お山が好きだった秋声さんが存外野生児だったらという話(奇跡のかわとく)







ふとそれを見つけて川端は首を傾げた。
日差しの優しい春の昼下がり。非番でふらりと中庭を散策していた川端の視界に掠めたものはぽつんと落ちた草履であった。それも、一組ではなくひとつだけ。
はて、どうしてこんなところに。
疑問を携えながらひょいとそれを拾い上げると、なにやら「あっ!」という声が聞こえた。

「川端さん!丁度良いところに!」

それは敬愛する徳田の声で、川端は草履を握る手に思わず力を込めながらきょろきょろと周りを見渡した。しかし姿は見当たらず。

「上だよ、上」

少し笑いを含んだ声がして、川端は素直に顔を上げて──ぎょっと目を見開いた。
確かに徳田は上にいた。そろそろ満開と言える薄紅の花弁の中、太い枝に腰かけて下を、川端を見下ろしている。桜の妖精さんかな?
余り背の高くない桜の木だからか下ろされた爪先は川端の顔近くになる。形のよい爪はその木の花と同じ薄紅色をしていた。先程声をかけてくるまで枝の上に足を上げていたのだろうか。

「…なにを、なさっておいでで…」
「いやね、あまりにも良い天気だったから。登ったはいいものの草履を落としてしまってどうしたものかと悩んでいたんだ」

よく見れば彼の座る枝の先に普段使用している脚絆と、一足ばかりの草履も並んでいる。
恥ずかしそうにはにかんだ彼は照れ隠しか脚をぱたぱたと動かして見せた。白い爪先が袴の裾を蹴り上げると日に焼けていない脛が、ふくらはぎが顔を覗かせる。
普段見えないものが見えるというものは一種の背徳感を抱かせるものだ。いけないものを見た気になって川端をドキドキさせるものの、本人はその容姿に似つかわしいこどもっぽい笑みを浮かべていてこれぞギャップ萌えというやつかとひそりと川端は胸を押さえた。

「私が…いえ、誰も通らなかったらどうするおつもりだったのです…」
「そうだね。爪を犠牲にして木の幹に足をかけるか、足の裏を犠牲にして飛び降りるか。本当に川端さんが来てくれて助かったよ。ありがとう」
「……………」
「…う。僕が迂闊だったよ、ごめん。だから、そんなに怒らなくても良いじゃないか…」

尊敬する人からの自分の為だけの感謝の言葉に感動してその笑顔を目に焼き付けていた川端のその凝視の意味を呆れか怒りかに取ったのだろう、しょんと徳田はしょげて顔を伏せるものの、下にいる川端に隠せるものではない。拗ねたように唇を尖らせるその愛らしさにギリと川端は唇を噛んだ。尊い。

「徳田先生は…木登りがお得意なのですね」
「ん?」
「私は…あまり木登りに馴染みがなく。この背でもそこに登るのは難儀しそうです」

川端が変えた話題に徳田は目を瞬かせたものの、またはにかんで笑って見せた。

「そうだね。生前、幼い頃は病弱で、ひとりでいることも多かったから。人と馴染むのも苦手で、よく抜け出しては山に登って遠くを眺めていたものだよ」

成長するにつれ体は丈夫にはなったけれど、コミュニケーション能力の成長は見込めなかった。ひとり、見晴らしの良い木の上で風に撫でられながら文学にひたれるその心地好さこそが今の自分を作っているのかも知れない。

「それに、出来るとは言っても犀星くんには負けるからね」
「…室生先生、ですか?」
「そう。その様子じゃあ君は見たことがないんだね。彼、とても身軽だから。潜書中なんて、木の幹蹴って飛び上がってその先で枝を掴んで方向転換して侵蝕者の背後を取れるんだ。木登りなんてお手の物だよ。
……犀星くんといい高村くんといい、銃は武器いらずだねぇ」

