太宰不眠症設定






太宰は布団の中で何度目かの寝返りを打った。
彼は元々然程眠れる性質ではない。深い眠りにつくことは稀で、寝てもすぐに起きてしまったり、浅い眠りと覚醒を繰り返し余計疲れる夜を過ごすということも少なくない。過剰摂取の末に睡眠薬の支給も止められている。
はぁ、と太宰は溜め息を吐いた。
思い出すのは半月は前のことだ。それは、織田と徳田が同衾しているところに遭遇し、巻き込まれ、つい一緒に眠ってしまったことだ。
それが嫌だった訳ではない──むしろ逆なのだ。
あんなにも長く、深々と眠ったのはいつ以来だろうか。もしかしたら死んだ時以来かも知れない。
ほかほかぬくぬくと温かく、眠気を誘う健やかな寝息の二重奏。無意識にだろう、とんとんと背を優しく叩く穏やかなリズム。
なにをしているのですか!と眠る前の自分のように怒鳴り込んだ泉の存在がなければ、本当にそのまま自覚なく死んでいたではないか。いや、あんなにやわらかくあたたかい雰囲気だった徳田が「なんなんだよ…ッ」と不愉快を全面に押し出す声を出したおかげで死にそうにはなったが。天国から地獄とはあのことを言うのだろう。
思い出して震えながら、ごろり、また寝返りを打つ。
良い睡眠は良い寝具から、と司書から贈られた高級寝具一式は確かに肌触りも暖かさも、あの仮眠室の固くて狭くて冷たく埃っぽいそれらよりも何倍も何倍も心地よい──のだが。
広く大きなベッドの上で、ちいさくちいさく縮こまりながら太宰は今日も眠れない夜を明かすのだった。

そして更に数日後。
文豪に宵っ張りは多くとも、翌日に基本的に予定がある為にそれなりに規則正しい生活を送る彼らにとって、日付変わっての一時を過ぎれば遅いと言っていいだろう。そんな時間にもまたぞろ睡魔は訪れない。眠りを阻む息苦しさは夜の水に似てる。
ああもう、と太宰は髪の毛をむしった。これは、認めるしかないのだろう。
──自分はきっともう、添い寝をして貰わないと眠れない体になってしまったのだ、と。

という訳で。

司書がくれた桃色のふわもこパジャマに膝掛けを頭からかぶって部屋を出る。居住者の半分ほどは確かに寝静まっているのだろう。遠くになにかしら音が聞こえるのはまた酒好き文豪たちだろうか。
ぺたりぺたりと歩く廊下は静かで冷たくて、ベッドにいるのと変わらないなと思う。広くて寂しくて、ひとりっきり。自分の中から響く悲鳴が頭蓋に留まらず廊下中に反響しているようだ。
身を竦めれば竦めるほどにぎちぎちと痛みを増すのだと知っている。

「………」

目当ての部屋の前に辿り着いたというのに、臆病の虫が騒いで太宰は立ち竦む。自分の部屋と同じ作りの扉は、しかし自分のそれとは違って自分を歓迎しないのだ。
静かに阻む扉の隙間からは薄暗い廊下へと光は漏れ出ではしていない。
もう寝ているのだろうか。
起きていたとしても、執筆に集中して夜更かしをしているのかも知れない。こんな深夜に唐突に訪ねて、それが迷惑だということは頭では分かっているのだけれど、どうにも、どうしても、我慢が利かない。
なのにいざとなってこんなにも臆病で。
きっと彼は悪戯に笑って受け入れてくれるのだろうとは分かっているのに、どうして、どうして、信じられないのだろうか。
もしも迷惑だという目で見られたら。
もしも邪魔だと言われたら。
いいや、いいや、彼はそんなこと言わないのにどうしてどうして嗚呼、嗚呼、水底から見上げる空に似ている。濁って、揺らめいて、確かなものなど息苦しさしかなくて、はくり、はくり、口を開いても喉が詰まって言葉もない。
ひ、と喉が鳴った。
悲鳴だろうか、自嘲だろうか。喚き散らしたい衝動が喉を揺らして、勢いのまま扉を叩く。

