腹をかっさばかれたコウくんの話
グロ表現における魔法の言葉「佐藤さんがやったから仕方がない」








逃げるぞ、と叫んだケイに手を引かれてコウは走り出した。咄嗟に腹を押さえたてのひらからはぼたぼた、ぼたぼたと血が溢れていく。
後ろで、佐藤の笑い声がした。

「永井、逃げるったってどこにだよ!」
「うるさい!いいから走れよ!」

ケイの切羽詰まった声。そうか、これが絶対絶命と言うことか。コウはどこか間延びした思考で思った。ああ、腹が痛い。リセットする時間もない。それでも手を引かれて走る。
早く。早く。いかなくちゃ。
きっと、いや絶対。捕まったらおしまいだ。
額には脂汗が浮いた。それでも走らなければならない。走って、走って。ふたりの足音が反響してついてくる。きっと佐藤にも聞こえてる。
早く。早く。逃げなくちゃ。

「あっ」

足が縺れて転げてしまった。振り返ったケイの顔は煩わしそうに歪んでる。それでもコウは立てそうになかった。
失血によってか目の前が霞み、がくがくと震える足をついて腹を抱えて、血がぼたぼたと足を濡らして床に広がっていく。まるでスポットライトの光のような丸い血溜まりに座り、さながら滑稽な舞台のようだ。
恐る恐ると手を広げると、真横に裂かれた衣服から、いやピンク色の腹肉から、肉色の、いや、白味を帯びた太い紐状のものが溢れていた。ずきずきと痛い、なんてものじゃなく。

「う、あ、」

痛い筈なのに見下ろすそれに声すら出ない。血の気がざぁと引いたのは物理的な意味だけではきっとないだろう。白い紐。腸。腸だ。知っている。これは。
ああ、やばい。どうしよう。死んでしまう。死にたくない。慌てて指を絡めるとぞわりと総毛立った。

「な、永井、永井、どうしよ、ちょうが、腸が……」

意外と、ではないか。腸は柔らかくあたたかく、見た目通りに重くない。ずちゅる、と血が絡まって濡れる。
怖い。どうしよう。喉をなにかがせりあがる。無駄な足掻きに腹へと押し込んだそれは、横からぽろりと他を押し出しはしても中には上手く戻ってはくれず、ただぐるると喉が鳴った。
青ざめたコウの顔を見てケイはひどく顔をしかめた。鋭い舌打ちの音が響く。

「死ね。死んで、リセットしろ」

確かに、亜人なのだから死ねば再生されてそれでおしまいだ。しかし、腸がこぼれるという事態にコウの恐怖心は留まることを知らず、押し殺していた筈の「死」自体へのそれが噴き出してしまっていた。
無理、といって強張った顔で泣き笑うコウに、益々ケイの顔が歪んでいく。ケイはコウの背後に目を向けて、深くため息を吐いた。
彼は腰に手を回すと大振りのナイフを取る。
目の前に放られたそれは、からんと音を立ててコウの膝元に滑った。

「早く死ねよ。佐藤が来るだろ」
「バカ、簡単に死ねたら苦労してねぇんだってぇ!」

言いながらも震える指先でナイフを受け取るコウの顔色は悪い。
ケイが苛立っているのがわかるのだろう。震えながら手は確かにナイフを掴んだが、喉元に向けてその切っ先を押し当てる、まではいかない。
まぶたを閉じて眉根を寄せて、苦しい表情でいつまでもナイフの切っ先を震わせている。つぷりと刺さった皮膚から丸い玉のような血が浮かび、細く小さく線を引く。

「は、あ。なんで、お前はそんなにぽんぽん死ねるんだよ、永井」

訳わかんねぇとコウは笑った。

「俺は怖ぇよ、死ぬの」
「……そうか」

徐々に俯いていくコウの、ナイフを持つ手が下がる。ケイは小さく返事を返した。特に、なんの意味のない言葉だ。ただ受けただけの言葉はコウを非難もしなければ肯定もしない。
それがまたコウの心を軋ませた。
かつ、と音がする。俯いていたコウは視界に入った靴から脚を辿り、無表情のケイの顔を見上げた。

