鏡花と秋声の話
※鏡花に優しくない話です。苦手な方は注意してください。









「うるさい!鏡花のバカ!」
「なっ!?兄弟子に向かってバカとはなんですか!バカとは!」
「うるさいうるさいうるさい!鏡花なんかもう知るものか!ついてこないでくれ!あっちいけ!バーカ!」

廊下の奥から聞こえてきた口喧嘩が近づくにつれ、とんでもない幼稚な言葉の応酬だと知れて談話室の中で誰かが呆れた笑い声を上げた。
興味本意で覗いてみれば、先行く秋声を追う鏡花との競歩大会の真っ最中であった。あっちに行けといいつつも自分が鏡花を振り切って走り出した秋声に、あ、と手を伸ばすも、結局は鏡花は立ち止まって去り行く背中を見送った。

「あーらら」

困ったように花袋は頭を掻く。あの友人知人の喧騒はいつものことだがやはり気になるというものだ。
同様に気にしていたのだろう中島が談話室から顔を出して、廊下で俯く鏡花に気遣わしい視線を向けている。
鏡花は紅葉を最早神のように信仰しているが故に、然程、交遊関係は広くない。その分、深くなっているようにも見えるが。
であるから、ぽんと中島の背を叩いて「泉は任せたぜ」と笑う。
逡巡し、けれどこくりと頷いた中島に後を任せ、花袋は消えた背中を追うことにした。







なんとなく予感がして、花袋は図書館へと足を向ける。そこは図書館の最奥にある小さな休憩スペースだ。
そこは「秋声の巣」とも呼ばれており、彼が私物化している司書公認の秘密基地であった。
閉館しているとは言え辺りは非常灯でそれなりに明るい。ひょこっと奥を覗けば、案の定、ソファの上に丸くなった背中が見えた。
暗い中、彼がいつも腰に巻いている羽織を頭から被ってソファに上がり込んでいるらしい。

「よーお、秋声」

努めて明るい声を上げて、花袋はソファで背中を丸める秋声の頭側の肘置きに腰を掛けて、下にある艶やかな黒髪を掻き混ぜる。

「あっちにいけって、お前、仮にも文士だろーが?」
「…うるさいのは、鏡花だけで十分だよ」
「ほんとかぁ?」

余りにも拙い言葉を咎めて見せれば、秋声の拗ねた声音が返ってくる。つまりそれは自分への親しみ故の甘えだと花袋は自覚している。だから揶揄に高く声を上げた。
むっつりと黙りこんでしまった秋声に嘆息し、またわしわしと彼の頭を撫でてからそっと天井を仰いだ。

「…お前さ、前世の時はあんなに泉と仲直りしたがっていたのに、今はどうしてやり直そうとしないんだ?」

それは最近の一番の疑問であった。知人に仲介を頼み、失敗して、でもまた頭を下げて、匙を投げられ、それでも諦めず。話を聞いた花袋はよくやるものだと呆れたものだ。
それなのに今生となれば、避ける、つれなくする、明らかに意識をしていることは見てとれるのにあからさまに距離を取る、という不可解な行動が多い。

「好きだろーお前。泉のこと。いいじゃん、新しい人生をさ、やり直しに費やせば」
「どうして僕がそんなことをしなくちゃいけないの」
「どうしてって、」
「無駄だもの。……どうせ、僕たちは変われないのだから」

もぞ、と秋声が体を起こす気配がした。ちらとソファの上で膝を抱えている姿が見える。
嗚呼、と理解する。この暗闇が。自分の背中が、彼の重たい口を割らせているのだと。だから花袋は、違わず視線を逸らしてその背ばかりを彼へと向けた。

「この二度目の生を以てして、極致、僕たちは交わることがないのだと理解した。僕は鏡花のように先生を神格化して崇めようとは思えない。…感謝はしているけれど。そして、あいつは、僕がそう出来ないことを怒るだろう」

だから、無理なのだと。
諦めの滲む声が言う。同じ命を思考を持ってしまったが故に、同じ過ちを繰り返すことが決定付けられているのだから、ならば距離を取ろう、と思ったのだと。
傷付け、傷付き合うくらいならば、忘れ去られてしまった方がずっと楽だと。

