チャーシューが食いてえ
厚切りベーコンでもいい









八月が過ぎ、残暑は未だ厳しいとは言え夜には過ごしやすい気温に落ちる。特に、今現在隠れ屋として利用してるこの宿など山際なのだからそれはいっそ肌寒いとも言えた。
コウはぼやーと寝台に座ったまま頭を掻いた。まだ朝には早い夜半である。催した尿意に睡魔は逆らえなかったのだ。
冷たい床に素足をつけるとぶるりと体が震える。ふと、隣の寝台が空いていることに気づいた。
そこにいる筈の人物、永井圭。人情を解さぬクズ野郎で頭の良さをひけらかす気にくわない少年だが、ここ最近ではなにか考え込む様子を見せ、そして投げ出すようにやる気を見せなくなった。

「…トイレか?」

呟いて、そういえばと自身の目的を思い出す。催促するように体がまたぶるりと震え、前屈みになって股間を押さえる。やばい。
やばいぞ。



ふう。
じょろじょろと排尿を済ませてコウは安堵に息を吐いた。尊厳は守られたのだ。
滴はぴっと飛ばしてトランクスにブツを押し込み、スウェットのズボンを引き上げる。適当に洗った手はTシャツの背中で拭った。きっと、永井が見たら眉をしかめるに違いない。
そういえば、永井はどうしただろう。
わざわざこの一番近いトイレ以外を選ぶ必要性は感じない。別に、あのいけすかない少年のことなどどうでもいい、のだが。なんだかどうしても気になってしまうのはコウの性格故だからだろうか。ふらり、歩き出したコウの足は自室へは向かっていなかった。
夜の宿はしんとしていた。昼間とは違ったそれはどこか心を騒がせた。黒服がひとりずつ交代で不寝番をしているが、今のところは平穏のままだ。気が抜けてしまいそうだ、と危機を抱く反面、このまま続けばいいのにと願う心もまたある。
梢がさわさわと音を立てる。夏も終わりに差し掛かり、りーんりーん、りりり、と秋の虫の音が響く。

「あ、永井」

歩いていると、林に面した回廊のベンチに横たわる少年の姿が見えてコウは声を上げた。それは違わずに彼に届いたのだろう、緩慢な動きでケイの頭がコウへと向く。
ぺたり、ぺたり。サンダルをひっかけたコウの足音は数歩で終わり、それに伴い真上を向いたケイの前髪がはらりとこぼれて真白い額を晒す。

「なにしてんだ?」
「…寝てる」
「こんなとこでか?」

からかうようにコウは眉を上げた。
日焼けのない、人形じみたこの少年の血も涙もない性格に相応してか体温が随分と低いことをコウは知っている。その分、暑さにも寒さにも弱いとちらと溢したのを覚えていた。だから、こんな寒いところで眠れないだろうことも知っている。
ケイはぱちりと猫目を瞬かせると、ちらと視線を流した。星の輝く夜空に、闇を深くした雑木林。

「おなかがすいて」
「ふぅん?」

ついと押さえたケイの薄い腹からきゅるると可愛い音がした。

「なんか食えばいいじゃん。厨房の食材は好きに使えって戸崎さん言ってたし」

生理的なものだが素直なケイの腹にコウはくつくつと笑って言う。総勢9名が暮らすのだ、食料庫には一定の食材が詰まっている。それぞれが他人の集まりなのだから最低限の用意はされるが趣味嗜好に合わせて好き勝手にやれというのが戸崎の方針である。

「…なかった」
「あ?」
「パンがなかった」

そう言ったケイに、そういえばこいつは炊事出来ないんだっけ、と大事なことを思い出した。そもそもあまり食わないやつだけれど、たまに自発的に食べる時は食パンにジャムを塗ったりハムやチーズを乗せて焼くといった簡素なもの──そう、本当に全く、こいつは料理が出来ない。

「あー…」

つまり、今この少年は腹が減って眠れないというのに満たす術がないということだ。そして気力をなくしここで行き倒れた、と。
面倒なことになった。それがコウの正直な感想である。ぽりと頭を掻くとくんとTシャツを引かれた。

「中野、おなかすいた」

上半身を緩く起こしケイがコウのTシャツの裾を掴んでいる。そして、どこか幼げに小さく首を傾げた。まだ少し湿気てるであろうTシャツは気にならないらしい。
つ、と下げられた眉は普段強気どころではなく傍若無人で傲慢な少年にしては酷く弱々しく頼りなさげで、どこかむずむずと落ち着かない。

