一、お疲れ徳田と自然弓

その日、午後一番の潜書を終えた独歩と花袋、そして藤村は食堂へと向かう道を歩いていた。30を目前とする独歩と花袋、40を目前とする藤村とで所属する会派は違うもののたまたまほぼ同時に終わったところなのだ。
彼らの後ろには独歩たちと同じ会派の太宰と犀星、藤村と同じ会派の志賀、小林、石川も続いているが、やはり藤村たちはつい花袋や独歩やといつもの面子がいれば集まってしまうと言う習性があるのだ。

「あ、秋声」

ふと前を歩く助手組、秋声と織田を見留めて藤村が声を上げた。背後では太宰が同じ無頼の一羽の名を呼ぶ。

「島崎。に、花袋に国木田。お疲れ様。珍しいね、2会派一緒に終わったのかい?」
「そうそう、俺たちはボス手前で逸れちまってな。んで、藤村たちは最初の別れ道で逸れちまったんだって」

時間差でそれぞれの会派が潜書していくものの、場合によっては今花袋が言ったように同時終了ということがあるのだ。
そう立ち話をする間、じっとなにやら藤村は秋声の顔を見つめて、そしてぐるりと彼の周りを歩き出す。

「……島崎。一体なに、」
「ていっ」
「うわあっ!?」

不審な行動をする藤村を暫くは放っていたものの、流石に三周目となれば秋声のみならず花袋と独歩も苦笑を禁じ得ない。堪らずに秋声の掛けた声を皮切りに、藤村は動いた。
──そう、秋声の背中に飛び付いたのだ。

「な、なにをするんだよ君は!?」
「んー」

秋声の慌てた声になんだなんだと織田も彼と話していた太宰も、そして先に行っていた志賀たちもまた振り返る。
しかし藤村は要領得ない音をこぼしてぎゅうと秋声の体を締め上げるのみ。

「……なぁんかは知らない、け、ど。俺も仲間に入れてくれよな!」

そんな不可思議なものを前にしたら黙っていられない人がそう声を上げた。言わずもがな分かるだろうが敢えて言おう──独歩だ。
彼は背後の藤村を気にかけるあまり隙だらけの秋声の胸へとどーんと飛び付いた。いや、胸へととは言ったが身長差的には小さい秋声が独歩の胸に押し潰される形となるのだが。

「うぶ、なんで国木田まで…!」
「あっはっは!なにかは知らんが、楽しそうだったからな!」
「えーっ!なんだよソレ!俺もやるぞ!」
「バ、花袋!君まで混ざったら、…………あああああ!」

前と後ろを独歩と藤村に挟まれた秋声の必死な叫びはしかし、ちょっと疎外感を感じてしまった彼には届かなかった。
その普段から前後の人より勢いのあるその人は、隙間を求めて横からゴスリ。
秋声の悲痛な悲鳴と共に、三人は床へと転がった。

「全く、よくやるなぁ」

そう言った志賀は笑ってる。いつもの4人のいつもの話だ。微笑ましく笑う犀星と小林、呆れた顔の石川。先に行くぞと改めて声を掛けると志賀は彼らを促して食堂へと向かっていく。
なんだかんだと要領の良い藤村と独歩が花袋が飛び込んだ瞬間に真ん中の秋声を残して横にずれた為に、彼を一番下にして藤村、独歩と折り重なり、その上に花袋が乗る状態であった。可哀想としか言い様がない。

「うぶぶ、おもい、君たち、早く、退けてくれ…!」
「あっはっは」

ぺちゃんこになった秋声に返る笑い声。しかしきちんと退けてくれた三人はそれぞれ床に座り、よろよろとやはり床にへたりこんだ秋声は深々と溜め息を吐いた。

「あっは、大丈夫でっか秋声サン。えらく見事に潰れてはったけど」
「大丈夫じゃないよ。全く、君たちね、本当になにをしてるんだい」
「さぁ?」
「さぁ?」
「だろうね!」

あわあわしている太宰の横で座る秋声をつんつんとつつく織田の手を払い、元凶3人を睨み付ければ、便乗犯ふたりがこてんと首を傾げた。そうだよ君たちはそういう奴だ。
さても何の意味なんてないと言われる覚悟さえ持ちながら、元凶の元凶、諸悪の根元の双葉を見れば、彼もまた花袋たちと同じくこてんと首を傾げてみせた。ああーこれは一番虚しいやつかも知れない。じんわりと秋声の胃は重くなった。