「…オダサクー起きてる?」

ゴンゴンゴンゴン、心臓の音に負けないくらい遠慮なく扉を叩く。開けてくれ。起きてくれ。起きないでくれ。□□わないでくれ。ひ□□に□ないで□れ。□□めた□しく泣きすがる内心を余所に笑顔を浮かべて、カウントダウン。5、4、3と数えて、0になったらゲームオーバー。ダザイオサムは賭けに負けて、ひとりむなしく冷たい水に沈む夢を見る。
──なんてことは、心配しなくて良いようだ。
扉の向こう、ガタガタと音がして、バタバタと音がして。

「ちょ、太宰クン、今何時やと思てんねん!?」
「オダサク、こんな時間まで起きてたのかよ」
「こないな時間に部屋訪ねてくるアンタサンに言われないねんけど!?ほんま、今何時やと思てんの!?自分アホちゃう!?」

ほら入りや、とあまりにもすんなり通されたオダサクの部屋は以前入った時と変わらず雑然としていた。キャビネットの上には多分仕事の書類が積まれ、脱いだ上着が重なっている。執筆机の周りにはぐちゃぐちゃと丸められた紙片が転がっていて、太宰が織田のベッドに腰掛けると、織田は椅子を引いて太宰と向かい合いに座る。

「オダサク、小説書いてたの?」
「…ってましたケドぉ?邪魔されてもうたケド」
「寝ろよ何時だと思ってんだ」
「……太宰クンに言われとぉないな!」

確かにそんな時間に突撃かました太宰の言う台詞ではない。
がくりと肩を落として織田は頭を掻きむしった。と、そこで織田の髪の毛がいつものみつあみではなく首の後ろでひとつに括ったものだと分かる。

「みつあみじゃないんだ」
「そら寝る前は結いはせんて。ただほら、寝る前に降ってくる時あるやん?」
「あー。書けたのか?」
「大体は。邪魔されてもうたケド?」
「ごめん」

笑って流せば、へらへら笑ってんやないのもー!と織田は眉根を寄せてそう言った。
でもそこに本気の怒りは感じない。許されていることがありありと分かって、不安に落ち込みかけていた太宰は自然と微笑んでいた。
そんな太宰をちらと見た織田もまた、怒れないなぁと後ろ頭を掻いた。癖のある長い髪が背中で揺れる。

「で?太宰クン、なんや用あったんやろ?」

尋ねれば太宰は怯むように視線を揺らす。成程、言いにくいから茶化していた訳かと理解しつつペンやらを片付けながら言葉を待つ。片手間に見えるかも知れないが、そうやってあまり意識を向けすぎないことが太宰には大切なのだ。

「あのさ、」
「おん?」

もじもじと中々言い出さない太宰に片付けも終わってしまってどうしようかと考える。が、諦めて太宰の隣に腰掛ける。唸るほどに悩んでいる横で織田は大きく欠伸をした。

「……オダサク、寝るの?」
「そら、エエ時間やもの。寝ますぅ」

そうふざけながらばふっとベッドに背から倒れ込めば、カッと太宰は目を見開いて織田に取りすがる。

「オダサク〜〜〜〜〜!」
「ヒエッ!?」

寝ているところ覆い被され、織田は咄嗟に悲鳴を上げてしまった。

「俺と寝てくれー!」
「ちょ、ちょちょ、アカーン!男前なワシやけどーそんな趣味はあらへんでー!?」
「もう何日も寝ていないんだー!」
「……はぁ?」

オダサクの胸で叫んだ太宰はそのままスンスンと鼻を鳴らす。
冷たい声を上げつつも、まぁそんなもんか、と織田は得心に小さく頷いた。

「重いからまずどいてや」
「ひどい」
「ハイハイ」

スンと投げられて太宰は喚くが、織田は気にせず立ち上がる。太宰はグスグス言いながら織田の掛け布団を抱き締めて泣き言を漏らした。

「なァに、太宰クン。オクスリもらてんのとちゃうの?」
「貰ってるけど……今週はもうだめってくれないんだぁ……」
「ああー」

聞けばせびりすぎて森医師に補修室を出禁にされているらしい。
基本的に健康体に生まれ直したというのに。生前の癖及び抜けきらない精神的な依存から乱用し、またズップリになってしまったのだろう。
かく言う織田も同じくアカンお薬を頂こうとしたことがあるのだが、まぁ、初期文豪としての片割れからビンタと説教を頂戴してしまった為、なんだかんだ健全に生きている。

