庶民派+双璧+吉井ほのぼのラリパッパ
独自設定図書館の話が長い






「はーしんど」

そういって織田率いる第三会派は司書室へと帰ってきた。
織田は初期文豪として徳田に並ぶ高レベルであるが為に最近では潜書に出ることはなかったのだが、新参の顔触れが増えた為にレベリング部隊長として駆り出されていた。最近ではもっぱら書類に埋もれる日々であったが、それが夫婦剣を鈍らせることはない──のだけれど疲れるものは疲れるのだ。
なんて言ったって戦いを知らぬ者たちの指導者だなんて、謂わば幼稚園の先生と同じものだ。勝手を知らぬ彼らが怪我をしないように気を配り、代わりに傷を負うのも致し方がない。
だから、ここで出来た初めての相棒が、平素のあのちょっと卑屈な顔をほわっと緩ませて「おかえり」だなんて声を掛けられてしまったらもうダメだ。彼、徳田以上にへにゃへにゃと顔が緩んでしまう。
徳田はそんな織田をスルーすると、その背後でグロッキーになっている新参者たちにと目を向ける。

「初めての潜書、お疲れ様。補修室はちゃんと空けてあるからね」

三人──河東と高浜、吉井はそこまで難易度の高いところへ潜書した訳ではないので喪失や耗弱といったところまでの疲労はないが、半分程は削れているので疲れていることに違いはない。段階を踏ませるのが良かろうと初戦は耗弱をさせないように配慮する決まりなので──地獄はここからなのだが、まぁ、余計なことは言わないでおく。備え付けのソファに三人を促して徳田は補修室に行く前にと机に置いてあった書類入りファイルを手に取りそれぞれに渡す。

「でもすみません。疲労放置に置けるデメリット実体験も指導要項の内に入ってるので、暫くそこに座ってこれを読んでいてください」

これは疲労が時間に比例して起こす状況の一覧表だ。これはどこぞのチュートリアル文豪が疲労を隠して大騒ぎになったことがあった時に作られ、周りに配布されたものと同じである。徳田に限らず、そういったものを主張できない性格の者が複数人思い当たる為、司書以外にも森も管理に当たるようになったが、やはり自発的に出てきてもらった方が早いのだ。
その他に初戦に置ける感想文などを記入するところがある──初戦から十まで記入する欄があるのは、まぁ、洗礼として頑張ってほしいてころだ。
さて説明しながらも徳田はくるくるとよく動き、水筒から温かなほうじ茶を煎れると4人へと渡す。
椅子に座らず執務机に尻を乗せていた織田は茶に口をつけてほうと息を吐いた。体は疲れていないのに気疲れがひどい。
改めて労りの声を掛けた徳田が隣に並んだ。

「大丈夫?すごく疲れた顔をしてる」
「ケッケッケ、ひっさびさの潜書補助やったんで、まぁ、しゃあないっすわ」

この後は各武器の特色を知る為に特化型会派に参加させる予定だが、刃文豪は人数が多い為、刃文豪最強の織田は蔵入りされたままが多く出番が少ないのだ。だから、久々の誰かをかばいつつの戦闘には慣れておらず気苦労が嵩む。
単に組み直すのが面倒と言う司書の横着が原因だが。
逆に、弓文豪は人数が少ないので徳田の出番は織田より多い。元より遠距離攻撃の弓は視野が広くサポートがしやすい武器なのだが、チュートリアル文豪という名に恥じぬ、皆の初めてをことごとく頂いていくチュートリアルお兄さんは健在であった。

「あっ!」

ふとなにかを思い付いたように徳田は声を上げると、飲み干した湯飲みを机へと戻して寄っ掛かっていた腰を離して織田の前へ立つ。

「ん!」
「ん?」
「ん!」

そして徳田はきらきらと目を輝かせながら織田へと向けて両手を軽く開いて差し伸べてみせた。
意図が掴めぬ織田が首を傾げるのに構わずに徳田はなにかを促すように「ん!ん!」と言うが織田はただ困惑を極める。とりあえず分からないので織田も湯飲みを置いて立ち上がったがすれ違うふたりはわたわたとするばかり。
埒が明かないと思ったのだろう、徳田が説明の為に口を開いた。

