴んだ。

「この図書館の“徳田秋声”の記憶は欠けている」

一歩後退る白鳥に秋声は同じ一歩を踏み出して囁いた。

「……いや、どうやらどこの図書館でも多かれ少なかれあるらしいけどね。“僕”は“皆”、記憶が足りない。その中で僕は一際らしいよ。
僕は僕が文豪であることなど分からない。僕が知っているのは、知ったつもりでいるのは──本で読んだことばかりさ」

そう言って指し示すのはこの狭い部屋をより狭くしている本の数々であった。そしてそれをよく見てみれば、それは彼の著作を始め、転生された文豪それぞれの全集や纏わるものが所狭しと並んでいた。
それは彼の努力の爪痕だ。
自分が自分である為の証明を探している男は、どんと白鳥を突き放す。

「だから僕は──」

曖昧に歪んだ表情は笑おうとしたのだろうか。
大切な人と共に在るが為に、居場所を探して足掻き続ける男は言いかけた言葉を飲んで「いや」と首を振る。
何故、彼が正体を隠すのか──それは。

「僕はクロ。“徳田秋声”になれなかった“失敗作”さ」



この図書館に相応しい“徳田秋声”なんて、いないんだ。















191125

ということで「徳田秋声のいない図書館」の話です。
由緒正しい(?)あとがきという名の補足だよ。

誰よりも自分のことを徳田秋声だと理解しながらもそうである証拠(記憶)がない秋声。
例えば、花袋とのお誕生日会のことや、火鉢を飛び越えた兄弟子の表情ひとつ思い出せない。けれどあったことは知っている。独歩の見舞いに行ったのはいつだったか誰とだったか。
仲直りの場を設けるのに必死になったことは覚えているのに、まるでその感情がわからない。
恩師や親友、盟友、先達と後輩たちに相応しい自分、本当の徳田秋声でいたいのに、自分が偽物にしか思えない。
そんな、足掻いて足掻いて足掻き続けて、逃げてしまったのにも関わらず捨てきれなかった秋声さん。

文豪の傍にいていつか記憶が戻る期待と、もしかして花袋とかが見つけてくれないかなともきっと無意識に思ってるんじゃないかな。

兼業司書はあまり文学に明るくなく、それなりに錬金術師としての才があるということだけで政府直属の……テスターのような感じ。
本業審神者なので文豪に執着したりしないことを評価されているし、それなので正直あまり興味がないから秋声の好きにさせてくれている。
初期刀はまんば。卑屈スキーかよ。
※作中チラ書きのシロがまんば

例えば今回題材に挙げた白鳥の転生も、一般錬金術師に配布される前のテスターとして資材などある程度融通されている。
複数いるテスター達で一定の結果を得られれば一般にも交付される方式。

秋声のことを知っているのは初期文豪のオダサクのみ。
バグ対応でしばらく二人きりだった時にぶっ壊れかけた秋声を見て庇護欲と独占欲が沸いた。「徳田秋声」だからではなく彼の人間性を好んでいる。

今後白鳥は「ここはうるさくない」「あちらは絡まれて嫌だからこちらの方がマシだ」とオダサクと秋声のふたり専用状態だった助手室に入り浸る。勿論秋声を気にかけているのと、知ってしまった罪悪感で花袋たちに顔を合わせにくいと思ったり思わなかったり。

入り浸る白鳥の話、花袋メインで正体バレ話、まんばと秋声のクロスオーバーの小話もあるんですがいつか書きたいですね。
バレはハッピーエンドですよ!存在が虚無だけど!



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