「で?それでなして一緒に寝るなんて結論出したん?」

そして冒頭に戻る。
太宰治は不眠症であった。睡眠薬を過剰摂取する程度に不眠症であった。
薬もなしに熟睡できたという成功体験が、不眠症の太宰にはむしろ逆の効果をもたらしてしまうと誰が考えたことだろう。
できないことへの焦燥。不眠状態で低下する心身の不調に比例して増える薬の量。そして止められる処方。
追い詰められた太宰が成功体験を追随、再現しようとするのは想像に難くない。
それに必要なものは──織田作之助と徳田秋声の、添い寝だ。

「なーるほどなぁ」

説明されて織田は納得に息を吐く。
元より三羽烏として既知の織田にすら頼みになかなか行けなかった太宰が、無頼派とは呼ばれど大御所の徳田(姿はとても若いのだが)に頼むことなどまた夢の夢。

「それで迷いに迷ってこの時間?」
「ウッ」
「太宰クンのことなら出なきゃもう二度とこの話をするつもりなかったんやろ?」
「ウウッ」

にやにやと太宰の頬につつく織田は「薄情なやっちゃなぁ」と嘆いて見せる。図星の太宰は、胸に突き刺さる言葉に呻いて顔を覆う(ので織田は太宰の手の甲をつついていた)。
一通り責め立てると、織田は「まぁいいけど」と肩を竦める。

「毎日はそら無理やけど。ワシも、太宰クンが気持ちよく生きれるんならなんでもしちゃるわ」

掛け布団を抱き締めて離さない太宰を横目に、一人分の小さなベッドに横になる。そして、ぽん、と傍らの隙間を叩いて見せる。

「ほーら、太宰クン。早よお布団返して。そんで、さっさと寝ぇや。寒いやろ」
「オダサク…!」

うるうると涙で瞳を揺らめかせた男は、けれど恐る恐ると言うようにそっとベッドに足を入れた。
その手から掛け布団を取り返してふたりの上に取り返す。

「太宰クン、次は自分の枕持ってくるんやで」

大きめとはいえ枕をふたりで分け合うのはなかなかにきつい。互いに美形だが男同士ということもあるし、スペース的にもだ。寝返りしてしまえばすぐに落ちてしまうだろう。

「次……」
「そう、次。なぁに?太宰クン、ひとりじゃ眠れへんのやろ?それとも添い寝はいらんの?」

聞かれて太宰は咄嗟に「いる!」と声を上げる。
うるさいと言われて太宰が口を押さえると、よくできましたと言わんばかりに織田が太宰の頭を撫でた。

「おやすみ、太宰クン」
「……おやすみ、オダサク」

ベッド脇のランプが消されると、ふっと闇に包まれた。窓の外はカーテンで見えず、ひやり、背筋が寒くなる。
けれど目の前に確かにあるぬくもりに。

「……オダサク、」
「ん?」
「体温低すぎない?それに、骨張ってて固い」
「帰りたいん?なぁ、帰りたいんなら帰ってええんやで?」

イラついた声が返ったが、太宰は首を振って見えない目の前の織田に縋りつく。

「帰んない。……ありがと、オダサク」

確かにオダサクは想像以上に骨張っていて固くて、細くて体温も低くて、あんまり良い抱き枕にはならなかった。
それでもその微かで確かなぬくもりが、息遣いが。
──ただただ、安心できた。

呆れたような嘆息。
背中に回された手がとんと踊る。
きっと今夜はよく眠れることだろう。その確信を持って太宰はゆっくりと瞳を閉じた。









「と、いうことで」
「お泊まり第二弾!」

わーぱちぱち。そう口に出して拍手をするのは徳田であった。万歳する織田と並んで仲の良い最古参の様子に太宰は絶句している。
昨日というか今日というか。織田の部屋に突撃添い寝をしてもらった太宰は、久々のしっかりとした睡眠に満足をしていた。テンションは鰻登りでなんかひとりでも寝れそうな気がしていたが。夜も10時を越え、湯上がりの髪を乾かしていた頃に織田が部屋へとやってきた。
手を引かれるままにやってきたのは徳田大先輩の部屋で。
二組並べられた布団の真ん中に座らされて、太宰は困惑に目を白黒していた。