「あのね、この前テレビでやっていたのだけれど。はぐ?をするとね、疲れが3分の1くらいなくなるんだって」

だからおいで。そう言うように少し下を向いて伸ばされていた腕が上を向く。

「ん〜?んん〜?ん〜〜〜〜!」

感情が処理落ちして、織田の口からは苦悶の声しか出てこない。なんだこれ。なんだこれ可愛いなおい。押さえ付けた顔が燃えるように熱い。きっと、みっともなく赤面していることだろう。
どうしてスタンバイをしている徳田の顔色が変わらないのかが不思議だ。いやむしろ好奇心に爛々と輝いている。恥ずかしくないのかこの頓珍漢野郎。嬉しすぎるぞこの野郎。
織田はン゛ッと咳払いをして気を取り直すと「じゃあ…」とその言葉に甘えることとする。

「お、お邪魔しますぅ…」
「ふふ、なにそれ。どうぞお上がりくださいな」

その言い様もどうかと思いながら伸びる織田の腕が徳田の二の腕を回る頃、焦れたかのように徳田が織田の胸へと飛び込んで来た。
ぽすり。身長差から徳田の頬が織田の肩へと落ち着いた。短い黒髪が首筋をくすぐる。そしてぎゅうと背中へと回った腕が痛くもないがしっかりとした力で抱き締めてくる。
あ、と思う。本の匂い。インクの匂い。感じる香ばしさは朝の日課の珈琲か。いつもの匂いだ。ずっと、一緒にあった匂い。嗚呼、あたたかい。

「ふゃあ〜〜〜〜〜」

へにゃへにゃと唸る織田は躊躇していたことなど忘れて、疲労のままにぎゅうと徳田を抱き締め返してその耳元に頬を擦り付ける。
そんな相棒の背をぽんぽんと叩いて徳田は小さく笑う。
ぽん、ぽん。まるでこどもをあやすような──いや、彼にとってはまさにこどもをあやすのと同じなのだろう。いつだってこの人は自分をこども扱いしているような。
でもそれを心地好く感じるのだからしょうもない。

「はわわ〜死んでまう〜」
「なにを言ってるの君は」
「人をダメにする秋声サンがアカンのぉ〜〜〜」
「人聞きの悪い…」

もう構わずぐりぐりと頬擦りをしてくる…ん?なにやらやけにスーハー聞こえるがきっとこれは気の所為だろう。宥めるように背を大きく撫でてやってぐっと体を離す。

「どうだい?少しは疲れは取れたかい?」
「……ん」

渋々と顔を上げた相棒は小さく頷いたが、しかし「もうちょい」と秋声の首に腕を巻き付けて縋りつく。
そんなふたりにクスクスと小さな笑い声が響いた。

「あっはは、ごめんね。微笑ましくてさ」

笑ったのは河東であった。その笑顔に柔らかく、彼が言葉通りにじゃれあうふたりを可愛く思っているのがよく分かる。

「こら、秉」
「ん、わかってるよきよ。いや、癒された。ありがとう。ふふ、羨ましい」

河東をたしなめた高浜であるが、彼の顔もその実、微笑ましさに緩んでいるし、また、同じくソファに座っていた吉井もにこにこと隠さず笑っている。微笑ましさを称えて「いいねぇ」と言い合っていたところ、きょとんとした顔で秋声が言った。

「…混ざ、る?」

織田を抱いていた腕の片方を三人組へと差し向ける。

「え?」
「は?」
「へ?」
「ん?」

秋声以外の4人がぽかんと声を出す。流石頓珍漢野郎である。
彼の顔には羞恥すらも浮かんでいない。言動の全てが真剣に出たものだからだ。
ぽかんとした彼らと見つめあうこと暫し。穏やかだった徳田の顔が次第にいつもの、拗ねたような不満顔へと歪んでいく。
そして、すすすと差し向けていた腕を織田の細腰へと戻して彼の肩口に額を押し付ける。

