弓組の良すぎる眼の話









幻想的な美しさと、底冷えするような恐怖。それらを巧みに融合させた怪奇小説を得意とする、泉鏡花。
彼の描く世界はそれはそれは華やかで美しく──夢見がちであると秋声は思う。

「なにも知らない癖に」

憧れてだけいられるなんて、なんと幸せなのだろうか。現実なんて夢も希望もなく、どろどろと汚いのに。
お前が綺麗だと思っているものが、本当に綺麗かだなんて、知りもしない癖に。



「仕方がないだろ、あいつは見えないんだから」
「見えないのはあいつだけじゃないし…」
「……だって、あいつが言うんだ。僕は遊び心が足りないって」
「まぁ確かに。俺たちには、アレを遊び心でなんて見れないもんな」

ぶすくれる秋声を宥めるのは花袋と藤村だ。最後に笑い飛ばすのは独歩である。
彼らは中庭の一角にあるベンチに集まり、わいわいと話をしていた。今日は風が強く辺りに人はいない。好都合であった。

「ふん、僕らの苦労も知らないで…」
「まぁまぁ抑えろって。どうせ、言っても信じないさ。それよりほら、獲物だぞ」

そう言って独歩が指し示す先には黒い…なにやらもやもやとした塊。誰が行くか、なんて言葉は必要ない。ざあ、という風の音に紛れて秋声が駆け出した。
布の多い服を纏う秋声はさぞや衣擦れの音がするだろうと思われがちだが、しかして、その身のこなしは驚くほどにそれを消している。たとえば飛び降りた後の着地などまるで猫の子のように、軽やかで静かだ。
身を低くして走り出した秋声は、なんの気負いもなく足を振り上げ、特に気にすることもなく、踵をそれに打ち付けた。
にじり、踏まれる先には件の黒いもやはなく──

「おっまえ、足ってなぁ!」

ヒィヒィと独歩が笑う。

「あれくらい、足で十分さ」
「だからってなぁ。いや、あれ低級霊だろ?拝んで成仏させてやればよかったじゃん」
「………」

八つ当たり、であることの自覚はある。むっつりと口をつぐんだ秋声の背をたしなめるように花袋は叩いた。

「まぁ小さくて自我もなさそうだったし…成仏出来たかわからないから仕方がないってことでいいじゃない。祓い屋が、理解されないことなんて今に始まったことじゃないしね」

藤村がそう言うように──彼らは一般的にその姿を見ることが出来ないと言われる、幽霊、妖怪、そういった怪奇物を専門に退治する祓い屋、というやつなのだ。
通常、人間というやつは見たいものを見、見たくないものを見ない。恐怖に現実から眼を背け、願望に虚像を映す。
本来、秋声はそういうものと相対する生業にないが、彼のように余りにも観察眼、客観性に優れていると、いつしか研鑽の後にそれらが見えてしまうのだ。
人に見えざるものが見える。それは、時に狂気として映る。ある日それらを認識してしまった秋声は、それはそれは、周りの不理解に激昂したものだ。
しかし、運が良いことに花袋や独歩、藤村らの家がそういうもの退治を生業にしていた。
元は秋声の所へ遊びに来た花袋が見えざるそれに反応した秋声を問い詰めたものだが、結果して藤村や独歩という理解者や、九字、経文の対応策を与えられて、今に至る。

「あーあ、僕らが影に日向に守ってるっていうのに呑気なものさ……」
「君も昔はそうだったけれどね」
「昔は昔、今は今ったら。もう」

茶化す藤村に頬を膨らませる。
日々至るところに影はある。古来、霊場と呼ばれる場に立てられたこの図書館は、錬金術の工房として最適であるがそれ故にそういった不確かなるものを呼び込むのだ。
作家は元より感受性が強く、精神が不安定なものが多い。また、戦いに傷付き心弱る姿につけこむあやかしの多さに地味に活躍をしている彼らの眼に映る世界は、一言で言えば異常だろう。
それでも現実として向き合ってしまったのだから、向き合い続けるしかないのだ。