身体能力がゴリラの皆様だ。切な気だった徳田の顔が一気に遠いものとなる。脳裏を駆け抜ける優しい笑顔のふたり。流石、野性児の本領発揮というやつだ。

「…あ、川端さんも登ってみるかい?ほら、手を出して」
「! いいえ、私は。この格好で上手く登れるとも思えませんし」
「うーん、そうかい。まぁ、そうだね」

伸ばされた手を未練がましく見詰めるものの恐縮して自体する川端に徳田も流石に深追いはしなかった。所在なさげに引っ込めた手を二度三度と撫でて太い幹へと頭を預ける。

「そこは、見張らしはよいのですか」
「ん?うん、まぁ。いつも見上げる君たちを見下ろすのは楽しいものだよ」

名残惜しくそう質問を重ねれば、徳田もまた笑い混じりに返してくる。
彼は、他人の視線を気にしなくていられるタイプの人間だ。質問されれば答える。質問があれば自分から近付く。そうでなければ、同席している相手の動向は全て意識の外に追いやれる。
それを冷たいと思えど、だからこうして話を続けてもいやがる素振りを見せないので(勿論、嫌な時は嫌と言う。ただ、それを押し切るタイプの人間が周りに多すぎる為に彼をドライな人と認識している人は少ないのではないかと川端は推測する)少しばかり気楽に声を掛けられるのだ。
そんなささやかな喜びに浸る川端であったが、ふと、目の前をぶらぶら揺れる爪先の白さが気になった。
春である。日差しは暖かく気温も高くはなってきた。けれど、薄着でいて冷える筈もなく。
徳田がいつからいるかは知らないが、心配と興味がついぞその手を動かした。

「うわぁ!」

唐突に足を掴まれた徳田は情けなく声を上げた。飛び上がらんばかりに驚いた為ずると体勢を崩してしまい、慌てて幹にしがみつく。

「か、川端さん!?一体なんなんだい、急に…」
「徳田先生」
「アッハイ」

非難するべく上げた声は、ワントーン落ちた低音にヒュンッと勢いをなくしてしまった。
なんとはなしに触れた足は想像以上に冷えてしまっていた。ぐいぐいと引っ込めようとする徳田のその足首を掴んで固定すると、川端はすりすりともう片方の手で冷えた指先を包み込む。

「ンッ…」
「冷えていらっしゃいます。いつからこちらにいたのですか」
「そ、そんなにはいないさ。せいぜい30分かそこらじゃないかい」
「30分…」
「アッ!ふ、もう、悪かったから足を放してくれないかい。その、ふふ、くすぐったくて」

身悶えする徳田が苦しそうに笑み崩れる。あまりの可愛さに硬直する川端の手からするりと足を抜いて、ほっと息を吐くと徳田は目端の涙を払う。

「先生。もう部屋に帰りましょう。お風邪を召されてしまいます」
「大丈夫だよ。そこまでヤワじゃないさ」
「…………」
「…はぁ、わかったよ。今降りるから」

川端の目はその口よりも雄弁で、心配で彩られたそれがじっと自分を凝視してくるのだ。流石の徳田だって厚意のそれを無下には出来なかった。
徳田は諦めて了承すると、枝先にかけた脚絆を取り上げた。袴を捲って膝を立てて装着していくが、太股の際どいところまでが川端の目に飛び込んできてカッと目を見開いた。
徳田は背が小さい。他の自然主義の面子に比べてぽこりとひとりだけ小さい。とても可愛い。ではなく、少年然とした容姿に似つかわしい体躯の薄さがあるものの、腰から太股にかけての肉付きが少しばかりよくてむちむちしているのだ。よく風呂場で観察をする為にフリーズしてしまう川端の視線を、そんな時ばかりは徳田は気付かないのだ。利一や菊地、他、自然主義や尾崎の関係者がそっと川端に警戒の視線を寄越しつつ肉壁となって遮ってくるのだが、今ここには川端と徳田しかいない──そう、邪魔をするものはいないのだ。
しかし、川端とてわきまえている。YESロリータ・NOタッチならぬ、YES徳田・NOタッチである。足袋、脚絆、草履。覗く太股、はためく袴。身支度を舐めるがごとくねっとりと堪能する川端の視線を、やはり徳田は気にしない。
装着を終えて徳田は満足げに息を吐く。立てた膝の上、袴を正すとイケナイものが隠れてしまう。それを残念か安堵かの気持ちで見送ると、徳田は「じゃ、そこちょっと退けてくれる?」と軽く言った。