「それでも、僕たちは死に続ける他に道はない」

佐藤に監禁されたいか、とケイは問い掛けた。
勿論コウにそんな願望はない。寧ろ、監禁されてしまった仲間を助ける為になにがなんでもそんな事態になる訳にはいかないのだ。
弱ったコウの瞳に強く光が戻るのを確認して、ケイはコウの前にしゃがみこんだ。ずちゃ、とコウの血で汚れるのも構わずにケイが膝をつく。
伸ばされた手が、ナイフを握るコウの手を包む。そして反対の手はコウの後ろ頭を掴んで引く。
とす、と落ちた先は、目の前の肩。
冷たい手が、ぽんぽんと頭を叩く。見慣れた白い首筋。ケイが着ていた赤いTシャツ。
──ケイの肩を借りて、慰められている。
そう実感した瞬間にコウの痛みも緊張も恐怖も吹っ飛んだ。うえ、と無様な声しか溢れずに身を強張らせるコウの耳元で、ケイが囁く。

「死ぬのなんて一瞬だ」

だから怖いなんてことない。
コウは夜を怖がるこどもと一緒だ。闇に飲まれて自分がなくなってしまうことを恐れていても、世界は自分達を置き去りにして勝手に進む。
目を開いたら夜は明けてる。
死とは、例えば瞬きの一瞬。それと同じ。死んでしまえば、それで終わる。
痛みや恐怖なんて忘れてしまえ。
コウの手を掴んだままケイが手を持ち上げる。一瞬感じるのは刃先の冷たさ。次いで、瞬間的な灼熱を感じた。
ぐら、と首が傾いだのはその溢れる血の所為だろうか。びちゃびちゃと勢いよく首から噴き出す赤に、視界にきらきらと輝く雪が降りしきる。

「あ」

ずるりと体から力が抜けた。
相も変わらずケイは酷い。後ろに倒れるコウを支えることもしてくれない。
顔の半分ばかしをコウの血に染めたケイは物言わずにコウを見下ろしている。ああ、あまりにも肌が白いから、それを汚してしまったのが悪い気がして、コウは無意識に手を伸ばしていた。

「な、がい、」

がぼごぼ、血が気道を詰まらせ口から溢れた。ひうひう。開いてしまった穴から空気が漏れる。
頬に触れる前に手から力が抜けてしまった。あれ、寒いなぁ。とても寒くて視界が霞む。けれど、落ちた手は途中でケイに受け止められた。
ケイの手は冷たい。そうだ、冷たい。ケイはクズ人間でそりゃあ最低な奴だけど、似合いの冷たい手だけれど──悪い奴なんかじゃないんだよなぁ。コウはぼんやりと思う。

「ご、め、」

ケイは苦々しく顔を歪めた。また、舌打ちを鳴らしてコウを見下ろしている。繋いだのは冷たい手。人は緊張すると手が冷たくなるって前に聞いたことがある。
じゃあ今ケイは、緊張しているのだろうか。
そうだよな、ケイはクズだけど──クズでも、ちゃんと、人を大事にすることを知っていた。佐藤を止めることを選んでくれた。
人を殺すことを悪いとは思っていなくても──積極的に人を殺そうなんて思っていなかったケイに、人を、自分を、殺させた。
ごめんなさい。

