ケイくんとIBMの話








眠れない夜にベッドの上で壁に膝を抱える。開け放ったままの窓から夜風が吹き込み、白いカーテンを揺らした。
山際で都心などより余程涼しいそこは夜は扇風機も必要ないくらいだった。さわさわと木の葉の擦れる音。
ケイはふと顔を上げた。

「お前か」

そこには自身のIBMがゆらりと立っていた。
ソレは、ケイの意識しないところでよく出現した。勿論任意で出せるようにはなったのだが基本的にコントロールの効かないそれは、けれどケイが独りでないと勝手には出てこない。
或いは、ピンチの時か。
まるでヒーローだなと思いながらそれを見上げる。黒い粒子を包帯で人形に纏めたような異形。
ケイの隣に佇むだけのそれは、他者がいなければ驚くほどに静かだ。
それはとてもひねくれていた。
付いてこいと言えば立ち止まり、指示とは反対を攻撃し、止まれと言えば立ち止まらずに止まるなといえば止まった。これは天の邪鬼なのだろう──本体たる自身と同じく。
冷静にそう考えながらケイは「消えろ」と言った。
勿論、消えない。

「あっちに行け」
──こっちに来い。

言えばそれはこちらを向いた。

「こっちに来い」
──あっちに行け。

IBMはケイを見て首を傾げた。
それは、ひねくれていた。
だから、ケイの言葉と逆をする。
だから、ケイの言葉に──従わない。音もなく近付くそれにケイは少しだけ後退りした。

「消えないで」
──消えて。

言えば、それはケイの座るベッドに静かに乗り上げた。幽霊らしく、ベッドを軋ませることもない。
ケイはそれを見て顔をしかめた。

「こっちに来るな、いや、こっちに来い」
──来て。いや、来ないで。

反対の言葉とは案外難しいものだ。咄嗟に言うべきものと言いたいことが真逆なのだ。苦虫を噛み潰したような顔のケイに黒い両腕が伸びる。
それに温度も質感もない。ただ、抱き締められているという感覚だけがある。ぎゅうと引かれる感覚に身を前のめりにさせると端からは一体どう見えているのか。

「やめないで」
──やめろ。

「離さないで」
──離して。

それでもIBMはケイを離さない。
恥を忍んだこの言葉。どうしてこんな言葉には従うのか。これではまるで、僕が人肌を望んでいるようではないか!恥ずかし過ぎて頭を抱える。
それは静かにケイを抱き締めた。

『け、い』

不意に落とされた言葉は誰のものだろう。ケイは自身の名で自分を呼ばない。

『け、ぇ、い』

間延びした呼び声は、ただひとりしかケイには思い至らず。びくりと肩を震わせてケイは頭を上げた。

『いま、は、だい、じょ、うぶ、だ』

バイクの後ろに乗った。しがみつく背中は昔よりも大きかった。がっしりとしていて、優しく大丈夫と言われて安堵したことを今も覚えてる。
縋る手はIBMを掴むけれどそこには空を掴む感触ばかり。それでも脳裏に浮かぶ「友達」の顔をそれに投影したのは、確かに平沢の言う「寂しさ」はあったのだろう。いや、後悔だろうか。打ち捨てたことへの贖罪もあったのかも知れない。

「……お願いだ、」

ケイは呻いた。

「ぼくをひとりにしないでくれ」

カイ、と囁いたその瞬間。
ふっと掻き消えた黒い幽霊。粒子が立ち上って空気に溶ける。
──なんで。
なんで、どうして。こんな時ばかり言うことを聞いてくれないのだ。

「嗚呼、」

なんでぼくはいつもひとりなのか。
カーテンが夜風に揺れる。山際は涼しく、むしろ少し肌寒い。震える腕を撫でて蹲り、ベッドの上でひとり虫の声を聞く。

「カイ…」

カイがいなくても平気だと思った。
その方がカイの為だから。我慢出来ると思っていた。
それなのにどうしても、カイに会いたくて会いたくて堪らない。

「寂しいよ、カイ」

どうしてぼくはいつも、ひとりなんだろう。







160403

寂しいケイくんの言葉ではなく本心に沿う行動を取り、カイの言葉を反復するIBM。
最後に消えたのは天の邪鬼IBMがカイでないことをケイが心の奥底で嘆いたから。
雰囲気〜だけ〜