ワンライ
永井母視点3本+ケイ視点1本
下に行くほどクズ





【写真】永井母視点

息子の部屋は2階にある。
人間でないあの子のお陰で煩わしい日々を送る中、漸くにして開いた部屋は少し埃っぽかった。開きっぱなしのカーテンから差し込む光が舞い上がった埃をちらほらと光らせる。
ベッドと勉強机、本棚。そしてタンスがひとつ。机の上には教材がいくつか積まれ、ベッドの上の薄手の布団は綺麗に折り畳まれ、余計なものの置かれていない部屋はまるでただの作り物のように見えた。あの子は、突然にして母の手から去ったというのに。まるで、この日を予期していたかのように、生活臭を残していない。
そして、ふとあの子がどんな生活をしていたのかを知らないことに思い至る。妹ばかりを構う母に我が儘を言ったことのないあの子は、なにを考えていたのだろう。悔しいとか、寂しいとか、思ったことはあるのだろうか。澄まし顔でなんでも受け入れて笑ったあの子は。
そして母親は、思い付いて勉強机に置いてあった本を取り上げた。ハードカバーの随分古い昆虫図鑑。表紙は傷んで、これだけがこの部屋に似つかわしくなく特異だったのだ。
開いた中に挟まれていたのは一枚の紙。
こちらも随分と年期が入っている。森の中、笑い合う少年がふたり。圭と、幼い日に母が会うなと命じた、幼馴染みの男の子。
昔日の夏、素直にそれを捨てた筈の息子はそれでもなお、こんなものを大事に取っておいたのか。
あの子は、これが、そんなにも大事だったのだろうか。
あの、運命の日。コーヒーだけを啜って出掛けたあの子の、好物さえも知らない母を、あの子はどう思っていたのだろう。
今更だ。こんなこと、今更である。
あの子はもう母の手の中にはいないのだ。ばけものになったあの子は、もう、この家にいらないのだから。
それでも、写真の中の小さな息子のその笑顔が。いつだって笑っていた筈の息子の初めて見るような、明るい笑顔が。
───どうしてこんなにも、胸に刺さるのだろうか。





【写真】永井母視点

ふと見返した家族写真。忌々しくもある元夫の顔がある時を境にいなくなり、暫くして。そういえば、次第に息子の写真が消えていく。
恥ずかしいからやめてくれと言った思春期の息子を構うより、体の弱い娘が可愛かった。
高校の入学式に撮った写真を最後に、あの子の成長がこのアルバムに1枚も入っていないと気付いて、そうか、と思い至る。
あの子はいつから家族ではなくなっていたのだろうか。





【写真】永井母視点

一枚一枚切り取られた元夫の、顔のあるべきところには台紙が覗く。
さぁ、これから、息子だった筈のばけものの顔を消さなくては。あれらは、家族にはいらないものだから。いらないものは捨てるに限る。ゴミはゴミ箱へ。
女はマジックの蓋を開けた。





【写真】ケイ視点

ほら、と手渡された薄っぺらい紙の束。きょとん、ケイは首を傾げて戸崎を見上げた。

「お前の家族の今の様子だ。気になるだろう?」
「へぇ、それはどうも」

ケイはそれを素直に受け取ると、薄く唇に笑みをはく。ちらとも視線を向けぬままに、その紙束を握り潰した。
ぐしゃり。
しわくちゃに寄せられたそれは、更にふたつ折りにされ手のひらで丸められる。なにをするんだ、といいかけたのも束の間、戸崎は向けられた視線に唇を閉ざした。

「ありがとうございます」

酷く冷めきった視線であった。
余計な世話を、と憤るものでも全くない。ただひたすらに、面倒だと顔に書いたケイには、家族を心配する気持ちなどさらさらないのだと戸崎には理解できた──そう、あの日、息子のことを露とも理解していなかった、しようとしていなかったあの母親と同じく。
それでも少年は、潰された資料の中の写真に写る母と同じ笑みを浮かべていたのだった。



補足※クズの系譜
そういう酷薄で家族を家族としないところは母子で似ていて、互いに家族だと思っていないのに見るからに血縁を感じさせるからおかしいね、という話。





【写真】コウ視点

永井が戸崎さんになにかを渡されていた。家族、の今の状況についての報告書らしい。つまらなさそうに眺めるそれを後ろから覗くが、小さい文字がこちゃこちゃしていて目がしょぼしょぼする。

「あっこれ、永井のおかあさん?」

写真を見つけてそう言えば是の答え。もうひとつある女の子の写真は妹だという。説明をされながら見比べて、コウはふぅんと頷いた。

「妹ちゃんと似てねぇなぁ」
「妹ちゃんって言うなよ気持ち悪い。そうだな、妹は父親似だ」
「永井はおかあさん似なんだな」

目の形や細い眉といった造りがとてもよく似ていて笑いたくなった。永井は男だけど綺麗めな顔をしていて、美人な母親譲りだと知って納得だ。冷たい表情は親子共々共通していて、もしかしたらただの地顔なのかも知れない。いや、こいつが冷たいのは根っからだから誤解だとかはないのだけれど。
妹ちゃんも可愛くはあるが、永井母と永井兄に比べて感情的な表情といった差異が目立つ。
そう言うと、永井はふっと笑った。目をにじりと細めて、酷く楽しそうだと思った。

「知ってる」

ご機嫌な黒猫は鮮やかに笑う。
そこに乗った感情をコウは知る由もなく。



補足※クズの系譜
母もクズだから自分もクズなのは仕方がないんだ、知っているんだと自覚済みのケイくん