「なんでもない。忘れて」
「アイテテテ!秋声サン、強い、強い!具ぅが出てまう!」

分かりやすく照れ隠しをする徳田に顔を緩ませる他ない。締め上げられている織田は可哀想と少しは思えども、でも彼だってでろでろな表情で徳田の背を撫で回しているのだから同じ穴の狢だろう。

「……ふへへ、じゃあ、お言葉に甘えようかな!」
「っおい、秉!」

高浜の腕を取ってぴょんとソファから立ち上がった河東が、きょとんとする吉井の視線に見送られながらぎゅうぎゅうと抱き締め合っているふたりへと近付いていく。
戸惑う高浜の声などお構いなしに河東は織田ごと徳田を背後から抱き締めた。初めに抱いた感想は「小さい」その一言に尽きる。勿論、今まで過ごしていて徳田の背が小さい方であることなど一目瞭然で分かってはいたが。それでも、実際に至近距離で触れ合うとそれが顕著なように感じてしまうのだ。
織田に寄り掛かり気味だったのもあるだろう、背後から抱きついた徳田の頭は、10センチほどしか差はない筈だが天辺が顎辺りにきたので、遠慮なく顎を置かせてもらうと、丁度織田の顔も近くやったのでするりと頬をくっつけて笑う。流石に近いと織田が「ヒエッ」と小さくびくついたが徳田ごと織田にも巻き付いているので▽しかし逃げられない。の表示が目に浮かぶ。河東は素で人との距離が近いのでそこは慣れていくしかないだろう。

「全く、」

連れてこられたまま呆然と立っていた高浜ははぁとひとつ溜め息を吐いた。こうなれば河東が満足するまで止まらないことを誰よりも一番知っている。
だから、高浜は河東とは逆に織田の背後に近寄って、その背から徳田を抱く河東の背中までまるっとすっかり抱き締めた。

「んひっ」
「あはは、なんだいその声」

脇腹を滑った腕に織田が思わずの声をあげると河東が笑う。高浜も吐息だけで笑うと相棒に倣うように織田の肩に顎を預けて頬を触れあわせた。
ゼロ距離に囲まれ微動だに出来なくなってしまった織田は天を仰ぐ。そんな前から後ろから抱き付かれた織田ですら殆ど埋もれているのだ、徳田の頭は最早見ることは叶わず長い脚々の隙間から袴が見えるくらいだろう。むう、うう、ぐぬぬ、と潰れた声が聞こえるが、その顔を窺うことは出来ない。頭上でけらけらと笑う河東の声が響いた。

「いいねぇ」

それをにっこりと吉井は笑う。見た目と中身が比例しないのがこの図書館の住民の特徴であるが、それでも年若い見た目の彼らがわちゃわちゃと戯れているのは見ていて癒されるのだ。
いいね、というのは彼らの微笑ましさへの評価であり、団子となる前の会話と同じくそこに羨ましいだの妬ましいなどという意味は一切含まれない。
だから。

「なーに自分は関係ないって顔をしてんの、吉井。ほら、早く来なよ」
「ん?」

言うなれば、仕事から帰ってアニマルチャンネルを観ながらビールを片手に惣菜をつついていたのだ。間違ってもそこに混ざろうとは思っていない。近い言葉を探すのならば「イエスロリータノータッチ」。
だから、河東から掛けられた誘いの言葉にまたしても吉井は目を丸くした。
──自分だってさっきは戸惑っていた癖に!
そういい連ねてやりたいと思うものの、吉井の口からはその言葉は出なかった。
何故なら、この誘いの為にぎゅうと圧縮されていたおしくら饅頭が解凍され、解放した片腕を吉井に差し伸べながらも胸で徳田を押し潰す河東、背後から織田の肩に顎を乗せて普段のあまり動かない表情に柔らかな笑みを乗せる高浜、そんな高浜に少し苦笑も見せつつも徳田を腕に収める織田、そしてそんな織田にされるがままに彼の胸に頬をつけたままじっと吉井を見る徳田──顔が良い。
大変、顔が良い。
徳田は地味だろとか言うべからず。分かるだろう、雰囲気が子犬だ。ぽんぽんまんまるほわほわとした子犬は正義である。瞳をきらきらとさせてこちらを見てくる子犬が可愛くない筈がないだろ馬鹿野郎。
なるほどここが楽園か。
熱烈に求められているのが分かるだけありこれを無下にするには勇気がいるが、勿論受けるにもまた勇気がいる。
嗚呼、きらきらと輝く若者の目よ。