「飛び降りるからね。ぶつかっちゃうよ」
「! いけません!危ないです!」
「大丈夫だよ」

確かに飛び降りたとしてもそう危険すぎるという訳ではない。が、安全とも言い切れない距離である。
高さ的に川端が手を伸ばせば抱えることも出来なくはない。川端の肩に脚をかけ、それを支えてやればいいのだ──そう訴えても徳田は首を振るばかり。
寧ろ、そう重ねて心配をする川端に機嫌を損ねてしまったらしい。ムッと眉間にシワを寄せた徳田は「大丈夫だってば!」と語気荒く言った。
そして──次の瞬間、徳田は飛んでいた。
ぶわと袴がはためく。今日の徳田は潜書時に使う肩掛けと腰巻きを外した簡素な装いであった。ついでに腕巻きもない。白い胴着に紺袴。
その飾らぬ装いは彼の清廉さをより深く見せている。散る桜の花弁と共に空中をふわりと跳ねる姿はやはり桜の精であったかというイタイ妄想を助長するばかり。

「あっ」

見惚れたその人の間抜けな声。彼は小さく振り返る。川端もそれに倣って視線をやると──袴の裾が枝に引っ掛かっていた。
そう、大丈夫だと豪語したその人は、枝に袴を引っ掻けてしまった所為で空中で体勢を崩してしまったのだ!
ぐらりと前に傾く体。
伸ばされた手にはなんの意味があるだろうか。

咄嗟に川端は駆け出していた──とは言っても二、三歩といったところだが。驚愕した表情の徳田の伸ばされた手を掴む。
スローモーションのように感じていた世界は、その瞬間、まるでスイッチを切るかのように早さを取り戻した。手の中のそれを引き、抱き止める。固めの黒髪が頬を擽った。次いでずしりと重みがかかる。

「……ッ!」
「うわぷっ」

びりびりびり。無惨な音がした。
川端は咄嗟に閉じたまぶたをそろそろと開き、腕の中にある重みを見やる。敬愛しているその人も、川端の胸に顔を押し付ける形でまぶたを閉ざしていた。助けるためとはいえ抱き締めたその人に抱き返されている現実に体温が急上昇するのを感じたが、それ以上にふと見た惨状に川端は瞠目した。
徳田の袴は、それはもう無惨な有り様だった。引っ掻けた勢いで脱げてしまっていて太股半ばの胴着の裾から素足が覗いている。そして、足先に絡まるその残骸は後ろ側が見事に裂けていた。一応穿けることは穿けるだろうが、こんなものを穿いて移動などできないだろう。

「アイテテ…嗚呼、びっくりした。すまないね、川端さん」
「……先生」
「うっ」
「私は、もう先生の“大丈夫”を信用できそうにありません…」
「あ、あはは…」

びっくりしたといいながら川端の胸で苦笑を漏らすその人につい許すと言いたくなってしまうところだが、しかしあまりの失態の連続を目の当たりにしてはそうは言っていられない。この人は自分のことに無頓着すぎる──周りにも無頓着ではあるけれど。
心を鬼にしてねめつければ徳田はついと視線を逸らして空笑いを漏らした。

「それにしても…流石にこれはダメだな…」

名残を惜しむ川端の上から退いた徳田は、残骸となり果てた袴を見て唸る。私服の袴であるから破れても支障はないが、庶民派としてはなかなかに痛手である。しかし、裾の後ろから尻近くまでびりびりと裂けたそれは繕ったとしても範囲が広すぎてみっともない。
捨てるしかないな、と悲しい決意をする徳田はその時、思い至った。
──どうやって帰ろうか、と。
ここは中庭である。エントランスに帰り、階段を登り、食堂の前を通って、部屋に帰る。その間にどれだけの人と会うかは助手として忙しなく働く徳田はいやと言うほどわかっている。
さぁーっと血の気が引いた。
これが普通の着物であれば裾を下ろしてしまえばいいだろうが、生憎、袖も裾も短い胴着である。袴を脱いだ状態では帰れない。とんだ変態になってしまう。
そして無惨な袴で帰ったとしても運悪く自然主義の面子に見付かればまとわりつかれるだろう。ひたすら億劫だし、なにより一門の小姑たちに見つかった場合の説教は断固拒否したいところだ。
悶々と悩む徳田──の肩に、ふぁさりとなにかがかかった。