その日は朝から頭が痛かった。
視界の端に蠢く黒いもやが多いのは、普段は弱すぎる為に自然とシャットアウトしていた分が制御できていないからだ。
こうなると今日は散々だ。一日寝てしまいたい。風邪だと言って助手の仕事を変わって貰った方がいいだろう、と算段付けながら引き出しから眼鏡のケースを取り出した。

今日の秋声は、本当に、最低限しかなにもしていない。びよびよに跳ねた後ろ髪、青い着流し一枚に肩から羽織を掛けただけの服。丸眼鏡を乗せた顔はそのレンズ越しにも血の気がないことが見てとれて、ああ、このまま帰って寝るだけだなと分かる姿。

「わぁ、秋声サン!ごっつ顔色悪いですやん、大丈夫でっか?」
「ああ、織田くん。ごめんね、気分が優れなくて今司書さんにお休みのお願いをしてきたところなんだ。急遽で申し訳ないけれど、多分、織田くんが代わりに助手に任命されると思うから、」
「ハイハイええですよええですよ。そないな白い顔して、気遣いは無用でっせ。秋声サンはなぁんも気にせんでゆっくり休んで、早よう元気になってくださいな」

余りにも気遣わない姿のまま食堂に入ってきた秋声に飛び付いたのは織田だった。言いながら手袋を脱いでぺちぺちと秋声の額や頬に触れていく。

「熱はないみたいですケド、吐き気ですか?食欲ありますのん?お薬は?」
「いやいやいや、織田くん、心配ありがとう。頭痛が少し酷いくらいなんだ。食事は……今はいいかな。薬はあるから、水でも貰ったらこのまま帰って寝かせて貰うつもりだよ」
「あかんですやん、少しは食べへんと体もちませんやん」

最古参として一番長く苦楽を共にした仲で、こうして心配してくれてこそばゆい気持ちになってえへへと笑う。

「……おはよー」

と、そこに新たな客がやってきた。
そこにはまさに色を変えた秋声と言うべきか、簡素な橙の着流しに緑の羽織。そして鼻先に丸眼鏡を乗せた花袋の姿。後ろには苦笑している藤村と独歩が付き添っていた。

「なぁんや、花袋センセも体調悪いんです?もう、秋声サンも揃って仲がよろしいことでっ」
「あーやっぱり秋声も頭痛か?」

呆れてそう織田がそう揶揄すれば、状況を理解している独歩がそう言った。花袋と秋声は苦手な波長が近いようで、時折充てられて同時期に寝込むことがある。

「なぁんだ秋声もかー…あー…だめだ、あたまいたい…」
「花袋はなんか僕よりつらそうだね」
「んおー…寝たい…」
「はいはいはい、ここで寝るのはやめてくれよな」

崩れるように椅子へと体を預けた花袋が、そのままテーブルへと頬を押し付ける。
それに誘われるように向かいに秋声も腰を下ろしたが、なんとなく、体がより重くなったように感じた。彼らの顔を見て安堵してしまったからだろうか。

「花袋は今んとこ微熱だな。秋声は?」
「熱はないよ。頭痛が少し…激しいくらい」
「はいはい、その内熱出るから今日は安静な」

わしわしと独歩の手が秋声と花袋の髪を掻き混ぜる。
その手が気持ちよくてまぶたを閉じれば、直ぐ様眠気がやってきて。

「ほーら、まだ寝ない!食欲はどうせないんだろ?ねこまんまでいいか」
「お昼はおかゆでも作って貰おうか」
「ふたりの世話を別々にするのも面倒だし、秋声の部屋に布団並べちまうかな」
「おー、そりゃええ考えですねぇ。逃げたらあきまへんえ、おふたりさん」
「にげないよ…」
「にげるかよ…」

看病の算段をつける彼らと共に揶揄の声を上げた織田に切り返すふたりの声は酷く弱い。
ずどんと置かれたねこまんまを食べる間、もうほとんど目の開いていないふたり。最終的に、花袋は独歩に、秋声は藤村に手を引かれて部屋に帰るのであった。