「吉井、早く早く!」
「さっさと諦めてしまえば楽になるぞ」
「観念しはった方がええですよ」
「……来ない、んですか?」

口々に募る誘いの言葉がまるで悪魔のようであった。
嗚呼、せめて高浜と一緒に河東が腕を引いていてくれたのならば!いやその時についていってさえすれば。そうすれば、この葛藤もなく流されて楽園にいた筈なのに!
後悔は先に立たずとはいうがまさかこんな日常のひとこまで思うとは。嗚呼、疲れた。とても。
なんだかやけに疲れているなぁ。
靄がかる頭でそう思うと、より一層疲れてきた気がする。
だから、目の前にある美形の団子集団のきらきらさがとても眩しくて──まるで、マッチ売りの少女が炎の先に見た幸福が如く。
まるで死ぬと分かっていても狂い落ちるしかない光に誘われた蛾が如く。

「……」

ふらと立ち上がった吉井は覚束ない足取りで彼らの元に歩み寄ると腕を広げてそれに抱き付いた。

「えへへ、遅いよ吉井」
「うおっ!」

──抱き付いた、と思った瞬間である。河東の腕が伸びて吉井の首根を引っ掛けるとその長身を難なく腹に納めて見せた。中腰に近い体勢はしかし先に河東に抱かれていた織田と徳田のそれぞれに受け止められると「一名様入りまーす」と楽しげに宣う河東に背を覆い被さられて閉じられる。
いつの間にか、吉井は徳田と織田と円陣を組む形になっていた。それを高浜と河東が更に取り囲んでいる。
やれやれ全く、だなんて呆れたように高浜は嘆息するけれど、彼だって河東を止めようとはしないのだから所詮同じ穴の狢だろう。

「ケッケッケ、いらっしゃいませ。癒しの館、徳田でございます」
「エッ待って織田くん、やだよそんないかがわしそうな店に僕の名前を使わないで」

織田があげた冗談に、どうやら内紛が勃発しそうである。未だ立ち位置が定まらず中腰に近い吉井は目をぱちくりするが、グッと腰を掴まれて「ヒエッ」と飛び上がるように背を伸ばした。
そうすると、遠慮がちに抱いていてくれた古参組の中に飛び込んだ形になって気付けば輪の中心に。

「はわわ」
「ふふ」
「ケッケッケ」

ぎゅうと改めて抱き締めてくる古参組が穏やかに笑う。実のところの戦犯であった高浜も、そして河東もまた団子を圧縮にかかるととても狭苦しいがぽかぽか暖かい空間となり、動揺するのも馬鹿らしくて吉井は「ふへへ」と諦めて緩い笑い声を上げた。もぞりと動いて両腕をどうにか拘束から抜いて、河東と高浜のふたりの肩を抱き寄せる。
──そう。彼らは疲れていた。
慢性的過労の万年助手と、久々の現場に気疲れしていたその片割れ。そしてまだ体が馴染みきっていない生まれたての青年たちに至っては耗弱の状態である。
だからその状況に疑問を抱かなかった。いや、一瞬は確かに抱いた疑問は、花畑に踏み込んだ瞬間にもう保持も叶わず。
キャッキャウフフとトリップした彼らに正常な判断力など残っていなかった。もしもここが固い板床ではなく畳であったのならば、そのまま雑魚寝が始まっていたかも知れない。
その時──パシャリ、と音がした。
揃って耳に入ったそれに彼らが振り向くと、扉から特徴的な双葉頭とピンク頭が覗いていた。
カメラを持つ島崎の表情はいつものぼやんとしたものだから感情は伺えず、しかし隣に立つ国木田は隠しもせずに呆れた表情。

