第一弾:庭球

陛下
私の通うこの四天宝寺中学校の男子テニス部はとても強い。その成績は全国大会で準決勝まで進むくらいだ。さらに、部員はみな個性派ぞろいだ。おまけに渡邊オサムコーチもかなりの個性派だ。本当に、かっこいい人からおもしろい人まで様々だ。

そんな男子テニス部の中に私の好きな人がいる。今までは勇気がなくて自分から話しかけたことがなかった。けれど、もうすぐ冬休み。冬休みが明けたらすぐに3年生の先輩たちは卒業してしまう。だから、今日、私は勇気を出して先輩に話かけてみようと思う。

どきこ
といってもなあ……難しいよね、いきなり話しかけるなんて。どうしようかなあと教室で悩んでいると、すぐ横の廊下で金ちゃんがふざけているのが視界に入った。そうだ金ちゃんってテニス部だっけ。私は慌てて教室を飛び出して、

「金ちゃん! ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど……」
「ん? なんや連! なんかおもろいことか!?」

逸美
そう言いながら、金ちゃんは廊下をどたどたと走り、すぐさま駆け寄ってきた。まるで好奇心旺盛な子供のように、瞳をきらきらと輝かせている。

「ううん。ごめんね、面白くはないの…でも、頼まれ事聞いてくれたら金ちゃんに何でも好きなものおごっちゃう!」
「ねえちゃん、ほんまか?!ほんまになんでもおごってくれるんか?」

私が答えるやいなや、物凄い剣幕で聞き返してきた。思わず気圧されそうになる。
い、嫌な予感がするけど…ええい女は度胸!

「うん、お姉さん、なーんでもおごっちゃう!だから、テニス部のあの先輩にこれを渡してほしいの」

そう言って、私は金ちゃんに一通の手紙を差し出した。

「ええで、お安い御用や!」

金ちゃんはバッと乱雑に手紙を受け取ると、みるみるうちに階段を駆け上っていった。そんな彼の背中を不安げに見つめながら、どうかきちんと届けてくれますように――と、神様に祈った。

夜月
金ちゃんを見送って自分の教室に戻ると隣の席の財前くんが胡乱げな目で見てきた。

「自分なんでそんなにやけてるん?」
「えっ… そんなに?」
「なんかキモイ顔が更にキモくなってるで」
「なんでそんなこと言うかな… でもまあちょっと良いことがあったからね」
「ふーん よかったな」

気分も良くなり授業も頑張ろうって気分になれたのに次の授業が苦手な数学でせっかく上がったやる気が下がったのは内緒である。

蒼紫
無事授業を終えると私は、待ち合わせ時間が早く来るように祈った。
3年生は私たちより今日は1限多い日なので、少し時間を潰さなければならない。
待ち遠しくてそわそわする。

「…ホントキモイな」

椅子に座って机に伏せていた私はバッと顔をあげると、そこには財前くんがいた。

「もう…さっきから…。てか財前くん部活いかなくていいの?」
「今日は久しぶりの休みや」
「そうなんだー」

財前くんは前の席に腰をかけた。
そして、背もたれに頬杖をつく。
黒いツンツンとした髪が近付き、そこから清潔感のある匂いが漂ってきた。

「……」
「……」

沈黙が訪れる。

「…自分、ホンマに先輩に話かけに行くんか」

沈黙を破ったのは真剣な顔をした財前くんだった。
その表情は、いつもの財前くんの顔とは少し違った。

シルビア
「うん、行くよ。女は度胸だもの」

私はこの想いを秘めたまま、先輩を見送りたくないのだ。
この想いが伝わらなくてもいい、一度きりのチャンスでもいい、あの人と話したい。
ずっと勇気が出なかったけど、他愛無い話でもいいから、私はあの人と話したという思い出が欲しいのだ。

「ほんま適わんなぁ」

財前くんがそう呟いた。その意味に気付かないほど鈍感ではないけれど。
それでも指摘するのは彼に悪いと思うから気づかない振りをした。

はりこ
まだ待ち合わせ時間にはなっていないけど、教室のドアが開く音がした。わざと窓の外を眺めて待っていた私は、異様なほどどっくんどっくん大きな音を立てる胸を押さえながら思い切って振り返った。

「ねえちゃん、悪いな!」

そこに居たのは、……憧れの先輩への呼び出しの手紙を託したはずの金ちゃん。私は拍子抜けして、露骨に恨めしい顔をしてしまう。

「言うて来たんやけど、あいつ今日は用事あってはよ帰らなあかんて」

せっかく思い切ったのに……残念さと安堵の気持ち半分半分でため息をつく。
べつに彼が悪いわけではないのに、金ちゃんが両手を合わせてごめんなあ?と叱られた子犬みたいな顔して小首をかしげるのが可愛かったので、結果は伴わなかったけど約束の報酬をあげる気分になった。

