月下美人は二度咲く

――冷たい雪に覆われていた北の地はやっと暖かくなってきたところだ。
数ヶ月前に上司から渡された黒羅紗の軍服は外目には分からないが所々赤黒く変色しており、私自身今日も何度か吐血したため真新しい血も付着している。

「血を吐いたのか。内乱は辛いよな、すまねえ」
と、日々痛む体を気遣ってくれていた陸軍奉行並の上司土方歳三は六日前新政府軍の銃撃にあい絶命した。
長時間におよぶ戦闘を指揮していた常勝の指揮官が亡くなったことで、一気に軍は崩れ敗色が濃くなった。そもそも彼は分かっていた、私たちに勝機などないことを。
そして、私も死を覚悟した。痛む体を労わってくれる人はもういない。
私が彼らと過ごした怒涛のような五ヶ月間は今思えばとても短いように感じた。

『榎本総裁、判断はお任せします』

執務室で、血を吐きながら榎本総裁からの戦況を聞いた。
幾度か新政府側から降伏勧告が出されていたが我々は断っていた。しかしついに弁天台場が攻め落とされ勧告を受け入れたこともあり、総裁は一先ず休戦を願い出たのである。

上司たちの会話に耳を傾ける。沈黙の間。誰かが口を開く。それに対して意見を言う。
それらが幾度か繰り返され、しばしの沈黙の後、結論を迫られた彼の口から発せられたのは「無条件降伏を受け入れ、五稜郭を明け渡す」というものだった。
そしてそれは同時に私の死の宣告でもあった。

『そうですか……分かりました。よくここまで耐えてくれました、ありがとうございました』
「今から亀田に行こう」
『分かりました。すみませんが体がこんな状態なので先に歩いています』

そう言って我が総裁と上司たちに頭を下げ、私は動かす度に軋み痛む体を引きずって執務室を後にした。
休戦中のため銃声は聞こえないが、至る所に死体と血痕が生々しく残っている。
新政府軍の屯所がある亀田八幡宮へ行くと、そこには濃紺の軍服を身に纏っている日本さんがいた。

屯所に着くや否や私の両端を新政府軍の軍人たちが包囲した。
銃を構える者もいたがそれは日本さんとその上司が制した。

「よくおいでくださいました、蝦夷共和国さん」
『……本日はその名を渡しに来た所存です、日本さん』

途端に咳が出る、吐血する。
体中が悲鳴を上げる、目眩がする、意識が遠のいていく。
――それは消えゆく私にとってはせめてもの生きているという感覚だった。

『我々、蝦夷共和国は無条件降伏することにいたしました』

それを言い終わると私の体を支えていた両足は無くなったかのように感覚が無くなり、重力に従い地面に膝をついた。
内戦によってボロ布のようになった私の体はもう起き上がることはないだろう。
足はおろか腕や体全体の感覚が薄れてきている。

「――連」

上半身が地面に倒れこもうとしたとき、いきなり視界が濃紺に覆われた。
ぼんやりとする脳が認識したのは地面の固さではなく、柔らかく温かい何かに支えられているということだった。

『服が、汚れますよ……菊さん』

返り血と、私の血と仲間の血、そして土や泥、煤に汚れた私の軍服にも躊躇いもせずに菊さんは私を抱きとめていた。

「構いません。私はあなたを消させるわけにはいきません」
『いいえ。私は消えないといけないんですよ、これからのあなたのために。私たちはあなたたちに敗北したのですから』

私の体が徐々に冷たくなっていく。
一国の死がもうすぐそこまで迫っているのだ。

すると菊さんは自身の軍服のボタンを外し、私の肩にかけた。

「あなたが私のことを想っていてくださっていたことは存じております」
『なあんだ。菊さんの耳にも、届いちゃってたんですか……』

どうせならあなたに知られないまま消えていきたかったのに、と付け足すと菊さんは私を強く抱きしめた。
人肌は温かく、私はその温かさに溶けていきそうになる。
しかしそれはとても残酷だ、消えゆく私がまだ生きていたいと思うようになってしまう。それは許されないことだ。
息が苦しくなる、喉の奥がヒューヒューと鳴り出し空気がうまく入ってこない。
脳に酸素が回らなくなってきたのか、目の前が霞み始めた。