「なーにやってんだ、アンタら」

取材目的で補修室で待っていたがそろそろ補修の予定時間だというのになかなか来ないから、とわざわざ様子を見に来たというのに、なにやら押しくら饅頭をしてラリッているではないか。なんだこれは。声音にも隠さず乗せられた呆れは、けれどネジの外れた人たちには届かなかった。
そう、だからつい5分も経っていないその状況が繰り返されるばかりである。
パカッと開いた人の腕。にこにこと「混ざる?」と宣う5人の笑顔。国木田は「ウワッ」と引いた顔で後ずさると、島崎は隣でまたひとつシャッターを切った。

「ああ、もう。なんだか知らんが、アンタらさっさと補修してこいよ。徳田は、大丈夫か?侵蝕してないか?」
「してないよ」
「よし、とりあえず徳田も補修室な?」
「ええ〜」

徳田は露骨に嫌な顔をするも、国木田の、あの綺麗な顔に圧力ある笑顔で「な?」と念を押され、渋々と頷いた。顔の良い男の威圧は怖い。

「織田も、オニイチャンズが心配してたぞ」
「ケッケッケ、ほんま過保護やわぁ」

満更ではない様子の織田を見てこいつもまた徹夜でもしたかな、と付き合いの長さから疲労度を探る。

「あれかな、うちの最古参と、双璧と、がひとつずつ寝台を使う感じか」
「うーん、なんだかんだ双璧たちはタッパがあるし。寝台をふたつ合わせて吉井と並べればいいんじゃないの」
「そろそろ第二補修室とか欲しいよな。うちには眠り姫やら社畜やら悪戯被害者やら逃亡者やら、補修の必要のない要監視対象者が多すぎる」

ちょっと目を離した隙に仕事をしたり逃亡に失敗して怪我をしたりする輩が多いので困ったものだ。自室に引きこもるとちゃんと休んでいるか分からないので監視を兼ねて人目のある補修室にぶちこんでいるが、そうすると本来の使用者が使えないという本末転倒振りだ。どうせ暇人はいるのだから、今度司書に要望を出そうかと国木田と島崎は目で会話する。
そうこうしながら、パンパン、と乾いた音を立てて二度、国木田が手を打った。

「ほーら、移動するぞー。高浜と河東は手を繋いで、あと吉井を真ん中にして徳田と織田も手を繋げ。繋いだか?よし、いい子だ。そら、補修室に行くからなーちゃんとついて来いよー!」

はーい、と揃ったいい子の返事。先頭を行く国木田の後ろをぞろぞろと続く、かるがもと言えないでかい図体。
ほわほわした雰囲気に流されほわほわした笑みを浮かべながら、ふ、と吉井は思った。

(俺は……一体なにをしているんだ?)

つい我に返ってしまった吉井は沸き上がる羞恥に唇を噛んだ。そうしなければ、繋がれた両手を振り払い叫びながら走り出しそうになったからだ。顔面はカッカッと熱く、じわじわと汗が浮かぶのが分かった。
嗚呼、気付かなければ幸せだったのに!
確かに高揚した気持ちはあったが今は空回りするばかり。これは、我に返ってしまった者が負けなのだ。だからせめて、大敗とならぬように我に返ったことを知られなければ──そう思って俯いていた視線を上げる。

「───ウッ!」

すると、バッチリ目が合ってしまった。そう、前を歩く双璧に。綺麗な顔が並ぶように内側から振り返っている。そして、揃ってニヤァと唇を歪ませた。

(バレている!これは、俺が我に返ってしまったことが完全にバレている!)