「お、オダサク?なに?なんなの?」
「なにって、太宰クンがようけ眠れるよう、秋声サンに頼んでお泊まり会しよう思って」
「お泊まり会?」

思わぬ言葉に太宰が徳田を見れば、彼はなんともなしにただ頷く。

「添い寝で君の不眠症が改善されるって聞いたからね。幸い、泊まり掛けに来る友人のお陰で僕の部屋は二組布団があるから」

和洋選べる部屋で、織田や太宰と違い徳田は和室を選んでいた。ついでに言えば他の自然弓の面子も洋室であり、徳田の部屋がなにかと溜まり場になる為、雑魚寝用にもう一組布団を用意していたのだ。
だから布団一組につきふたりで寝るなんてこともザラなので、今日、二組で三人だから広くていいななんてことを考えていたりする。
ちょっとズレてる爺なのであった。

「えっえっ、でも、俺……」
「あれ?僕の添い寝はいらないかい?」
「そんなこと!」
「じゃあいいじゃないか」

困惑する太宰に徳田は控えめに笑う。
織田の添い寝で眠れたものの、正直、物足りない気持ちはあった。
だからこの申し出は嬉しくはあるが、けれど急な来訪を受け入れてくれた織田にそんなことを言える筈もなく。そして、迷惑をかけてしまった罪悪感からきっと今日は大丈夫眠れるだろうという楽観を自身に言い聞かせていたのではないだろうかと太宰は自分の思考を分析する。
添い寝で思い出すのはぽかぽかと温かい子供体温。筋肉量と同時に適度に肉がついていて柔らかくて気持ちの良い抱き心地だった。
体温の低い織田では有り得ず、きっとあの時前から抱き締めてきた徳田と、背中から伸びて腹を抱く織田の腕の重みと感じるぬくもり、鼓動、息遣い。なによりも気持ちよかったのはふたりが揃っていてこそだったのではなかろうか。
でも。だからと言って甘えていいのか?──慣れてしまうことの恐怖が。いつか失うことへの不安が太宰の喉を凍らせる。

「……あまり、僕は太宰くんとお話することがなかったよね」

ぽつり、と徳田は言った。

「織田くんからよく話は聞いているから、あまり、こう……疎遠な気はしていなかったのだけど。だから。もし、太宰くんが本当に嫌なら帰ってもいいんだよ?」

今からでも途中からでも。
逡巡する太宰を気遣ったのだろう、そう、困ったように笑いながら徳田は提案する。

「でもね、」

座らされている太宰の目の前で座り直して、徳田は太宰の手を取った。

「織田くんに頼まれたからじゃなく。僕が君ともっと話してみたいと思ったからこの話を受けたんだ。まぁ、爺の顔に免じて。今日は気楽に過ごしておくれよ」
「徳田、さん…」

名字で呼ぶ太宰に「秋声でいいよ」と言って、秋声は「あ!」と言って席を立つ。

「お泊まり会と言えばおやつが必須だって花袋が言っててね。おすすめのおやつを皆から聞いて調達したんだ!」

戸棚から取り出したのはポテチ小袋とチョコパイ、ポッキー、じゃがりこ、グミ、ガム。そんな子供らしいラインナップからのり巻き煎餅や一口羊羮といった図書館定番アイテムまで。それからコーラとオレンジジュースのペットボトル。紙コップと割り箸と紙皿、お手拭きまでぽいぽいと出てくる始末。
わくわくとしたその表情に、ああ、この人は太宰への同情や織田の頼みだからではなく、本心からこのお泊まり会を楽しみにしたんだなと分かって、太宰からスコンッと肩の力が抜けた。

「僕ねぇ、コーラ好きなんだけどあんまり飲めなくてね。でも時間が経っちゃうと炭酸抜けて美味しくなくなっちゃうじゃないか。一緒に飲もう?あ、オレンジジュースの方がいい?お茶もあるよ?」

お布団の上でわちゃわちゃと接待を始めようとする徳田。織田は、まだ拍子抜けから立ち直れていない太宰の横に座るとこそっとその耳に囁いた。

「秋声サン、こんなお人やから構えんでええんやで。ケッケッケ、お酒もない接待やなんて。あのお人にとってはワシらなんか、ちぃこい子供とおんなじなんやろな」

酒がないのは徳田自身があまり酒に強くないこともあるだろう。それにしてもやはりこの見掛け詐欺爺(不可抗力)は織田や太宰を年下に見ているのだろう。
太宰にも織田にも分け隔てない様子は気を遣ってのものではないことはよく分かる。きっと彼は太宰の背景──太宰の生家の格やら奔放な人生、作風、入水自殺といった、人から否定されてきた負の遺産──のことなど気にしない人なのだ。
ただあるがまま、目の前の子供が困っているからお菓子をやって甘やかそうとするだけの爺なのだ。
織田から太宰の話を聞いていた徳田と同じように、太宰だって織田から徳田の話を聞いていた。
いつだって子供扱いをしてくるのだとか。しかし徳田自身が老獪さと子供っぽさを持っていて、振り回されて疲れる、などと、言葉とは裏腹の楽しそうな顔で言うのだから始末に終えない。