「なぁ、中野」

くんくん、と裾を引かれ名前を呼ばれ、きゅるきゅる、可愛い鳴き声もする。
ううむ、と唸ったコウは、一度強く強く目を瞑ると──仕方がないなぁ、と肩を落とすのだった。



厨房は流石宿のものであって広い。戸棚を開けるとそこには常温の食材があり、確かに買い置きの食パンやら菓子パンといったものがなくなっている。ああ、今日の不寝番は真鍋さんだっけ。多分菓子パンを持っていったのは彼だろう。業務用の冷蔵庫を開けば、広さに比べて大分ちんまりとしたスペースで済む食材が収まっている。

「おっ、冷や飯あるじゃん!あっ!チャーシューも!」

がさごそと漁ってコウは声を弾ませた。
レンチンでもして卵かけごはんでも食べれば良かったのではないか、と思うものの、ケイがそういったものを啜るイメージが沸かないのだからある意味こいつはすごいやつだなと思う。

「チャーハンでいっかな」

コウは呟きながら必要な食材を取り出していく。玉葱と、ボウルに入った冷や飯、たまご。誰か──多分真鍋──の晩酌用とおぼしきチャーシュー。お手軽な刻み生姜のビンと塩胡椒にサラダ油。
コウは玉葱の皮を剥いて半分に切ると、筋を入れて粗微塵にする。ツンと目に来て顔を背けるとケイが不思議そうな顔をしていた。そうか、玉葱で涙が出ることも知らないのだな。いつかやらせて泣かせてみせよう、と心に決めながらコウは深めのフライパンを取り出して火に掛けた。そして手早く残りの半分も刻み終える。
さて十分熱されたフライパンをくるくると回して油を伸ばすと刻み生姜を入れる。ぱち、と弾けて手に飛んだ。熱い。にんにくもあったらよかったなぁ、こいつはあんまり好きそうじゃないけど。
次いで投入した玉葱は、どうせ生でも食える食材なので軽く炒めるだけでよい。炒めながらチャーシューを刻み、たまに菜箸で掻き混ぜながらしんなりしてきた頃に冷や飯を投下。レンチンしてほぐしておけばやりやすいのだが面倒なので菜箸でぐさぐさ突き刺してほぐす。多少の塊はご愛敬だ。
粗方崩せたら、冷やご飯のボウルで溶いたたまごを回し入れて強火でざっと掻き混ぜる。なんかのテレビで先にご飯と混ぜておくと黄金チャーハンになるとか聞いたけど、まぁ斑でも食えれば問題ない。少しフライパンに焦げ付きダマになりかけているのを米で削ぎ落とす。

「あ、永井それ洗っといて。あと皿。2枚よろしく」
「……ん」

後ろでじっとコウの手付きを見ていたケイにボウルを指して言えば、特に反発もなく素直に頷いた。蛇口を捻ってスポンジを泡立てるケイを横目にみながら、流石に洗い物は出来るので頼んだがこうして素直だとどこか調子が狂うなと苦笑した。
さてと最後に、刻んでおいたチャーシューをごろごろと入れると、一緒にタレも回し入れて炒めた。タレが焦げる香ばしい匂いに口の中に唾だ溜まる。いい匂いだ。美味そうだ。自己満足の自画自賛ではなく、これは確実に美味いと分かる匂いである。
コウはひょいと手のひらに米を少し掬って口に放り込んだ。少し塩気が足りないかな、と塩胡椒を振り味を整える。よし、これで良し。あとは、じゅうじゅう、強火で水分を飛ばしてぱらりといい感じになれば完成だ。
その頃にはケイの洗い物も終わっていて調理台の上に皿が2枚乗っていた。
コウはフライパンを持ち上げて、二人分には少し多いかというチャーハンを皿に移す。

「こんぐらい食う?」
「ん」
「チャーシューは?」
「…ん」

半分より少ないそれを皿に移して、残りをもう1枚に移す。コウの分だ。そして、残ったチャーシューを分厚めに切り分けるとちょんとチャーハンの山に乗せた。多分真鍋の夜勤明けの楽しみだろうが、そこはケイの食料を結果的に奪い、結果的にコウも被った迷惑の対価として納得してもらうしかない。