「僕が、あいつの望む振る舞いをしてみたらどうなる?そんなもの僕じゃない。じゃあ、あいつが僕が望む振る舞いをしたら──そんなもの、僕が知る鏡花じゃない。
僕たちが僕たちであるなら、反目し、対立し、いがみ合うのがその性質なんだろうね。僕が知る姿形だけでなく。僕の知る彼の精神まで変わってしまったら……それは、僕たちが僕たちでないという、自己認識の崩壊にしかならないよ」

自分が自分である証明。
自分を捨ててまで相手に合わせるという変容をどうあっても秋声は許容できない。
それは即ち、筆を折ると言うことだ。書を捨て作風を捨て、前世を捨てて。なにもかもをなくすということだ。
それが出来ようものならば前世で苦労などしなかった。まさか貫き通した意思から大成し、今なおそれを基にした戦力として必要とされている現状で、それを捨てようなど許される筈もなく。

「まぁ、一番は僕がしたくないってだけだけど」

形だけ相手の意に沿わせた、波風立てない対応だって出来ないことはないのだ。けれど──そうやって、鏡花の意志を蔑ろになんて出来なかった。
彼が真正面からぶつかってくることが嬉しいと感じてしまう自分が、中途半端に言葉を買ってしまうから。それがみんなに迷惑をかけてしまっていると理解しながらも、意地っ張りなこの心はそうとしか鏡花に向かっていくことが出来ない。

「……ごめんね、花袋」

人生が終わった後も秋声は、鏡花を無視することなんて出来ないのだ。鏡花が秋声を忘れ果てたらいざ知らず。秋声からなど以ての外。
折れたくないのだと言って、冗談めかしたように秋声は軽く笑って見せた。
からからに乾いたそれはすぐに止んで、はぁ、と重たい溜め息を吐く。

「……どうして、僕たちは同じモノを繰り返すのだろう。同じことを繰り返すのだろう。もしも僕たちが僕たちでなければ、きっと仲良く……なれた未来もあった筈なのに」

洋墨の流れる体に引き継いでしまった因縁。

「どうして、あいつはあいつなのだろう。生前、あんなにも僕を避けたのに──どうして今更、僕を気に掛けるの……どうして、放っておいてくれないんだろう」

再会できたその喜びは確かにある。けれど同じくらいに──ようやく終わったと下ろした荷物を強制的に持たされているのと変わらないのだ、現状は。
鏡花が生前と同じく、秋声をないものとしてくれていたら良かったのに。
そうすれば、怒鳴り合うこともなかった。適度な距離を取り、適切な他人行儀で、ただ秋声が少しばかり胸を痛めて、それでおしまい。
秋声はそれでよかった。
今度こそそれで良しとしたのに──何故、どうして。今更態度を変えたのか。この歪な転生による弊害だろうか。
生前の人格との差異を穿てば、自身の自己認識も揺らぐ、正に奈落の底へと入り口だ。
変容させられた鏡花は秋声の望むところではなく。
その恐怖がいつも、あの秀麗な顔を見る度に秋声の心を凍らせる。
抱えた膝に額を強く擦り付けた。

「お前……この二度目は、嫌だったのか?俺は、お前とまた会えて嬉しかった……」

その言葉に秋声はハッと頭を上げた。視線の先、丸くなった花袋の背中。
秋声の言葉はまるでこの二度目を歓迎していないように聞こえて、花袋はそう呟いた。ぶらぶら、意味もなく揺らした爪先を眺める。
若くして亡くした、親友との再会。
置いていってしまった友人たち。
世に生まれては消えていった沢山の人と文学。
平和な時代という知らざる筈の歴史。
それら全てが花袋の心を揺さぶったのに──それに心を痛めている人がいたとなれば、それが己が友人であったとなれば、知らずにいた自分が恥ずかしい。
理解してやれなかったこと、ひとりだけ浮かれていた現実──けれど偽らざる本心の吐露は、彼の偽らざる真っ直ぐな気持ちは、いつだって秋声の心を軽くする。
秋声は今度こそ本心からの軽やかな笑い声を上げて見せた。