「秋声、体調悪い?」
「へ?」

しかし思わぬことを言われて間抜けな声が出てしまう。

「は?なにを…」
「なんか、顔色が悪くない?大丈夫?」
「……だい、じょう、ぶ」

ぎゃんと吠えかかった勢いは最早なく、きょどきょどと狼狽えながら秋声は頷いた。
悪戯とか、なんとなくとか、そんな意味でのお遊びではなかったのか。まさか自身が気遣われるなど露とも思わず秋声は忙しなく頬を掻く。

「えっなに、秋声サン体調悪いん?そんならはよ言ったってや。お仕事無理にするこたあらせんやん!」
「そーだぞ秋声。俺はよく分からないけど、よく気が付いたな、藤村!偉いぞ!」
「いや、別に体調悪いって訳じゃないからね!?」

心配そうに頭を撫でてくる織田の手から逃れつつ藤村を見れば、彼はされるがままに花袋に撫でられ頭がぐらんぐらんに揺れている。

「えっと…島崎はどうしてそう思ったの?」
「ん…?君、顔色が少し悪いよ。くまもある。それに、最初に僕が君の周りをぐるぐる回った時、いつもより怒鳴り出すのが早かったよ」
「……ごめん、なんだか気持ちが悪いよ」

データを取っていたのか、なにかと比較するような藤村の言葉に秋声は引いた。

「確かに、先日潜書してから侵蝕の修復を受けていないから少し調子が悪いかなとは思っていたけど……」
「は!?」
「はぁ!?」

思い当たる節を呟いた秋声に反応したのは織田と花袋だ。彼らは眉を吊り上げて秋声に詰め寄った。

「秋声サンが最後に潜書しはったん、一昨日ですやろ?なにしてはるん司書サン!?」

秋声はもうカンスト間近で最近では高難易度の潜書だけを担当している。それは織田も同じで、もっぱらが助手業務だ。今は中堅の中では練度が一番高い島崎たちがメインを担っていて、彼らが「ほととぎす」といった高難易度に挑めるようになるか、それともカンストが先か、のデッドレースの様相である。

「補修ベッドが三つしかないだろう?僕の侵蝕は三割程度だし、後でいいと司書さんに言ったんだよ」
「いやいやいや、でもそれ一昨日の話ですやん?」
「高難易度攻略だけが今の僕の仕事だから。別に耗弱している訳でもないから大丈夫」

カンスト間近会派は秋声と織田の他に川端、中原がいるが、回避の鬼である秋声を除く彼らは被弾しやすい。そうすると自ずと秋声が順番を譲ることになるのだが──どうやらそれが今回の原因らしい。少しの侵蝕でも高レベルになると時間と洋墨の消費が激しくなる為に普段から効率を優先して長時間を推測される者は潜書を行わない深夜にかけてが補修時間とされているのだ。後回しにされてから忘れられてしまったのだろう。
申告をしない当人が悪いと言うこともあ──

「それによくあることだし」
「………」
「………」
「………」

絶句、とはこのことである。花袋や織田は勿論、独歩に藤村、太宰までもが目も口も丸くしている。
つらっと言った秋声は全く気にした様子はないが。

「…ちょっと司書シメてくる」
「ワシもご一緒させてもらいますわぁ」

ゆら、と立ち上がったのは花袋と織田──何を隠そう、当図書館において一、二を争う秋声モンペマスターズである。

「待って待って!どうしたの!?」
「どうしたもこうしたもあるかい!マイスイートハート庶民派同盟名誉会長である秋声サン蔑ろにしてはるて聞いて、黙ってられるかい!」
「僕がそのなんかよくわからない同盟の名誉会長にいつ就任したかは知らないけど、織田くん、落ち着こう!?」
「落ち着けるかよ!侵蝕が三割もありゃ結構きついだろ!それを二日も放置して……!」