「先食ってていいぞ。洗ってくから」
「ん」

頷いたケイが持っていたスプーンをそれぞれ皿に突き刺して、厨房を出てすぐの食堂にその背を隠す。普段あれだけ素直であれば可愛げもあるというのに。
まだ熱いフライパンに水を流して一気にスポンジで拭き取る。面倒だが、あたたかく、完全に冷える前に汚れは落としてしまった方が後が楽なのだ。せめて水に浸けておかないと、油汚れなどはより凶悪度を増すのだから。
さて戦いを終えてまな板と包丁を定位置に戻すと、ぱたんと音がして横を向く。ケイだ。彼は、手に持つふたつのグラスに作りおきの麦茶を注いでいた。

「…なに」
「あ、いや、それ永井の?」
「…僕はふたつも飲まない」

あまりにもきょとんとしてしまっていたのだろう、不機嫌そうな顔のケイの威嚇につい間抜けなことを聞いてしまって更に少年の眉間にシワが寄る。
それはつまり。
さっさと食堂へと消えたケイにコウは慌てて手を拭いて続く。
夜の食堂はひんやりとしていた。窓が大きく開け放たれて白いカーテンが揺れる。一列だけつけられた蛍光灯が白々とテーブルと少年を照らしていた。

「おい、なんでずらした」

ふたつのチャーハンのそれぞれに麦茶のグラスが置かれていることにほっこりとしたのもつかぬ間、向かい合うにはひとつずれた席に並べられたそれにムッとする。誰が作ったと思っているのだ、こいつは。
コウはケイの座る真向かいの椅子を引き、隣の席から皿を移す。でも、こういったところはいつものケイらしいなと借りてきた猫のようだった一連の彼の行動を思い出してふは、と笑う。
ひとりでころころ表情を変えるコウにケイは訝しげに眉をひそめたものの、すっと視線を皿に向けた。ほこほことしたチャーハン。白々とした手がスプーンを握って、小さく「いただきます」と言った。合理主義で不遜な少年は、けれど育ちの良さをいつも匂わせる。
コウも弾む声で食前の挨拶を口にしてスプーンを持ち上げた。
ぱらっとした米とまだシャキシャキ感の残る玉葱。チャーシューの甘めのタレの味が口に広がり胡椒が後から効いてくる。塩気のバランスはいい感じだ。湯気の立つチャーハンはまだ熱く、コウははふはふと口を押さえて飲み込んだ。ひりひりする口に麦茶を流し込んで、コウはケイを見る。

「永井ぃ、麦茶サンキューな」

ケイは口をもぐもぐさせながらコウを見て、ごくんと嚥下して一息ついてから「別に」と言った。

「なぁなぁ、美味い?美味いか?」
「………」

ふうふう息を吹き掛けて冷ましたチャーハンを口に入れながら問い掛ければ、ケイの顔がぶすりと不機嫌に歪んでいく。
それでも確かにコウは見たのだ、一口目を口に入れて目を丸くしたケイが、直ぐ様二口目、三口目とスプーンを運んだのを。

「なぁなぁ」

催促を重ねるとどんどん眉間のしわが寄っていく。こんな夜中にチャーハンを作らされたのだからなにか一言くらいは欲しい。それなりに美味いものが出来た自負はあるし、コウに対して憎まれ口をよく叩くとは言え料理の全く出来ないこの少年に不味いとでも言われたら一発殴っても悪くはないだろう。
彼はコウの質問を丸無視してもそりとまた一口スプーンを運んだ。
これは、諦めるしかないか──そう思った時だった。

「…………………美味しい」

ともすれば聞き逃してしまうほどに小さく呟かれた言葉は、静寂の食堂ではきちんとコウの耳まで届き、しかし脳が理解するには少し時間がかかった。目を真ん丸にしてケイを窺うコウに、彼は嫌そうにしかめきった顔で「なに」と睨み付けた。

(うわぁ、すごいぞ。永井のデレだ)

今、自分は世界の危機に瀕しているのかも知れない。
最早その嫌そうな顔だって照れ隠しでしかないと分かる。むず痒くてへにゃりと眉が下がって口が歪む。嬉しいなぁ。
自分が作ったものを美味しいと言われるのは、なんて嬉しいことだろう。

「あんがとな、永井」
「………別に」

なんで中野が礼を言うの、変なの。ケイはそう呟いた。
へらへら笑いながら食事を再開すると、一層美味しく感じられたのだから不思議なものだ。笑うな、キモい顔が余計キモいだろ、などと罵られながらもその彼のスプーンの運びがいつもより早いのを見てより頬は緩んでいく。
完食した皿を取り上げついでに頬を張られたのには、流石に理不尽だとコウも声を上げたのだった。