「先生…こちらをお使いください」
「川端さん…」

川端は立ち上がると着ていた羽織を徳田の肩にかけたのだ。徳田はしっかと羽織を掴みながら川端の私服である丈の短い上着を思い出していた。今日、彼が私服だったとしたらどちらも救われなかったことだろう。
落ち着いた色合いのそれは、先まで持ち主が袖を通していた為かあたたかい。そこでようやく、徳田は確かに自身が冷えていたことを自覚した。

「あの……ありがとう」
「いいえ。早く戻りましょう。誰かに見つかる前に…」
「うん。そうだね」

座り込んだ徳田に川端が手を差し伸べる。徳田はそれに素直に借りると、無惨な袴を腕に抱えて羽織をの前を閉じた。

「ン゙ッ」

川端の想定では無惨ながら袴を穿いた状態で羽織るのだと思っていたのだ。羽織は足首まであるのだ、そうすればパッと見で袴が裂けていることはわかるまい。
まさか、素足に羽織るなんて。
今、川端の羽織は意図せず徳田の生足に触れているのだ。あの白く、もっちりとした太股。きっと触ればすべすべだろう。形のよい膝小僧。股間から膝まで、一部分だけくっついてしまっている隙間。触れたい揉みたい挟まれたい。
しかしYES徳田・NOタッチ!だ。
ただでさえ前を軽く合わせ防御力なんてないのに、身長差で裾を引きずらないように端を折るよう摘ままれたそのたおやかなシワが伸びているのがヤバい。ヤバすぎて川端は咄嗟に叫びそうになるのを無理矢理飲み込んで喉の奥で濁った音を出した。

「ん?咳かい?…そうか、羽織を貸してくれたから冷えたんだね。
あ!そうだ、僕の部屋で休んでおいきよ。温かいお茶でも出すから」
「そ、そんな。大丈夫ですから…」
「いや、お礼くらいさせてくれよ。君のお陰で助かったんだ。…羽織もすぐに返せるし、君がついてきてくれたらみんなから逃げる口実にもなるし。
それにね、司書から貰った美味しい茶葉があるんだ。花袋たちに振る舞うのは勿体無くてね。一緒に飲んでくれたら嬉しいな?」

心配して背を撫でてくれる徳田に、川端は天秤があまりにぐらつく為に拒否もできなければ狂喜乱舞で受け入れることも出来ずに固まった。推しが尊すぎてつらい。
あの手この手でいいところアピール、双方に利があるという説得をしてくる徳田が愛おしく、おずおずと頷けば、安心したのかへにゃっと徳田は笑った。
笑ったのだ。普段の眉間のシワをなくし、薄い唇が弧を描く。大人になりきっていない青年のどこか幼い丸みの残る頬で、幾分も上にある川端を見上げて。

「ン゙ン゙ン゙ッ!」
「あ、また咳。鼻かな?僕の部屋にちり紙もあるからね。行こう行こう」

少しは気にした方がいいだろう川端の奇行をまるっとスルーした猛者はそう言って川端の腕を取ると歩き出す。
その後ろ姿に付いていきながら川端は天を仰いで溜め息をひとつ。

推しが尊くて生きるのがつらい。








トゥルルルトゥ〜↑ル〜↓ル↑ル〜↓

次回予告

死なないで川端(の理性)!アンタが死んだら徳田(の貞操)はどうなっちゃうの!?

次回 川端、死す

デュエルスタンバイ☆彡





180324

続きません
書きながら川端のテンションおかしくてセルフ解釈違いを起こしながらこのネタやりたくて書ききった、CP書くの苦手マン的に奇跡のかわとく。誉めてほしい。

この後、
川端の理性が死んで徳田の貞操がどうにかなっちゃってもいいし、
川端の理性が死なず、まな板の鯉を指くわえて見てるだけの川端の苦死でもいいし、
川端の理性が死んで徳田の貞操がどうにかなった後にハッピーエンド迎えて嬉死でもいいし、
川端の理性が死んで徳田の貞操がどうにかなっちゃって嫌われて川端が死ぬのでも、なんででもいいんで、とりあえず、川端は死にます。




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