ビクッと反射で繋いだ手を強く握ってしまった吉井の肩に、トン、と織田が自分の肩を打ち付ける。恐る恐ると視線を向ければそこには「全て分かっている」と顔に書いた織田の優しい微笑み。

(死んだ……)

所謂、恥ずか死である。小さく呻きながら俯けば、こそり、声を潜めて織田が言う。

「大丈夫やから、そないに沈まんでや。消耗してはると判断力鈍るお人がおってな。吉井サンはそのタイプやて分かってん、こっちでも気ィ付けときますんで、そっちでもまめに補修入るようしてくれはると助かりますわぁ」
「ハイ……」

酒の席での醜態よりもなお恥ずかしい。この羞恥と共に心に深く刻み込む。
そう、小さく縮こまる吉井にケッケッと喉を鳴らすと、織田は潜めた声のまま続けた。

「あと、秋声サンに合わせてくれておおきに。ふ、ふふ。あんのお人は純粋に、ふへ、素で、ああいいうお人やさかい、悪気はないねんけど。ほんま、悪いなぁ」
「…いや、いいさ。勉強になったよ」

楽しそうに、けれど努力して笑うのを我慢しているのだろう織田の横顔を見ながら吉井はそう言った。ああ、この子は徳田のことが大好きなんだろうなぁと感想を抱く。
反対側でこんな会話をしていればさしもの徳田も聞こえていたのではとちらと目を向けてみれば、彼は飄々と中庭を見ていてこちらを気にも止めていないではないか。
うわ、と驚くと共に頭に過った「徳田は素でああいう人」という、つい先程に聞いた織田の弁。自身もまたそうであるが、文豪という人は皆一癖も二癖もある人ばかりなのだ。それをまざまざと見せ付けてくれたこの人に、この人のド天然ぶりに、成程、この人には逆らうまいと心に刻む。

「ちなみに…あのふたりは…」
「ああ、素面で悪乗りしてはるだけやろな。あのお二方は二人揃っていたら支え合って自我を保つ系のお人やぁ思うんので、今度、一人ずつ耗弱させてみんとあかんかなぁ………」
「お、お手柔らかにしてやってな……」

最後、声を潜めてなにやら恐ろしいことを呟いた織田にびくびくとそう返す。隣の妖精と合わせて最古参としてこの図書館を運営しているのだからなにかと大変だろう。やはり、逆らわないと心に刻む。
なんだか今日はたくさんのことを心に刻んだからズタボロのボロだ。あったかい布団で眠りたい。
そして目の前に迎えたあったかい布団。並ぶ3つの寝台。
いそいそと並んでひとつの寝台に入り込んだ最古参に突っ込むことは最早叶わず、残る2つの寝台を前にしてちらと吉井は隣の双璧と寝台を見比べた。
彼らも身長はあるものの細身だ。だから、最古参と同じくひとつの寝台をふたりで使ってもらうのが丁度良いだろう。あまり縁のない、年嵩のおっさんとして転生した自分とどちらかの片割れとの組み合わせになる方が道理に合わないと言う奴だ。
うんうん、と吉井が納得し、そう提案しようと隣立っていた、筈の、双璧を見ようとしていないことに気付き、パッと顔を向けると、彼らが残ったふたつの寝台を動かしてぴったりと合わせていたところだった。
なにやらやりきったように額の汗を拭う素振りをしているが、たかが寝台を動かすだけでそれほどの疲労も溜まるまいに。不振がる吉井に、片や満面の笑み、片や微笑みを浮かべて振り返る。

「吉井、真ん中でいいよな?」
「俺右側ー」
「では、俺が左側になろう」

さくさくと進められた決定に、吉井の意思など介在しない。尋ねた意味などポーズに過ぎない。

「いやいやいやいいって俺混ぜなくていいって!」

渾身の主張である。しかし、返されたのは「なんで?」「なぜだ?」と揃って小首を傾げた不思議そうなイケメン顔。既にいそいそと上着を脱いで寝る準備に入っていた。

「いやだから。俺はあんたらと同衾するほど深い仲ではなし、寝台はふたつしかないのに3人並べば窮屈だろうに!」
「1つの寝台を2人で分けるより、2つの寝台を3人で分ける方が窮屈じゃないよなぁ、きよ?」
「そうだな。それに、同衾に関しても俺たちは気にはせん。なぁ、秉?」
「ン゙〜〜〜!」