「な、太宰クン。コーラでええやろ?秋声サン、コーラ飲も。コーラで乾杯しよ」

コーラのペットボトルを構えながらそわそわわくわくと開けるスタンバイをしていた徳田は、織田の言葉にぱっと顔を輝かせると蓋を捻る。プシッと音がした。
織田と太宰にそれぞれ紙コップを渡し、手ずから注ぐ。

「乾杯!」

それから、徳田はちびちびと、本当にちびちびとコーラを飲み始めた。炭酸好きの炭酸嫌いという不思議な人は、一口飲んでは顔全体を中心にすぼめてはまた次を運ぶ。
最初の一口は口に入れすぎたのか噎せて涙を浮かべながら咳き込むものだから織田も太宰も慌てたものだ。落ち着いてから「美味しいねぇ」と笑ったのでそれぞれ万が一の時の為に手元にティッシュやタオルを確保した。
それから宣言の通り、徳田は太宰にいろいろな話を振った。
どのおやつがいいから始まり、食堂のメニューや、武者小路や室生と共に世話をしている中庭の菜園の話。大体食事の話題であって、果てはおすすめ木の実スポットまで教えてもらった。どうやら石川や宮沢あたりから教えてもらったらしい。
存外にこの人は表情が変わるのだなと話ながら──というか一方的に向こうが話していると言えばいいのか──思う。取っ付きにくいしかめ面が印象深いが、それでも織田と共にこの図書館を切り盛りしてきたうちの大御所様だ。面倒見が良くなければ癖の強い図書館の面子に好かれたりはしないだろう。苦労性の不憫さも要因にあるだろうが。
やはり織田との会話の方が手慣れていて太宰を通り越したふたりの、ぽんぽんと調子の良い応酬は聞いていて気持ちがよかった。口下手だけど一生懸命話し掛けてくれているのが分かるけれど、多分、徳田は太宰が返しても返さなくてもあまり気にしない人ではないかと思う。気のない返事をしてしまっても流す度量に生きた年数の違いを感じさせた。
人によってはそれを自分への無関心と受け取って気を悪くするだろうが、太宰にはそんなに悪いものと思わなかった。
彼の目が。気まぐれに見える話題の中で、太宰と織田の会話の中で。確かに太宰を見て話していることがわかったからだ。
あまり夜には食べないようにしているものの、特別な夜だ。太宰はひょいとのり巻き煎餅をひとつ取る。また、徳田が顔をしかめながらも美味しそうにコーラを飲んだ。




「寝ない!」
「寝て!」

徳田と織田が無用な押し問答をしていた。
いやいやと首を振る徳田から織田が頑張って紙コップを取り上げようとしている。もう時刻は12時を目前としていた。
そう、12時前だ。
──徳田の平均就寝時刻は11時前だ。
おしゃべりをしながら、眠くなったのであろう徳田は船を漕いだりこしこしと目元をこすったりを繰り返していた。完全に眠いのを我慢しているのが分かる。

「ほらぁ。眠いんやから寝ましょうや。今日は、太宰クン寝かす会ですよって」
「でも。でも。太宰くんまだ眠くないんでしょ?」
「眠くなるまで付き合うてたら朝になってまうやろが。もう。添い寝をしに来たんやから寝て!」
「やだ!」

何故か徳田がぐずり始めたので予想外の織田の戦いが始まった。
普通そこは俺では?と太宰は困惑した。

「あーもう!なぁー太宰クン!眠いやろ?眠いよな?ほらー秋声サン、太宰クン眠いって!寝よ?」
「ほ、本当かい?太宰くん」

頷けと脅す視線と弱く縋る視線に、太宰はこくこくと頷いた。眠気はないが、頷くより他に道はない。

「えっと。秋声さんが眠そうで俺も眠くなってきちゃったなー、なんて…」
「せやせや!秋声サンのお陰!ほぉら、紙コップ渡して、お布団入って!」
「はみがき…」
「1回くらいせんでも虫歯にならんわ!」