スイッチひとつでつく便利な電気の明かりがあれど、秋声は、そして花袋たち見えざるものが見える者は、蝋燭に火を灯す明かりを好んで使っていた。それを不思議がる者、笑う者もいたが、彼ら以外にも好き者はいたものでそんなものだろうと受け入れられていた。
実際には勿論、理由がある。
灯りとはすなわち導である。
さ迷うもの、形なきもの、隠れるもの。そういったものを引き出すには炎による光でなければならないのだ。
ランタンの揺らめく炎にあてられて影が踊る。

「出ておいで。話をしよう」

秋声はそう囁いた。

それは少しに聞いた話である。
西館に夜な夜な泣き声が聞こえる、と。
関係者以外立ち入り禁止のこの図書館──否、研究所と言ってしまった方が早いか。山深く車で30分はかかるこの立地の図書館に、幼い少女の泣き声が夜間に響く筈もない。
種明かしをしてしまえば、霊場とも言えるこの場所の所為で迷い込んでしまった可哀想な子羊だというだけだ。
秋声がその噂を聞いたのは織田からであった。堕落大好き黒い男が、深夜まで深酒をして聞いたというところから始まって、夜更かし組の証言から真実味が出てしまった噂話だ。織田は信じていない様子であった。秋声は「へぇ」と答えるのみ。
彼も、花袋も、藤村も──遅くても22時には寝る爺であったのだ。
それなりに夜更かしをする独歩であってもあまり夜に強くはなく、つまり、除霊なりをする人物が皆揃って、霊が活発になる丑三つ時には夢の中なのだから知らず増えても仕方がない。
秋声が話を持ち帰ったのと同日、取材コンビもまた同じ話を仕入れてきた。話し合いの末に限りなく黒と出た結論に、敷地内の結界の確認をした花袋がこれはダメだと肩を竦める。

「流石、政府が確保する霊場ってことだけはあるな。あの結界符も本当なら1年は保つんだぜ?まだ半年かそこらで綻んでしまうなんてなぁ…」
「ふん。なら、結界の敷き直しからだね」
「今後は定期的に確認しなくちゃね。さて、強さはどうしようか」

着々と話は進んで、定期監査の他に二種類の結界を張ることになった。ひとつは今のものと同じもの。半年は保たずに壊れるようだが、四ヶ月ごと、季節ごとに変えるようにする。そして、それより少し弱い結界を毎月交換することにした。
ここで問題となるのは秋声であった。
彼は手解きされたとは言え、元々そういった家系ではない。技術が足りなければ経験も少ない。自身に降りかかる火の粉は祓えはしても、近寄らせないようにする結界などの技は苦手であったのだ。

「あれだな、でかい結界は独歩が。毎月のは、訓練がてら秋声がってのがいいんじゃないか?」
「そうだね。そろそろ、僕たちから結界符を買わなくても寝られるようにならなくちゃ」
「………うるさいな、分かっているよ」

花袋と藤村に言われてぶすりと秋声は下唇を突き出して拗ねた。
今、秋声の部屋には独歩手製の結界符が貼られている。結界など空間に作用する技術は独歩が一番上手なのだ。藤村が得意とするのは降霊や招霊といったもの。花袋は除霊といった力技が得意──もうお分かりのことだろう、秋声の師は花袋である。
花袋も結界など出来ない訳ではない。ただ感覚的にやる為大雑把で、あまり人に教えるのに適していないのだ。だから教えるのは除霊ばかり。そんな調子で秋声が学べる筈もない。
秋声は憎らしげに睨み付けるものの、花袋はそれなりに頑張って教えていたので腑に落ちないと顔をしかめる。文豪にあるまじき語彙のない説明をかましたものの、元々感覚的な技術である。それで理解しない秋声が悪いとは花袋の弁だ。
そんなこんなで、独歩が張った結界の中、秋声が除霊をして回っている訳だ。

「でね、聞いておくれよ」

ちょこんと草むらに座り込んだ彼は霊相手に愚痴を溢す。話をしよう、と言ったのに話をしているのは秋声だけだ。流石の霊も驚いているようだ。
袴の先、足袋に包まれた指先がぴこぴこと動く。一通り喚いて満足したのか、彼はすっくと立ち上がった。