こっちは気にするんだよ、の言葉を飲んで苛立ちのまま頭を掻き毟る。天然に逆らうまいと先程誓ったが、同期の天然──否、こいつらは確信犯の便乗魔であったか?──とはある程度の距離が欲しいと望む吉井であった。対岸の火事ならば楽しいが、誰が当事者となって苦労を買いたいと思うだろうか。
地団駄を踏みそうな吉井の両肩を、ぐい、とふたつの腕が絡んで引いていく。

「くっ!離せ!」
「まぁまぁまぁ、そう気を立てなさんな」
「そうそう。諦めてしまえば楽になるよ」

そう、今まで写真をパシャパシャ撮っていたり手帳にメモを書き付けていたりしていた取材組のお二方である。
彼らも弓の武器種の特性としてこの図書館の言わば四天王だ。趣味の新聞作りが大好物であり、そう、暇ではない。
そして彼らにとって吉井の苦悩は全くの対岸の火事なのだ。手っ取り早くさっさと寝てくれ帰れないだろう、と額の青筋が物語ながらひょいと羽織を奪う島崎とひょいと吉井を抱えあげる国木田の息の合った連携プレイにはなかなか抵抗できる者はなし。
呆気なく寝台に放られた吉井はまるで子猫のように目をぱちくりしながら固まっていた。すかさず島崎が履き物を脱がせにかかり、国木田は満足気に腰に手を当て、むふん、と鼻を鳴らす。

「そら、かかれ!」

ピッと伸ばした指先と共にかけた国木田の号令に、察して河東と高浜がシュンと吉井の両サイドへと滑り込む。

「くそぅ…くそ……」
「へっへっへっ、諦めちまえよ可愛がってやるぜぇ」

顔を覆って呻く吉井に笑いながらも乱れた髪の毛を撫で梳く河東の手つきは優しいもので。頬杖をついた両サイドから微笑みを向けられていてはおちおち眠ることもできやしない。
パシャ、なんて音が聞こえた気がするがきっと気のせいだろうそうだろう。
なんでこうなった、なんていう後悔は、隣で仲良く寝息を立てる最古参二人組が寝台を占拠している所為だけれどそれを物申す勇気は最早ない。飲み込んで、大人しくふわりと掛けられた毛布を引いて鼻まで覆う。

「よーし、落ち着いたみたいだな。夕飯まで潜書の予定もないからそれまでゆっくりしてくれ。また呼びに来るさ」

くつくつと笑ってそう言った国木田が、シャッと音を立てながらカーテンを引いていく。暖かくも眩しかった日差しがやや遮られて心地の良さだけが残る。
ガチャン、かつかつ。遠くなる足音に、漸くと吉井は肩から力を抜いた。

「……はは、大変だったなぁ」

そう言ったのは仰向けになった河東。瞼を閉じて穏やかに笑っている。高浜がそうだな、と相槌を打った。

「古株が少しややこしそうであるが…皆、人が良さそうだ」
「うん。…会いたい人にも会えて。文学を守るってのはよくわからないけど」
「そうだな。折角の降って湧いた命だ…」

囁き合うふたりに間に挟まれて気まずさを感じなくもないが、色々な意味で疲れていた吉井はその声が心地よく、加えて河東だろう、腹の上をゆったりと叩くそのリズムに次第に眠りに落ちていくのを自覚する。

「これも縁だ。吉井、これからもよろしく頼む」
「よろしくねぇ」

そして意識を手放した。




さても夕飯、起こされて通された食堂では大段幕に「おいでませ!」と書かれた歓迎の宴の様相をしていた。立て続けの大型浄化作業に終われ、なかなか歓迎会を出来なくてすみません、と頭を下げた年若い司書の薄い肩を叩いて気にするな、と声をかける。食卓のど真ん中に置かれた大きなケーキは、流石にこの人数では複数あるが、しかし複数の人物の前にまるでそれ一個がその人のもののように思えるが如くに置かれているのは、補修前に刻んだ胸の痛みに見なかったことにしておく。
好みの酒をグラスに注がれご満悦の吉井は乾杯の音頭でそれを一息に飲み干した。よっ!なんて、酒好き文豪から喝采が沸く。
そんな中、がしっと肩を組んできたのは石川であった。彼はにやにやと意地悪く笑うと「随分お楽しみだったみてーじゃねーか」と言う。