「ご、め、な」
「うるさい、さっさと死ねよ」

人が折角謝っているというのにケイはつれない。当の本人は眉根を寄せてコウの胴体を跨いで、冷たい手でコウの目元を覆った。
急に暗くなった視界に、ふっと眠気が落ちる。

「あのさぁ」

遠くに聞こえるケイの声。
ゆらゆら、ゆらゆら、浮遊した意識はまるで微睡みの朝だ。

「お前が死んだって、僕がお前を覚えてるよ」

お前がお前だって証明してやる。
だから安心して死んでこい。






コウが目を覚ますと、上に乗っていた筈のケイが少し離れたところで立っている。服の裾でナイフの血を拭い、腰のホルダーに戻した。

「永井」
「…ああ、起きたのか」

相変わらずの無感動な目が向き直る。頬に飛んだ血も適当にだか拭ったのか赤い線の中にいつも通りの白が見える。
その言葉はまるでコウが死んだのではなく、ただ居眠りをこいたとでも言うような、この薄暗い廃屋の一室でなければ日常そのもの。場違いなまでの言葉にコウは思わず笑みを溢した。

「永井、永井あのな、」
「うるさいな。無駄な時間を使ったんだ、さっさと立てよ。ここから逃げるぞ」

コウの言葉を遮って、ケイは爪先でコウの背中を蹴り飛ばす。全然痛くないものの、折角きちんと謝ろうと思った気持ちを踏みにじられたように感じてコウは柳眉を吊り上げた。
けれどもやはりケイが先んじて鼻で笑った。

「お前が考えなしの意気地なしだなんて、最初っから分かってんだよ」

つまり、謝るのは不要だと。
バカなコウの思い付くことを把握してなお、ケイはそれを切り捨てた。

「そら、お前が肉壁になってくれないと僕の身が危ない」
「…って、肉壁ってなんだコラ!」

余りの言い分にコウは立ち上がる。じぃんと感動したのが台無しだ!
地団駄を踏むコウをさらりと無視してケイは走り出した。そうだ、こんなことしている場合じゃない。ハッと気付いてコウもその背を追い掛ける。
多分、ケイは自分達を利害の一致だけの関係だというだろう。でも、コウはそうは思わない。
最初はいけすかないと思った。最低のクズで、頭だけはいいけど、すごく不器用な奴だと知って──多分、きっと、多分。
本当に利害の関係だけならば、きっとケイは。

先を行くケイに追い付いて、コウはその肩をぽんと叩いた。

「ありがとな、永井」

掛けられた言葉は、死を恐れる自分を確かに勇気づけた。
殺させたことをコウは悪く思っているけれど、ケイは、自分が決めて実行したことを後悔はしないだろう。謝るだけ相手を侮ることと同じだ。
謝るべきは自身の──そう、意気地のなさを、だ。しかしそれをケイに謝るだけでは意味がない。
だから、ありがとうを。
にへらと笑ったコウを見て、ケイがぐんにゃりと顔を歪める。半眼に物言いたげに口を歪め、あそう、小さく呟いた。

「無駄口やめて走れよバカ」
「あっ永井もしかして照れてんの!?」
「……ああ、ほっときゃよかった」

呆れた顔を作るケイにコウは素直じゃないなと笑った。
多分これからもコウは死を恐れる。
ケイの言う通りに死や痛みに慣れることは何度死んでも、一生ないだろう。
けれど、この不器用な優しさを持つ少年がいてくれるなら、きっと。






160313

木賊さんの腸ポロ萌えと関口さんの気道ごぼごぼ萌えに感化されたんですけど最終的に友情エンドに到達してしまい申し訳ない。

コウくんの死ぬのが嫌なのは痛いのは勿論だけれど、死んで自分という存在が変わってしまったらの恐怖だと思うんですね。
ケイくんは自分の自我(頭)に核を置いてひとりで個人として確立しているのでいくらでも死ぬことが出来る。ただし、頭を破壊されることが禁忌となる。
コウくんは自我の確立を周囲、他者に依っているので部位による禁忌はないけれど、死による変容から他者に受け入れられないことを恐れるんじゃないかと思ってる。

ケイくんは「僕は僕だと僕(頭)が証明する。他人の意見はどうでもいい」タイプ
コウくんは「俺が俺であるというのならそれを信じる」の他者依存タイプ。

まぁそんな部分をぶちこんでみたのです「お前がお前だと僕が証明する」の話になる。
以上解説おーわーりー