そして明くる日のことである。
夕飯には早い時間だった。まだ空も明るく、訓練後のコウも小腹が空いていながら真鍋らと話していた時だった。
つん、と肩をつつかれてコウが振り向くと、そこにはケイがなんとも読み取れない表情で立っていた。

「ん?どうした、永井」
「………」

首を傾げるコウにケイは言い淀む。基本的にはっきりしたケイがそうなるのは珍しく、コウは改めて体をケイに向けると用件を問い掛けた。

「……おなかがすいた」

ぱちくり、と目を瞬いたのはコウだけでなく同席していた黒服たちも一緒で。

「んん?パンは?あるだろ?」

泉が調達してきてくれただろうに。混乱しながら言えば、ケイはにゅっと唇を尖らせる。

「パンやだ。チャーハンがいい」
「…は?」

思い浮かぶのは先日の夜のことだった。
ケイは薄い腹を押さえて、眉を下げる。

「チャーハンが、いい」

言葉だけを繰り返すケイは普段の生意気さは見当たらない。ただ、くるくると目が回っていて彼もまた動揺しているように思えた。すっと眉間にシワが寄り、ますます表情が拗ねたものへと変わっていく。
甘え方の知らないこどもが精一杯に甘えているといって過言ではなく、普段バカだアホだと罵られている相手に甘えられている事実がコウの胸を甘く擽った。
間抜けに口を開いて呆然とケイを見上げるコウに彼はしびれを切らしたらしく、こんとコウの脛を蹴り上げた。所謂、弁慶の泣き所だ。全力ではないものの、地味に響く。

「中野のバーカ」
「おっ前なぁ!それが人に物を頼む態度かよ!?」

ぷいっと顔を背けたケイは、そのままふらりと歩いて近くのベンチに倒れ込む。これ見よがしなまでに絵に描いたような見事なふて寝だ。
こうなってしまうと、放っておけばいいのに気にするのがコウである。真鍋らの席から立って背を向けるケイの元まで行くと「拗ねんなよ」とその背を揺さぶる。

「別に拗ねてないし」
「拗ねてるだろーが。ほら、腹減ったんだろ?なにか作ってやるって」
「………本当に?」

コウの妥協に、ぴょこんとケイの頭が浮かぶ。なんと現金なことだろうか。

「ん。作るもんは材料見なきゃだけどな。だから拗ねんな」
「拗ねてないって」
「拗ねてるだろ」
「…中野のバーカ」
「いらないんならいらないって言え」
「…………」

いつもの憎まれ口を前に強気にコウは言った。にやり、今、優位にいるのはコウである。ケイはぐぬぬと歯噛みをしてコウを見た。

「…………いる」
「ん。じゃあ、なんて言えばいいか分かるよな?」

不本意を顔に書いた少年の頭をぐしゃぐしゃと撫でてコウは言う。なんという羞恥プレイだ。
ケイは溜め息を吐いた。

「おなかがすいた」
「ってちげーよ!」

冴え渡る突っ込みをしながら、それでも仕方がないとコウは厨房へと足を進める。お人好しの鑑だ。その後ろにひょろい背中がついていく。

「なんだありゃ」
「はは、随分仲良くなったもんだなぁ」

一連のやり取りを見て目を丸くする真鍋とけらけらと笑う鈴村。珍しく黒木と平沢も頬を緩ませている。
あのハリネズミがよくもまぁ丸くなったものだ。これは、大人一同の共通の思いだろう。

「…まぁ、なんだ。仲が良いのはいいことだ」
「そうだな。それにしても俺も腹が減った」
「俺も」

黒服4人が顔を合わせて空腹を訴える。夕飯までまだ数時間あるのだ。これから料理をするであろう少年たちを前にただ我慢するなんてバカらしい。

「じゃ、俺たちも中野に頼んでくるか。人にものを頼む態度で、な」

さても中野の料理姿をじっと見る少年の横で見本を見せてやった男たちは、その十数分後、共にお好み焼きを食むのであった。











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ケイくんが幼くなりすぎたけどこんな兄弟みたいなコウ+ケイいいと思う。コウくんは年上に甘えるの上手そうだけど、年下に甘えられるの慣れてなくて簡単に転がされてくれそう。可愛い。
コウは料理それなりに出来てケイは全くできない。おにぎりも出来ないからトーストも焦がす。可愛い。
可愛い。