爪を噛むケイくんの話









爪を噛むのはさみしいからなんだって。
そういったカイをケイは見た。日の暮れた神社の後ろ側、小さな公園の象の形の滑り台。内側の空間に段ボールを敷いてふたり並んで座ってる。
痛々しい程に噛んだ爪はぼろぼろで、ケイの手を取ったカイが優しく手の甲を撫でた。あたたかくて優しい手だ。お母さんが気付いてもくれない手をカイだけは気付いて、労ってくれる。

「ケイはさみしい?」

真剣な顔をして問い掛けるカイに、こてり、カイの肩に頭を預けて目を閉じた。

「さみしいよ」

だってカイがいない。
指を絡めて手を繋ぎ、日が落ちるまで体温を分け合う。そうやって空白を埋めたとしてもケイの心はすぐにぽっかりと穴が開く。
妹のいない部屋、しばらく見ていない母の顔。それよりも、カイと一緒に遊べないのが、さみしい。

「…そっか」

ふっと影が落ちてカイの肩が動く。ゆらりと体が傾いで目を開けば、鼻先をぶつける距離でカイがこちらをみていた。
あまりにも近すぎて輪郭すら分からない。更に近付いたカイの顔が、ちゅ、と濡れた音を境に引いていく。唇に残った柔らかさ。
びっくりして目を丸くするケイに、カイは「さみしくないおまじない」とはにかみ笑う。

「ケイ、まださみしい?」
「…うん、まださみしい」

から、もう一回。
柔らかな感触を受けながら、ケイは固く歯を食い縛る。
どうしよう、泣きたい。







「あ、永井くん、唇…」

泉の言葉にケイは唇に指を這わせた。がさがさに荒れた唇はところどころに皮が浮き、指先に濡れた感触。舌を這わせば血の味がした。

「って、永井爪もぼろぼろじゃん、どうしたよ」

横にいたコウがそれを指摘する。
あまりにも噛みすぎた爪は深爪どころではなくぼろぼろだ。半ばまでが剥げて露出した柔らかな爪肉が痛々しく血を滲ませている。
親指、人指し指、中指。薬指は爪先ががたがたに変形して肉を見せるのも時間の問題だ。
いつからかなりを潜めたこの癖が、最近いつの間にやら再発してしまってケイも多少ながら困っている。死ねば治るが手間であることと──一時期治った要因を思い返して。

「痛くねーのかよ」
「全然」
「いや痛いだろ」

無理矢理コウに手を取られてしげしげと眺められる。無遠慮なそれにケイの眉が寄った。

「痛くない。知ってるだろ」

ケイはコウの手を振り払って不機嫌にそう言う。
勿論、痛覚はある。ただ、政府の実験で幾度となく激痛を与えられたケイの痛覚は酷く鈍い。痛覚は危機察知に必要な要素のひとつではあるが、亜人──死ぬことも出来ないケイには不必要と言える感覚であった。
言い換えれば、気が狂いそうな拷問の果てに精神の安定の為と切り捨てた感覚だということだ。
撃たれて腹に穴が開いたとしても、骨が折れて突き出たとしても、ケイにはついぞ鈍い痛みがあるだけ。ヒトとして大切なものを失くした自分は確かに最早人間ではないとケイは薄ら笑う。

「バカ。それでも痛いもんは痛いだろ」

コウが眉を吊り上げてケイに言う。それが、どこか記憶に引っ掛かって。
無意識に伸びた手が唇を這い、気付けば爪を噛んでいた。がり、と音がして、歯が割った爪の破片が肉へと食い込み親指が最早真っ赤に染まる。
それでもこの微かな痛みに安堵するのは何故だろうか。

「ああこらやめろ、噛むな噛むな」
「うるさい、中野に関係ない」

パタパタと救急箱を持ってきた泉と手を引くコウに根負けして手当てを受ける。あまりにも不器用に巻かれた指先の絆創膏。
爪の腹から背にかけた縦1枚貼りつけて、横からぐるりともう一周。4本揃った間抜けな姿に、思わずケイは笑い出した。