ぎちぎちと肩を押して押し返しての戦いは、ばすんと織田が徳田を押し倒して寝かせたことで決着が着いた。

「太宰クン!のしかかり!」
「え、あ、うん!」

起き上がろうとする徳田を織田の代わりにのし掛かって止めながら「俺はポ〇モンか?」と一瞬抱いた疑問を、首を振って霧散させる。
あ、と思った。あったかい。
肉付きのよい二の腕や乗り掛かった腹のぽよぽよ感に、いつかの優しい眠りを思い出した。

「ほーら、秋声サン。太宰クン寝るって。そら、腕枕でもしたげてや」
「うでまくら」

眠気が滲んだ声で徳田は目を瞬いた。

「だざいくん、ねる?」
「う、うん。寝る…」
「そっか…」

起き上がろうとしていた徳田は納得して力を抜いて横たわる。既にとろとろと瞬きが重くなっている。

「さっきのコーラ、普通のコーラだよな?酒とか入ってなかったよな?」
「せやで。秋声サン、眠気でラリるんや」
「ラリるんだ…」

呆然とする太宰の寝巻きの裾をぐいぐいと徳田が引いてくる。

「だざいくん、うでまくらする?」
「い、いいです」
「そっか。ねよう」
「アッハイ」

断ったのに伸ばした左腕のところをぽんぽんとされて太宰は良い子の返事をして徳田の腕枕にお邪魔する。人間の頭部は意外と重い。ハネムーンマヒなんて言葉もあるくらいだから、比重はなるべく枕へと移し、頬首あたりを二の腕に乗せた。
さらりとした寝巻きの感触。近くなったことでより感じた青いい草の匂い。目の前の顔がへにゃと笑った。
気恥ずかしくて目を瞑ると、徳田の片腕が伸びて太宰を引き寄せる。ぽかぽか。あったかい。

「ウーワ。秋声サンもう寝てるやん」

おやすみ3秒、健やかでよろしい。
織田の呆れながらも好意を消せない声音に太宰も笑う。今日一日で、徳田に対する苦手意識も消えた。
この人は優しくて可愛いおじいさんだ。

「ほーら。電気消すでー」

言いながらぱちんと証明は落とされ、カーテンの開いた窓から月明かりが差し込む。眩しいほどではないが、十分に辺りが見える。
光など一筋も通さない普段の自室を思い返す。箪笥の脇、机の下。薄く開いた引き出しに薄らと浮かぶ影への恐怖がいつもあったのに。
月明かりに浮かぶその部屋は整理はされているものの生活感が溢れている。先程開いた食べ残しのポテチの袋は大きなクリップで留められており、ゴミはまとめて引き出しから取り出された三角折りの買い物袋にまとめられている。
庶民臭く、格好悪い。
でも、人間味があってあたたかい部屋だ。
きっと影からなにかが出て来ても、きっとそれはオバケなんかではなく小人かな、なんて夢想をすると知れず笑みが溢れた。
ごそ、と織田は布団に入ってくる。太宰の背中にぴたりとくっつき、2枚目の掛け布団を引っ張って背中を覆う。腕は多分、太宰を通り越して徳田まで伸びていた。

「おやすみ、太宰クン」
「……おやすみ、オダサク」

昨日と同じ囁きを交わす。
折角の二組の布団は結局有効活用されてはいない。ほとんど一組に収まるほどにぎゅうぎゅうと詰まっていた。狭苦しく胸も背中もぽかぽかでいっそ暑苦しい筈なのに。茹だる熱さは頭の芯から爪先まであたためて、溺れるような夜の冷たさを感じさせない。
太宰は薄らと額に汗を浮かべた。
それほどにあたたかいのだ。彼らは。

(好きだなぁ)

何故だか滲んだ涙に目を閉じる。
勿論、ふたりで眠った織田の部屋も好ましいものであったけれど。ふたりが太宰の為に心を配って用意してくれた今日と言う日が、とてつもなく嬉しくて。
ズズと音を立てて鼻を啜ると、無意識にだろう秋声の腕が太宰を強く抱き締める。
もふ、と首筋に織田の頭が擦り付けられて、くすぐったさに太宰は小さく忍び笑いを溢した。

