5.今日から別々に寝よう
「……姉さん、何をやってるんですか。私の部屋で」
『人生ゲーム』
「それは見れば分かりますけど……どうしていきなり……」
部活から帰ってきた柳生比呂士は自身の部屋に入るなり足が止まった。
彼のベッドの上で寝転びながら姉の連が「人生ゲーム」のボードを広げていたからだ。
『亜希奈が独立宣言した』
連には弟の比呂士の下に小学二年生になる妹、亜希奈がいる。
その亜希奈が夕食時に「今日から一人で寝る」と言いだしたため、これまで一緒に寝ていた連が寂しさのあまり弟の部屋に転がり込んできたのだった。
「まあ、いつかは来ることじゃないですか」
『うるせえ、お前だって前までは一緒に寝てたくせに今では一丁前にお姉ちゃんを邪魔者扱いするんだろ!』
「しませんよ。落ち着いてください。そしてその人生ゲームを片付けてください」
『やだ』
連はボードにルーレットを装着させて、青色の車の駒を比呂士に渡した。
『私からね』
「ちょっと待って下さい、私はこれから――」
明日の授業の予習をするのですが、と言いかけたが彼は言葉を呑みこんだ。
こうなった連が聞く耳を持たないのは彼が彼女の弟になった十五年間十分
に理解している。
彼は溜め息を漏らし、ネクタイを緩めながらベッドの下に腰を下ろした。
カタカタと小さな音を立ててルーレットが回る。
感嘆の声が数度上げられるだけで二人の間に会話は無かった。
連にとって人生ゲームをするのは口述でしかなく、面白味やゲームの内容についてはどうでもよかった。
ルーレットを回して駒を動かすだけの単調な作業は眠気を誘い、口数はどんどん少なくなる。
「……で、どうしたんです?」
この内容の無いゲームの意図を知ろうとついに比呂士は口を開いた。
しばらくの無言の後、駒を動かしながら連はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
『小さい頃はさ、妹とか弟ってのは何でもかんでも、どこへ行っても後ろについてくるからうざったかったんだけどさ……』
「ええ」
『特にヒロは金魚のフンみたいに私に付いてくるからさ、……あ、給料日だ。やったー。ヒロ、お金』
「はい、どうぞ」
おもちゃの紙幣を渡し、姉の言葉の続きを待つが一向に言葉は発せられない。
比呂士が不思議に思って顔をのぞいてみると、連の目は固く閉じられ、こくりこくりと舟を漕いでいた。
「姉さん、眠いなら部屋に戻ってください」
『眠くない』
「今、舟漕いでましたよ」
『……今日はここで寝る』
「それは困ります。それにあなたは高校生なんですよ? もっと年相応の自覚というものをですね……」
眼鏡を指で上げながら説得を試みるも、連は弟のベッドに寝そべったまま動かなかった。
横向きに丸まっておもちゃの紙幣を弟の枕の上に置く。
「……私が寝るまでですよ」
説得を諦めた比呂士はやりかけの人生ゲームを片付け、箱に仕舞った後寝衣を持って部屋を出た。
彼が風呂から上がってもまだ連は彼のベッドで本格的に眠りこんでいた。
彼は学生鞄から教科書とノートを取り出し、翌日の予習をするために机の上に広げたが思うように手が進まなかった。
「あの、姉さん」
『…………なに』
返ってくるとは思わなかった返答に少し驚きながらも彼は質問を続けた。
「私が亜希奈さんと同じことを言った時はどう思ったんですか? 清々しましたか?」
『今日と、同じだよ。ばかやろー。そんなこと淑女に聞くな似非紳士』
連がベッドから降り数回身体を捻った後、箱に仕舞われた人生ゲームを持ってドアを開けると
「どうしても寂しかったら来ても構いませんよ」
と、視線は机上の教科書のままの比呂士が言った。
『馬鹿言え。お姉ちゃんは寂しいのには慣れっこなんだよ』
強い口調でそう言い残して彼女はドアを閉めた。
静かになった室内、比呂士はノートに文字を書き込み始めるがどうも先ほどの姉の言葉が気になりペンを置いた。
椅子から腰を上げ部屋を出るとすぐ隣の姉の部屋の前まで行き、ドアをノックした。
『なんだいヒロ。人生ゲームの続きやりたいのかー?』
部屋の主が顔を覗かせる。
「姉さん」
『おう』
「おやすみなさい」
軽く頭を下げて足早に部屋に戻ろうとする弟に、
『おやすみ、比呂士!』
と姉は笑ってみせた。
独立宣言の夜
***
※亜希奈は捏造です。
公式設定ではないので悪しからず!!