「そっか、用事があるならしかたないよね。私もこのまま真っ直ぐ帰る気分にならないし、金ちゃん今日練習ないんでしょ?奢るからなにか食べてこっか」

そう言うと金ちゃんはさっきの顔が嘘だったみたいに笑顔になった。

「流石〜!俺、ねえちゃんのこと応援すんで?っちゅうか、普段からお似合いだと思っとったわ!」

金ちゃんはもう完全に食事に目がくらんだのかお世辞としか思えないことを言う。それでも悪い気はしなくて、つられて少し笑う。

「よお楽しそうに話してるもんなあ。落ち込まんでも、また今度、謙也に声かけたるわ!」

…………え?
なぜここで、忍足先輩が出てくるのか、一瞬理解できなかった。だって、私が書いた手紙の宛先は……。


「こいつの想い人は違う人やで」

突然響いてきた声に思わずそちらに振り向いた。
教室の入り口にいたのは、もうすでに帰ったと思っていた彼の姿。
財前くんが呆れたように立っていた。

「金ちゃんに任せる時点で間違ってるやろ……」

財前くんは金ちゃんの前まで歩みを進めると、彼のおでこにでこぴんをかました。地味に痛そうだ。

「金ちゃん帰ってええで。後は俺がやっとく」

ねえちゃんごめんな…と金ちゃんが素直に去っていく。なんだかとても申し訳なくてお礼と約束は守る旨を伝えれば、いつもの笑顔が戻ってくれた。やっぱり可愛い子だ。

「あんたも金ちゃんに任せるとか阿保やろ」

足音さえも聞こえなくなったとき、財前くんが告げた。
彼の切れ長の目が真っ直ぐに私を見つめてきて、普段面倒くさそうにしている姿とのギャップに不覚にも少しときめく。

「なんで……」
「あんたの好きな人なんてばればれや」

ずっと見てたんやからな…そんな言葉が小さく聞こえたけれど、気づかなかったふりをする。
その様子に一瞬彼は切なそうに顔を歪めたが、すぐにそれはいつものポーカーフェイスに変わった。

「呼んでるで、部長」
「え…?」

思わず素っ頓狂な声が出た。

「部室に呼んどいた。待っててくれてるはずや」

突然ぐいっと腕を引かれ、私は彼の腕の中。

「頑張れ」

耳元で声が響いたかと思うと、財前くんはすぐに私を解放し、背を押してくれた。

「行ってき」

珍しい財前くんの笑顔。だけどそれは、私の胸を苦しくさせた。

飛瑠
ごめんね財前くん、そしてありがとう。
私は振り向きもせずに教室を後にした。
振り向いてはいけない、折角財前くんが作ってくれたチャンスだ。

あの人を待たせている部室の前に着く。
校舎と部室はそれなりに離れているのに、どうしてこうも時間が早く進んでしまったのか……、まだ私の心の準備はできていない。
部室の扉の前で大きく2回深呼吸をする。
緊張のあまり震える手で扉をノックした。

「あ、あのっ……」

声は震えていなかっただろうか、裏返っていなかっただろうか、脳内で何度も繰り返したイメージトレーニングとは遠く離れているが、仕方ない。
ここから逃げ出したい、私が望んだことなのに今すぐ全てをなかったことにしたい。
脳内で自己嫌悪と羞恥に襲われていると、部室の中から「はい?」とあの人の声がした。

ゆっくりと扉が開く。


「ん?俺に話があるっちゅー人がおるって財前から言われとったんやけど、それって自分のことでええんか?」

先輩は私の目線に合わせるように膝を折ってくれた。
こういう優しい仕草を自然と出せてしまうこの人を、やはり私は好きだ。

「はい、あ……の、えっと……」
「うん?」
「し、白石先輩!私、先輩のことが好きです!」

言ったもん勝ちや、そう誰かに言われた気がした。
報われなくてもいい。白石先輩に想いを告げられたという事実さえあればいい。
私と彼には接点がない。私のことを知らなくて当然なのだ。
さあ先輩、思いっきり私を振って下さい。ごめんなって言って下さい。

「自分、いつも試合見に来てくれてた子やな。俺もな、ずっと自分の名前知りたかってん。なんや財前に聞いても全然教えてくれへんし……」

名前、教えてもろてもええかな?と彼は私に聞いた。
まさかの展開に私は言葉に詰まる。自分の名前を言うだけなのにひどく緊張した。

「……連です」
「連ちゃん言うんや。ええ名前やな」

「連ちゃん、俺な――――」

私は何度も瞬きをした。

テニスコートで見てきた先輩は冷静で涼しい顔をしていたのに、今私の前にいる先輩は顔を赤くしていて私は一度も見たことがなかった。
しかし私の顔は彼に負けじと真っ赤だったに違いない。


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