カイケイ逃避行IF
すごく短い








ぼろり、と滴が伝った。滲む視界をどうにかしようと瞬いても後から後から溢れる涙は視界を濁して、腕で目元を擦ると、ジャリッと砂が頬を擦る。汗が目に入ってちりりと痛かった。
それでもケイは止める訳には行かないのだ。
止める訳には。
もう爪は剥げてしまった。逃亡の身の上ではシャベルやスコップを買うことも出来ず、地味に、地道にそこらの枝や石やら自身の手で以て穴を掘るしかない。小石が埋まり、虫がいて。指は痛いし涙は止まらないけれど。

「大丈夫」

そう言って、ケイは振り返った。
彼の後ろで横たわるのは大切な友人だった。金色に染められた髪。太めの眉毛。まぶたを閉じると幼さが目立つ。
痛々しい額の傷。溢れた血は顔の半分は染めていて、それがなければきっとただ寝ているだけにも思えただろう。
彼の心臓は、もう何日も前から止まったままだ。

「もうすぐだから」

何日もかけてケイが作った穴はそれほど深くはない。人ひとりが──カイひとりならばどうにか埋められるだろう、50cmもないような墓穴と取るには浅すぎるそれ。

「もうすぐ、」

ケイはカイの頬に手を伸ばして、直ぐにそれを引く。汚してしまう。これ以上、カイを汚してはいけないのに。
カイはケイを助ける為にとたくさんのことをしてくれた──命さえ、賭けさせてしまった。
カイは。カイは。
ケイの捕縛を企む人に崖から突き落とされたその衝撃で頭部内部に酷い出血を引き起こした。安静にして直ぐに病院で処置を出来ればどうにかなったのかも知れないけれど──彼は直ぐに襲撃者を打ち倒す為に動いてしまったし、なによりケイという存在が足枷となり病院にいけないまま──頭部内部で起こった出血が血管や他の神経、脳を圧迫して──さいごには。
足がもつれて、体の自由が利かないと言って、頭を押さえて。痛いと言って。
そして、死んでしまった。
ぴくりとも動かなくなった友人を前にケイはひどく狼狽えたけれど。もう、もう──死んでしまったのだ。
死んでしまったのだから、もう助けることも出来ない。当たり前だ。当たり前過ぎて、ケイはそれからどれだけの間、幼い死に顔を眺め続けていただろう。
7月という暑い中、腐敗して膨張する肉体をケイは見た。大切な友人が、友人だったものが、壊れていく様を、ずっと見ていた。
ようやくの穴に友人だったものを埋める。ばさり、ばさり、被せる土に胸が痛んだ。

「これでカイが死んだことを知る人は僕しかいない」

ぼたりぼたりと涙が落ちる。
この何日間、水も食事もとっていないというのに、ケイの涙は枯れることはない。亜人という特性が、彼の涙すらも補充してくれたから。
こんなものが手向けになる筈もないのに、ケイが彼の為に出来ることはこの涙を贈り、墓穴を掘るくらいしかないのだ。なんと友達甲斐のないことだ。
嗚呼、今日この時までに何度死んだだろう。何度、彼と共に逝こうと願い、それを拒否されたのか。
神様は僕を嫌いなんだろう。
ただの人間であれば今頃、嘘でも良い、優しい世界のまま消えてなくなることが出来たのに。
優しい、大切な人を殺すことになるのならば、生き永らえたくはなかったのに。
──嗚呼、なんで。
ぱすぱすと小さな山となった土塊を叩く。もう、そこに友人がいるなどと知るのはケイひとりだ。

「ほらこれで、世界にカイはまだ生きている」

誰もカイが死んだことを知らない。
それはつまり、誰かの中でカイが生きているということだ。
この箱を、ケイの頭蓋を開かなければ世界にカイは生きているのだ。
ぼたりぼたりと涙を流してケイは笑う。
嗚呼、あとは自分が死んでしまえば完璧だというのに。
──死ねない自分の所為で、カイはいつまでも死に続けるより他にはないのだ。







160331


シュレーディンガーの猫と桜の木の下の死体の話だったんだけど桜の要素が死んだ。
箱を開けなければ、その中の猫は死んでいるか生きているか誰にも知られない。
カイの死体を目撃しない限り、カイが死んだことはケイしか知らない──つまり、カイの死を知るケイ以外の人間の認識ではカイは生きている。
カイの死を思い返す度に、何度も繰り返してカイを殺し続けてしまう罪にケイくんの精神はもしかしたら気が狂ってしまうかも知れない。
いっそそうなれれば幸せなのにね。