「はは、当たり前だよ花袋。僕も、花袋や島崎、国木田に川端さん──勿論、鏡花や先生も。また再び出会えたことに感謝しているんだよ」

覚えていなくとも。
忘れて欲しくても。
改めて、手を取り合って仲良くなれる人がいることがとても嬉しい。儚く散った人が元気に健やかに過ごせること、一介のファンとしてその著作を待つ喜びを持てるのがとても、嬉しい。
丸くなってしまった花袋の背中に秋声はとんと頭を押し付ける。

「僕は、君のそういうところを気に入ってるんだ。知らなくていいことは無理に知ろうとしなくていいんだよ。君が君らしくあれば、それだけで僕を救ってくれる……。
きっとまだまだ…君たちには迷惑をかけてしまうけれど。いつか、折り合いがつくだろう。お願いだよ、花袋。僕を見捨てないでくれ」
「……見捨てるならここにはいないってーの。友達だからな、助けてやるよ」

悲しい目標を立てた友人は、なんて馬鹿なのだろうと花袋は思う。
観察力が売りの作家だが、前世、問題の兄弟子と上手くいかなかったのはその執着故だろう。
しかして今生、その執着を捨て去ろうとする秋声に対し、紅葉という接点と同図書館在住という距離の近さが悪さをする。………ままならないものだ。
秋声の言う通り、彼が彼で有る限り、交わらない不毛さ。
諦めるべきか、諦めざるべきか。それは花袋にわからない。わからないが──その結論を秋声が軽く出した訳ではないことだけは分かるから。
秋声の苦渋が分かるから。
ならば仕方があるまいと、この、人付き合いが苦手な男の味方を決意する。
わしわしと背中にある頭を撫でてやればもっととねだるように頭が押し付けられる。
秋声は鏡花が大好きだ。彼の人生が鏡花の導きで始まったのだから尊敬して感謝して然るべきである。幾分か後ろ向きのこの決断だって──結局は鏡花の為のものなのだから。
嫌われること、忘れられようとすること。それがどれだけ苦痛かは知らないが──鏡花を無視し切れない程度には心残りもあるのだろうと推測は容易だ。

「あーあ、お前らほんと馬鹿だよな」

遠く、遠くに微かにだが、とす、とす、と。カーペットを静かに叩く足音がする。
それに秋声が気付かないのは、気付きたくないからだろうか。それとも、彼が、ここに来る筈がないと信じているからだろうか。

(でもな、願望と現実は同じじゃないぞ、秋声)

その足音が誰のものだかは花袋は分からない。それでも、件の兄弟子が気にかけて来てくれたのならいいなと願う。
秋声の考えを聞いて、乗るか反るかは分からない。でも、一人だけで考え込むよりはずっとずっと良いのだろう。

「秋声、帰ろう。ここは寒い。藤村のところへ行って熱い茶でも貰おうぜ。あ、珈琲なら独歩かな」

くるりと背を翻し、花袋はもそっと秋声を覗き込んだ。にっと笑う花袋が見た秋声は思った程に酷い顔などしていなかった。

「……ここは花袋がなにかしてくれるところではないの?」
「んー?それ言っちゃうか?俺のとっておきの茶菓子が食べたいのかー?」
「なにそのおかしなテンション」

くすくす秋声は笑い出した。朗らかなそれに安心して、その腕を取って立ち上がらせると先導して前を歩き出す。

「この前司書に貰ったんだよブランデーケーキ。日を置くとまた違う風味になるとかで、楽しみに取っといたんだ」
「へぇ、本当にとっておきなんだね。いいの?僕たちに振る舞っちゃって」
「いいさ。美味しいものは皆で食べるのがいいんだから」