「ま、そう言う訳だからさ」

ふわっと笑った彼はきょとんとしている少女に手を差し出す。

「悪いようにはしないさ。君はなんで泣いていたの?痛いのかい?悲しいのかい?お母さんとはぐれたかい?──大丈夫。全部、大丈夫になる。あの光を見て……」

触れた冷たい手があたたまるように。そう願いながら力を込める。体重を感じさせない少女を抱き上げて秋声は上を指差した。星が瞬く空は暗く、だからこそ、いくべき「道」というものがよく見えた。
秋声の指差す先、彼の力が形作る道。それは一筋の蜘蛛の糸のように細く、しかし、たしかにそこにある。儚くともそれが少女を救うものであることは、本人にもよくわかったことだろう。
少女は目を輝かせてそれに手を伸ばす。嬉しそうに笑った彼女は一目散だ、秋声を振り返ることもしない。

「……ま、仕方がないよね」

名残の燐光が消えるまで見送ると、秋声はそっと肩を竦めた。
この仕事は感謝されることが少ない。いや、仕事とも言えないが。
そうして、たださまようばかりの憐れな霊を見送った。
そもそもの結界が作用していたのか悪霊の類はいない。可哀想な、憐れなものばかりが惹かれてここにやってきた。だから、独歩が敷いたのは中にいるものを全て滅するものではない。
本来の霊はただそこにあるものだ。いずれ風化されていくものだ。ただ、中には未練が強く、また、自我の薄いものがある。それらは不意に只人に見られてしまうことがある。そういう彼らはなかなかに成仏することはなく、ともすれば悪霊と化してしまうから扱いが難しいのだ。
また、除霊というものはその全てをなかったことにする技だ。いわば殺してしまう技なのだ。つまり独歩が敷いたのは即に殺さず、手間はかかるが憐れな魂を救うもの。

「やれやれ…」

どうせ、やるのは秋声なのだ。
弟子はつらい。
ぽんぽんと腰を叩いて伸びをすると、おおい、と声がかかった。振り返れば笑顔で独歩が手を振っていた。

「よお、お疲れさん。終わったんだろ?今、花袋たちが食堂で夜食作って待ってるぜ」
「そう、ありがとう」

並んで歩き出す。実際に活動したのは秋声だけであったが、それでも深夜に弱い爺いたちがこうして待ってくれているだけ、嬉しいというものだ。推測で言えば、多分、雑魚の駆除を影ながら手伝ってくれていたようにも思う。
藤村と花袋のふたりの笑顔に出迎えられ、共に茶漬けをすすった。そして眠気に耐えかねるよう布団になだれ込む。

「おーおー、自然主義のやつら、随分眠そうだな」

翌日、朝食の席でしょぼつく目をこする彼らを見て志賀は呆れたように笑った。
総じて爺が若い姿になっているので夜に弱いのは知れている。揃って夜更かしでもしたのだろうか、仲の良いことだ。
だらしないことだ、と兄弟子に叱られている秋声は眠そうながら嫌な顔をしている。

「全く、僕らの苦労も知らないで…」
「なんですか、言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」
「あーもー、うるさいなぁ!」

そしていつもの喧騒へ。
4人は視線をちらと合わせて、噴き出した。








180415

書き初めのデータが昨年10月末だった。
多分夏目読んだ後だったかに書き始めたやつ。大体祓い屋パロ的なのを一度はやってしまう。好きです。

技巧の藤村独歩と力押しの花袋秋声。
白鳥さんは無意識に避けているパターンかもしくは寄せ付けない体質ってかんじ。秋声は陰気(笑)だから寄せ付けちゃう。
見えるようになってから対処法を学ぶまでずっと花袋にひっついていたので癖とか方向性を引き継いでしまっている。ついでに感覚も近かったのか当てられる時は一緒。
藤村独歩は寝込むことは稀。ないとは言わない。けど同時ではない。

強さ的には独歩≧藤村>花袋>>>秋声(自衛が出来る程度)



以上です
次はこれやりたい〜といっていたことをまるっとやらなかったね!
お粗末様でした。



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