「…やぁい、泣き虫」
「う、うるさいやい!」

旧友の声は弾んでいて、揶揄混じりだけれど不快感は沸かなかった。宥められているという実感のみが胸に甘酸っぱく残る。

「ケッケッケ。もう、寝んと。秋声サン早起きやからツラくなんで?」
「まぁ、うん。こんな時間に寝ていたらそりゃ早起きだよな」
「そらそうやな」

若者にとって朝6時起きは早起きだ。同室故に引きずられるであろう生活習慣に忍び笑いを交わして、太宰の頭を背後から織田が撫でる。

ちかちか。閉じたまぶたの裏で星が瞬く。
いつも、眠る時は冷たい水に落ちるかのような重さがあった。静かな部屋はキンと耳に痛く、酸素が抜ける音がやけに響いて。
重く、重く。冷たく暗いところに沈んでいくのだ。
どこかかえりつかない場所まで沈んで戻れなくなる不安感。
──それがまるで嘘のように。
成程、睡眠とは気持ちが良いものなのだ。雲の上を歩くようにふわふわと、落ちているのか浮かんでいるのか。いっそ恐怖を抱きそうなほどに軽やかだ。それでも怖いと思わずに済んだのは体に巻き付く二組の命綱のお陰である。

(嗚呼、………好きだなぁ)

吐息は熱を孕んで涙で湿っている。
太宰はゆるく笑った。意識はもう夢の世界へと片足を突っ込み、笑っている意識だってない。
ただ、確信があるのだ。
きっと──今日見る夢はしあわせの色をしていることだろう、と。








翌朝。
太宰は気持ちの良い眠りの中でさざなみのような笑い声を聞いた。優しく髪を梳く指先の感触。けれどいたずらに髪を引かれ、ふっと意識が浮上した。
朝の冴えざえした空気が頬を撫でる。まだ空気が冷たいことさえ忘れていた。
ぱちり瞬きをすれば、いつもの自室ではない天井が見える。柔らかな朝の日差しなどいつぶりであろうか。天井の木目を伝い、白い襖から転じて窓を見るとまだ薄ら白い空が見えた。
くすくす、笑う声。
寝惚けたまま視線を顔ごと横へとずらすと、そこには。

「おはよう太宰くん」
「ヒエッ!!!!??」

至近距離、同じ枕に頬を預けた状態で笑う徳田がいた。
最早眠気などない。
驚きすぎてビンッ!と脚が伸びた。飛び起きれなかったのは驚きすぎともこもこにのっかかった布団のせいだ。

「アッアッ……アッ?」
「ふふ、どうしたの?まだ寝惚けてる?」
「ファッ??!」

ちょいちょいと指が伸びて、徳田の指が目元に掛かる髪を払ってくれた。
それすらも脳が追い付かない。

「ちょ、太宰クン驚きすぎやろ。昨日お泊まり会したこと、覚えてる?」
「ウッ…アッ…アッ……オダサク……?」
「せやせや。オダサククンやで〜」

徳田の反対側から聞き慣れた声がする。ゆるりと顔を向けると、そこには旧知の友の顔。ドッと緊張が解け、安心に頬が緩む。
そして思い出したのはお泊まり会だ。
驚くほどの熟睡は、織田と徳田がこちらにちょっかいを出すまで全く気付かなかった。雰囲気的にどう考えてもふたりは太宰より先に起きていたことだろう。
折角の良質な睡眠を、こんな驚愕と共に覚醒させることになるとは想像すらしていなかった。嫌な気分ではないけれど、微睡みにたゆたう気持ち良さを味わいたかったというのを贅沢とは言わせない。
(思い返せば仮眠室での出来事も、結局邪魔されて叩き起こされていたのだったなと思い至った)
織田は横になって頬杖をついた状態で少し上から太宰を見下ろしていた。ツンツンと頬を突く織田に、先ほど髪を引く悪戯をしたのは彼ではないか。

