リップクリームに纏わる田奥。







あ、と気付いた。

「唇、」

そして考えより先に言葉が口を突いて出る。奥山の声に視線の先の田中が振り返った。
今アジト代わりの一軒家には奥山と田中しかいなかった。佐藤はクーラーボックスを担いで外出し、高橋とゲンに至っては行方も知らない。彼らは顔がバレていないのでふらふらとよく出掛けていた。田中は勿論顔が売れているから無理だし奥山は脚の件で出歩くのも億劫だからと引きこもり、現状に至る。
パソコンの設置された奥山のスペースの先、ピコピコとゲームのコントローラーを持つ田中は、出会ってから日が経つにつれ毒の抜けた表情を晒すことの多くなった。不意にこどものような表情をするから奥山は戸惑う。──ほら、今も。どうしたのなんて言わないで、雄弁に語る瞳をまんまるにして問い掛けるのだ。

「田中さん、唇切れてない?」
「ん?…ああ、そうなのか」

彼は日常的に異常的な方法で以て殺され続けてきたのだ、痛みに鈍いところがある。逃げられない殺戮地獄に発狂も出来ないのならば、その感覚を殺すことを脳が精神が本能が判断するのも致し方がないことだと思う。人間として正しく生きられなくなった田中は些細な痛みは分からない。
奥山は立ち上がると動きの悪い脚を引き摺り、ゲームのコントローラーを放した手で唇を弄る田中の隣に座った。

「触ると悪化するから触らない方がいいよ」

傷に触ることもそうだが、特に洗浄しないコントローラーを触った手でなんて不潔に過ぎる。傷口にバイ菌が入って化膿になんかかったら目も当てられない。
ひょいと手首を掴んで唇を弄るのをやめさせれば、田中は細い眉を下げて困ったような顔をした。

「舐めるのもダメ」

ちろりと検討違いのところに舌を出した田中を叱りながら、太くてぷにぷにした指で口端に触れる。薄い唇は柔らかくもなく、暖かくもなく。湿った吐息が指を擽り、ちょんちょんと傷に触れたそれを見れば血はついていなかったので傷は塞がっているらしい。

「血、今は出てないから後で洗っておきなよ。大口開けたり触るのは禁止ね。……どうしよう、サラダ油でも塗ったら少しは楽になるかな?」
「いや、サラダ油はどうかと」
「だよね」

真顔でふたりは頷き合った。サラダ油はない。効果があるのかも分からない。

「…こんな小さな傷、気にすることないだろう」
「見てると痛くなるでしょ」
「じゃあリセットするか」
「たかがこんな傷の為に死ぬの?馬鹿馬鹿しくない?」
「………」

渋い顔をした田中に今度こそ奥山が笑った。
──その日の午後、連れ立ってスーパーへと夕飯を調達に出掛けた。外で待っていた田中に買い物袋を押し付けると、奥山はごそごそとなにかを取り出した。
そして彼に投げられたもの。白いキャップに緑と本体。白抜きの文字でメンソレータムと書かれたなんの変鉄もないリップクリーム。奥山はわざわざそれを探してくれたらしい。

「ついでだから」

肩を竦める奥山に、ん、と田中は頷く。ありがとうというのが照れ恥ずかしかった。
2個入り98円のお買い得のそれ。塗ればスースーとして、学生時代に眠気覚ましに目の下に塗るといいという話で試して悶絶したことを思い出した。
今では、もう遠い昔のこと。
さてそのもう1個の行方とは。






20160201

特に意味もなく同じものをはんぶんこしたら萌えるなっていうオチと、おかあさんみたいな奥山くんと、いろいろ鈍くて世話やかれる田中さんが見たかっただけ。
ポンコツな田中さんが見たい、一番正常で異常な田中さん萌える

あざしたー