さてと、今から独歩を訪ねてそれから藤村の部屋に赴こうか。きっと珈琲よりも紅茶がいい。三人を部屋に押し込んで、そしたらお待ちかねのケーキ入刀──

「あ、俺ナイフ持ってないな。藤村持ってるかな」
「知らないよ。…なかったら、僕の部屋にでもするかい?君らが入り浸るからね、大抵のものを揃えてしまっているんだよ」

押し掛けるのは心苦しいし、と秋声は提案する。入り浸る彼らの為に部屋に置いている茶器は8つ。自分達の分とに加えて来客用だ。来客用、と分けるくらいには彼らは入り浸ってくるのだ。そんなだから、図書館に秘密基地を作っているわけである。ちなみに秋声の部屋には皿や猪口や割り箸に使い捨てのスプーンさえも揃った至れり尽くせり振りだ。
なんていいながら居住区を行くも、藤村も独歩も部屋にはいない。なんというタイミングだろうかとしょぼくれながら、花袋が大事にとっておいたブランデーケーキと共に秋声の部屋へと向かう。

「お、おっかえりー!遅かったな!」

開けた扉の先、キラッキラの笑顔で言うのは独歩である。傍らには電気ポットから急須へ湯を入れる藤村の姿が。
改めて確認しておこう。ここは秋声の部屋だ。

「尋ねるのも癪ではあるけどね。君たち、一体ここでなにをしているんだい…」

脱力した秋声が頭を抱えながらにそう問い掛けた。
ふたりはこたつに向かい合って入り込み、ぬくぬくと持ち上げたこたつ布団に顔を埋めている。ついでに、秋声が用意していた茶菓子の煎餅を食い散らかしている。

「秋声、また泉と喧嘩したんでしょう…?」
「だぁかぁら、へこたれてるだろう秋声クンを慰めてあげようってここで待ち構えてたワ・ケ」

随分遅かったなぁ、と笑う独歩はばりっとまた新しい煎餅を開けながらそう言った。慰めるとは一体なにか。
しかし怒るにしても、そうやって自分が理解されてしまっているという現実がくすぐったくて、くすくす、秋声は軽やかに笑い声を上げた。

「君たちには敵わないよ。ね、慰めてくれるというのなら、なにか美味しいもののひとつもあるのだろう?」
「なんだと秋声。俺たちの顔見れただけで十分慰められただろー?ほら、酒。独歩さん秘蔵の辛口」
「僕からはこれ」

さっくりと手のひらを返した独歩が背後から取り出したのは一升瓶。藤村が取り出したのは甘い干菓子だ。
それによしよしと笑いながら、戸棚の上からひとつの箱を取り出して定位置に敷かれた自分の座布団に腰掛ける。

「それじゃあ、僕からはこれかな。紅葉先生が溜め込んだお茶菓子のひとつだけれど」
「またかあの人は。いや、また取り上げたのかお前も」
「そりゃね。健康管理も僕の仕事さ」

そういって肩を竦める秋声の顔はいつになく晴れ晴れとしていた。

「…なんだか秋声、元気だね?」
「まぁね、いい友達を持ったからなぁ。あ、ほら、藤村。お茶を入れてくれないかい。まずは花袋秘蔵のブランデーケーキからいただくとしよう」

てきぱきと花袋から受け取ったそれにナイフを入れて小皿に移して配る秋声の機嫌はすこぶる良さそうに見えた。
普段なら言わない嬉しいことをさらっと言いのけてさらっと流していることを思えば、それは彼の照れ隠しなのかもな、と残りの三人は目で会話をしてうっそりと笑う。
ブランデーケーキは、甘い生地に苦味と風味の良いブランデーがたっぷりとかけられており、ほろほろ、口の中で溶けていく。
なるほどこれは上物だ。誉められて花袋はへへんと鼻を高々に笑って見せる。
はてさてそうして──今日も秋声の夜は更けていくのであった。









失ってから追うのと、諦めて手放してから追われるのと、どちらがまだマシと言えるのだろう。










181029

秋声の巣の設定を下敷きにしています。時間軸はこちらの方が後ですが完成が逆になってしまったので。
ようやく更新できた。

当館では鏡花と秋声がにこにこおてて繋いだ仲良しになる、という予定は今のところないですね

花袋は秋声にとっての救いです。
この話の秋声の決断も、もしかしたら花袋がいるから踏み切れたのかなと思っている。何があろうと味方になってくれるって思える人がいるからこその決断。

巣作りの方でもちらと書きましたが、この秋声の巣設定での人生相談シリーズ作ろうかとも思ってたんですけど書きたいところは全部書いちゃったのでシリーズ化はしませんが増えたらごめんちゃいやで。



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