「は?」
「ほら、これ見てみろよ。ぷぷぷ」

そして押し付けられたのは一枚の紙。両面刷りで上部に号外と書かれている。すわ新聞か、と開いてみると──

「なっ……んじゃこらぁ!」

がっちりと5人で抱き合い団子を作っていた自分達の写真に加え、補修室での同衾写真もでかでかと載せられている。その上、その同衾写真にはすやすやという健やかな寝息が聞こえてきそうな程にはっきりとしたそれぞれの顔の拡大写真までご丁寧に載せられていた。
絶句している吉井に、ぷぷ、と耐えきれなかったと言わんばかりの笑い声が聞こえてきた。
坂口、若山、中原の呑兵衛共と、かの北原御大である。

「お、お前らなぁ!」
「いや、幸せそうでなによりだよ」
「そうそう。混ぜて欲しいってもんだなぁ」

憤る吉井にのらりくらりと北原が。そして坂口が可笑しげに囃し立てる。

「…じゃあ、行ってくればいいだろう。徳田さんなら受け入れてくれるんじゃないの」

そう呟いた吉井に、澄まし顔でちょいと坂口は件の徳田がいる方を指差す。彼は、丁度自然主義の面子に囲まれていた。
話の内容はところどころ聞こえてくるそれから推測するに、あのおしくら饅頭を揶揄しているところであった。よく見れば、彼の後ろの方で兄弟子と師匠が分かりやすく聞き耳を立てている。
国木田にぐいぐい頬を弄られながらムッと不機嫌そうな顔をして徳田は言った。

「はいはい、無期限休業中だから。そんなにほいほい僕に抱っこされようなんて思わないでよね」

あんなほいほい、ついでのように、否、正しくついでで抱いたというのになんて言う言い様だ!
唖然としている吉井に坂口がまた囁いた。

「へへ、特別だとよ。よかったねぇ」
「……良くない、全然良くないぃ!」
酒を飲んだからとはまた違う発熱を感じて吉井は顔を覆って俯いた。
ドッと笑う周りの面子に殺意は沸くが、あの人のあれは自然災害だから仕方がない、と肩を叩かれる。仕方がないとは言え、良いネタなのでからかうのは止めないそうだ。なんて非道なことだろう。
吉井は、近場にあった酒瓶を掴んで立ち上がった。おっ?おおっ?と色めき立つ中、中瓶とは言えそれを一息に飲み干して、ダァンとテーブルに打ち付ける。

「今日は飲むぞ!酒持ってこーい!」
「おおー!無礼講じゃー!」

はっちゃけた吉井に喝采が沸く。
元より無礼講ではあったのだが、主役がこれなので皆も遠慮なくそこらからエモノを寄せ集め、やいのやいの、楽しくも騒がしい宴に夜も更け。
そんな、ことの元凶は、師と兄弟子に囲まれて「うるさーい!」なんて叫んでいた。

ちなみに双璧は、大好きな子規やその界隈の面子に構われてでろでろと頬を緩ませていた。新聞の件では「今度皆で川の字で寝ましょうね!」なんて最早州の字になるだろう計画を練りながら和やかに夜を過ごすだろう。





190429

平成最後の投稿になりますかね。
これは1月頃に書いていたんですが終着点が見えず冗長してしまいました。吉井さんが可哀想。あと吉井さん使っていないので性格がちょっと分からないまま好きに書いてしまったので、吉井さん好きには申し訳ない。
あと相変わらずネジが外れている秋声さんにすまない。相思相愛猫の子みたいな庶民派大好きー



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