「馬鹿なことを言うんじゃありません」

痛いほどに腕の力を込めてくる菊さんの声は震えていた。
私はその後客間に運ばれ、きっと二度と目が覚めることは無いのだろうと思いながら下りてくる瞼に従い、目を閉じた。

私は真っ暗闇にいた。
月夜に照らされる一際大きな白い花の周りには、無数の赤い花びらが散っていた。
どこからともなく我が軍の兵士たちの声や、新政府軍の軍人たちの声、犠牲になった市民の声が聞こえてくる。否、声ではない。悲鳴や断末魔だ。
私が生きるために散っていった命の数は計り知れないほど多かった。
やがて声が小さくなる、白い花も萎む。
再び真っ暗闇になる。

「っくしゅん!」

私は深淵から呼び戻される。
重たい瞼をゆっくりと開けると、そこは行燈に火が入れられている薄暗い部屋だった。
私が寝かされているのは粗末にも敷布団などは言えない座布団を数枚繋げただけのもので、その横には鼻を啜る菊さんの姿があった。
菊さんは上着を着ていなくて寒そうだったが、私の目が開いたことに心底安心しきったような顔をしていた。

『あ……』

掛け布団の代わりに私に掛けられていたのは菊さんの濃紺の軍服だった。

「起こしてしまいましたか、すみません」
『いえ、あの、私……』

なんでここにいるんです? と問いかける。
蝦夷共和国は先ほど私がこの箱館戦争の敗北を認めたため、長らく続いた箱館戦争が終戦したのと同時に榎本政権も崩壊し、私の存在は消えたはずだ。

「……月を見ませんか? 今宵は月がとても綺麗なんですよ」

そう言って菊さんは客間の障子を開けに行く。
私はのそのそと立ち上がり縁側に腰をかける。
ふと菊さんが口を開く。

「――連、私と共に我が国の夜明けを見届けていただけませんか?」
『え?』
「二文字以内でお答えください、……さあ!」

勝者は問う、しかし答えは一つしか提示していない。
敗者は答える、ありもしない散華した無数の赤い花びらを一瞥しながら。

『――はい!』

私は生かされた。
夜空を見上げた、暗雲が霧散した今宵の月は綺麗だ。


月下美人は二度咲く



***
ちょっと難しいので解説。

・蝦夷共和国は1868年に旧幕府軍によって成立された独立政権。(西暦では1869年1月27日‐6月27日。ほとんどの資料は旧暦の方を使っているので数カ月ずれる。旧暦では1869年5月17日に滅亡)
実際にはこの名称は使われていなかったが、イギリスさんとこの上司によって「共和国」と称されたのが始まり。アジア初の共和国。

・選挙によって総裁になったのは榎本武揚。
榎本たちは新政府に「我々旧幕臣は北の地に移住し平定し開拓しながら、日本を北から守りたい。新政府はおろか天皇に反逆する気などない」と申し出たがそれは受け入れられなかった。
(作中の「日本を想っていたこと」はこのこと)

ちなみに、土方さんは榎本の意見には賛同していなかった。辞世の句から分かるように彼にとっての君主は徳川将軍だけだったからである。降伏するぐらいなら死ぬ!の人である。

・フランス兄ちゃんのところから軍事顧問が派遣されていたが、蝦夷共和国軍の敗色が濃くなると「おーい、やつらはもう勝てないから帰ってこーい」と帰国命令が出されてしまった。(ちなみに新政府軍にはイギリス、旧幕府軍にはフランスがつくっていうお決まりの構図)

・榎本は5月17日の朝に出頭、その後一度五稜郭に戻り、18日の早朝に再び亀田屯所を訪れる。
ゆえに夢主は朝に日本さんのところに行ってそのまま夜まで寝ていたということになる。

・夢主自身も本当は降伏と同時に死ぬと思っていたが、菊から軍服を掛けられた(=情けを掛けられた)ことによって、国としては崩壊したが命は取り留めた。
※情けを掛けられた、というのも榎本を始めとする夢主の上司は降伏後投獄されるも、その幹部として発揮していた才能を買われて明治政府として登用された。このことにより、夢主も生き延びた。
(もしここで上司たちが逆賊として殺されていれば夢主もあのまま死んでいた)


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