侵蝕とは心身を蝕むものである。耗弱や喪失にならなければいいというものではないのだ。分かりやすく言うなら一割程度であれば自覚できる疲労感が残る程度であろうが、三割にもなれば言わば風邪の引き始め、ぞくぞくとした寒気や軽い頭痛──個人差があるだろうがそういった類いの不調があると言える。
それが戦いの中の数時間であればまだどうとも誤魔化せないこともない。けれど、戦いもないデスクワークをこなす平和な日常の中、軽い風邪程度であろうと頭痛などの不調を引きずって生活するのは──きっと、辛かった筈だ。地味に。
薬を飲んでも治ることはなく、治すには司書の手により補修を受けるより他にはない。先に秋声が言った通り、隔日にある特別有碍書の高難易度でしか出番がない秋声ならば、日々繰り返し潜書をする後進たちにベッドを譲るべく自身のことを黙するだろう。
しかし!それでも!
司書ならば!文豪を管理する者ならば!
──きちんと気を配れバカ!!!
憤然と肩を怒らせて歩くふたりを宥めようとしてその手を掴んだ秋声は、しかし逆に捕まえられてずるずると引きずられていく。

「あれ、ちょ、」
「秋声は今日は休みだ!これから司書に治してもらって、そしたらなんかいいもん食いに行こうぜ!」
「勿論、司書サンのカネでっ!」
「そうだね。事情を話せば皆分かってくれるよ」
「今日は皆でストライキだな!」

引きずられる秋声の背を押した藤村がそういうと、織田の隣についた太宰が笑う。

「じゃーあ、俺は皆に根回しでもしてくるかな」

花袋の隣に並び、手帳になにかを綴りながら独歩が一言。彼のことだ、一時間以内には貼り出されることになるだろう号外の文面でも考えているのだろう。

「…君たちね、大袈裟だよ。僕なんかに…」
「秋声は自分のこと“なんか”っていうけど。それ、俺たちが同じ状況でも言えるか?」
「………」

切り返されて口をつぐむ。自分ならばどうとも気にしないが、確かに、同じ状況に誰かが陥っていたら秋声だって黙ってはいられない。

「それに秋声が勝手に我慢していたことが、もし万が一にも皆に強いられるようになってしまわないように。余計な前例なんて作っちゃダメなんだよ」
「……!」

些細でも犠牲に慣れてはいけないのだ。後進の為、未来の為。それは腐敗の呼び水となる。
そこに考えが至らなかった秋声は、花袋の言葉にはっと目を開き、次いでしゅんと肩を落とした。

「ごめん…僕の考えなしの所為で…」
「ああ、落ち込むなって。やり方は悪かったけど、秋声だって皆を気遣ってのことだってのは分かってるから」
「弱者の為の強者の潔癖。俺は…カッコいいと思いましたよ…!」

きらきらと輝く目で太宰に言われて秋声はうっと呻く。彼の言う解釈は秋声の行動に釣り合わない。卑屈のそれを評価されてしまうと心が苦しい。

「そーれーに、調速機に洋墨に、資材はたんまりあるんだ。ケチる司書が悪いだろ」
「あ、あはは…」
「へへ、ちょお、トラウマ思い出してまう…」

資材のことを言われて古参組は顔を引きつらせた。独歩の言う通りに、今では資材は十分にある。けれども、当初の実績ゼロ時代、ひどい困窮に苛まれた記憶を持つふたりには──それも庶民派とも言われる貧乏性のふたりには、あまり資材の乱用に忌避感を抱いてしまっても仕方がないだろう。
いきなり虚ろに笑い出した古参組を不思議に思いつつその足取りは軽やかで。

「……ありがとう、みんな」

照れたように笑う秋声を見て、皆もまた一様に晴れ晴れと笑う。勢い込んでぎゅうと秋声に皆が皆で寄り添って─────もみくちゃになってコケた、そんな麗らかな午後の一幕。



おまけ

「……ということでさ、大人しく補修受けるからストライキは止めにしよう?ね?」
「バカだな秋声、お前をダシに宴会したいだけだって」
「………ハハハ」

(秋声はガッカリしてるけど、勿論100%心配で、かつ、ついでにみんなでドンチャンもしたい下心)
(司書は単に忘れていただけで、子細を聞いて土下座号泣しながら調速機を使った。以降神経過敏気味になってしまったので侵蝕管理は森が担当している)
(このあと司書金でパーッといいもの食った)




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