「これ、剥ぐ時痛いやつだろ」
「うっせーな、痛くないんだろ。文句言うなよ」
「痛いもんは痛いんじゃなかったのかよ」

ばつが悪そうに唇を尖らせ意見を翻すコウにケイは呆れて嘆息した。
えっちらおっちらと指に絆創膏を巻くコウの姿はいつかの小さな黒い頭を思い返させて、胸が痛む。嘆息に紛らわした寂寥は、きっと気付かれてはいないだろう。
下向く顎に指を掛けられ強制的に上げられる。細い指は柔らかく、コウのような骨張った感じもない。屈んだ泉の胸がケイの目の前でたわわと揺れた。

「あとは唇だけだね。私のリップ使う?」
「いらない」
「ダメッ!」

ポケットから取り出したピンク色の細長い筒。いちごの絵柄のそれはきっと甘い匂いがするのだろうことは聞かずとも知れた。
うんざりとケイは顔をしかめ、そしてコウは慌てて首を振る。

「ダメだろそれはッ!か、間接キスじゃん!ダメッ!」
「お前ほんとうざいな」

たかだか間接キスに過剰反応するコウに益々ケイの顔はしかめられていく。それになによりケイは断っているのだ、なのにケイに詰め寄られても困る。

「永井くん、どう?いちご味だよ」
「いや味がしても。何味でもいりませんから」

むしろ味ではなく匂いでは?と首を傾げたケイに泉は「ええー」と肩を落とした。何故リップごときで落胆されなくてはならないのか。
と思ったのは一瞬で、泉は肩を竦めて見せる。

「なんてね。だと思っていたわ。永井くん、誰かと共用とか嫌いでしょ?」
「はぁ、まぁ…」

分かっていて提案するのか、と少し苦い気持ちになる。
確かにケイは誰かとものを共有するのは嫌いだ。それも、食べ物など口に入れるものなどは特にだめだ。今となっては多少慣れたが、他人が袖を通した服なども、基本的に論外である。

「今度買い物行った時に普通のやつ買ってくるね」
「…ありがとうございます」

ぽんと肩を叩かれて頭を下げる。外に気軽に出歩けない身としては、まぁ特に欲しいとも思わないがたかがリップでも用意してくれるのなら有り難い。
気持ちが伝わったのだろう、泉が苦笑して部屋から出ていった。
ケイは誰にも心は許さない。仲間とは戦力であり、友達ではなく。
馴れ合いは──なくて、いい。
傷だって死ねば治るのだから、いちいち気にしていたら面倒ではないか。
無駄な気遣いは余計なお世話と言う。
そうだろう?──友達はもう。

じっと横からの視線に目を向ければ、コウがなんとも言えない顔でケイを見ていた。

「…なんだよ」
「いや、勿体ねーなって。下村さんの間接キスだぞ!?」
「興味ないから」

男ならさぁ!と熱弁する、先程は断固として拒否をしていた青年にケイはズッパリと切り捨てる。
ごろごろとテーブルになついた茶色い頭を見下ろしてケイは溜め息を吐いた。

「…中野ってほんとさぁ」
「なんだよ」

つ、と触れた唇は剥けた皮に絆創膏を引っ掻けてまた新しく傷を増やした。舐めれば鉄の味。
噛んだ絆創膏は苦かった。

「ほんと、お前とは友達になれないわ」

さびしさを紛らわしてくれる友達は、世界にたったひとりでいいのだから。








160316

真鯖さんの素敵絵を見て書いた筈だけど、ただ爪噛みネタだけにしかならなかった悲しみ。

泉さんは「いつまでも距離が開いたまま」のことを指していて、ケイくんの寂しさを紛らわしてくれる=キスをする友達。
カイケイは隠れてちゅーしていた間柄(付き合ってない)
コウくんはなんもかもケイくん的に「ないわ〜」レベルだよ!おばかわんこバ可愛いね!