「ケッケッケッ。おそようさん。もう6時半回ってるから起きてな。秋声サンの腕が死んじゃう」
「腕…?」

個人的には6時半など早すぎる時間帯だが、就寝時間とこの熟睡感で、寧ろ丁度良いものなのではと考える。一般的に健康な人の気持ちを味わうと想像し得ない驚愕を抱くものだと学習した。
まだあまり回らぬ頭でもう一度徳田を見る。朝から意外な、もしくは朝だからか。不満気に寄せられた眉ではなく柔らかく弧を描いた眉に穏やかに口許に笑みを刻み、微笑まし気に太宰を見返している。
でもどうして彼は織田のように体を上げないのか。彼の性格上、太宰や織田が寝ていても起こさないように抜け出しはしそうだが、勝手に動き出しそうなものなのに。
そう思いながら、はた、と気付く。

「アッ!!!ごめんなさい!!!」

太宰は飛び起きた。まるで背後に胡瓜を置かれた猫のように。
そして掛け布団がぶっ飛ぶ。
そう、原因は──昨夜の腕枕、だ。
太宰の頭が乗ったままの腕は流石の徳田だって動かすことが出来なかったのだろう。
太宰が枕と反対側へと座り込んでまた「ごめんなさい!」と土下座した。ぱちくり、体を起こした織田と徳田は顔を見合わせた。

「いや、いいんだよ太宰くん。僕、どうやら誰かと寝ていると相手を抱き枕にしてしまうらしいんだ」

抱き締めて寝てしまうとなし崩しに相手を腕枕することになる。自然弓お泊まり会でも、大体島崎か白鳥を抱き枕にしている前科持ちらしい。ちなみに並びは独花藤秋でたまに白鳥が徳田の隣に並ぶ。時折ふとんに辿り着く前にタコ化すると弓使いの腕力で逃れることは不可能となる。最強を舐めるな。
そして勿論、織田だって初期の三ヶ月で何度もその被害に合って最早慣れきった事実であった。
徳田は逆に「窮屈だったろう?ごめんね」と謝って、頭を下げる太宰の頭をもふもふと撫でる。
そしてその頭を横から同じように織田も撫で始めた。

「太宰クン、ようけ寝られてたねぇ。よかったよかった」

昨日は織田が目を覚ました身動ぎで、然程の難もなく彼も目を覚ましていた。確かに眠れはしていたものの、熟睡とは言えなかったのだろう。
けれど、徳田が起きても。織田が起きても。それでもあどけない寝顔を晒してすやすや寝ている今日の太宰を見て織田は本当に安心したのだった。
太宰への気遣いを感じる声音に、朝も早よから、羞恥と歓喜でじわじわと太宰の顔に熱が上がってくる。ますます顔を上げられないではないか。
と、思っていると衣擦れの音がして、頭を撫でる腕が2つずつ増えた。彼らが両腕を駆使して撫で始めたらしい。

「ちょ、ちょ、あ、やめ、やめ───やめてってば!もう!」

頭に限らず手は背や腰や脇腹やと自由に動いた。感動など吹き飛んで、翻弄された太宰はふたりの手を払うと身を起こす。その頃には熱さと怒りで顔が火照っていた。

「あ」

ふたりの声が重なった。
彼らは手を振り払われたことは微塵も気にしていないようであった。太宰と視線を交わし、にこり、笑う。

「おはよう、太宰くん!」
「おはようさん、太宰クン!」

晴れやかな朝の挨拶に毒気を抜かれて目を瞬いた。こんな──こんなの、叱れない。

「〜〜〜……おはよう!オダサク秋声さん!」

今日もまた新しい一日が始まる。











20200313

お久し振りのお疲れ庶民派シリーズ。
庶民派中心の話がこのシリーズですけど、最初の挟まれ太宰とこれの「庶民派に添い寝して貰う太宰」が本編という想定でしたので完結しました。おめでとうございますありがとうございます。

他は庶民派を中心にした小話なので同設定の番外です。だから定期的にお泊まり会やってる世界です。
添い寝以外でもお疲れラリってる庶民派のネタが出来たら追加します。

この後、庶民派と食堂行った太宰は自然弓に囲まれてどうだった?今度は俺たちも一緒に泊まるぜ!みたいに構われます。おじいちゃんたちは若い子を構いたいんです。勿論館内新聞にされる。
ちなみに安吾がまだ来ていない図書館なので、来た時に定期開催されるお泊まり会を知れば大分悔しがるでしょうね……。

本編書けたし安吾来た編書き下ろして本にしたいなという欲望はありますのでいつかよろしくお願いします。小話がちょっと時系列と設定がふわふわしてるので修正したい(自分メモ)


以上ですありがとうございました。




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