今度は自分から  


それは、紫陽花が咲き乱れる、梅雨真っ盛りの季節のこと。
私は、しとしとと振り続ける雨を眺め、昇降口で途方に暮れていた。

「あー…なーんで降っちゃうかなぁ…」

私は溜息混じりに呟く。今朝、雨は降っていなかったし、天気予報でも雨の予報はなかったはずなのに…。
予報を安易に信じ、傘を持たなかったのがいけなかった。生憎、今日は予備の傘もない。
時間が経てば雨は弱まるかもしれない。そう思い長い時間待っていた。
が、思いとは裏腹に、雨脚はどんどん増すばかり。全く何時になったら帰れるんだろう…自然とまた溜息が漏れる。

すると――

「どうしたんですか?」

後ろから声が聞こえてきた。周りにはもう誰もいないと思っていたのに…。
驚いて振り返る。すると、声の主は私と同じクラスの――…

「あ…竜ヶ崎、くん」

スラッとして綺麗な立ち振舞い、端正な顔立ち、特徴的な六角形の赤眼鏡、紛れもなく同じクラスの竜ヶ崎怜くんだった。彼とはクラスメイトということ以外接点はなく、今まであまり話したこともない。が、私の想い人である。突然の想い人の登場にただただ、動揺する。悟られないよう、こちらから話題を振る。

「りゅ、竜ヶ崎くんは、今帰り?」
「えぇ、ちょっと図書館で勉強をしていまして」

やっぱり竜ヶ崎くんて真面目なんだなぁ…なんて思いながら外を眺める彼の顔を見つめる。
綺麗だなぁ睫毛が長いなぁ…なんて見蕩れてたら、彼が外から私に視線を移す。慌てて視線を顔から逸らす。

「田中さんは誰かお待ちしているんですか?」
「ううん、違うの。あのね、うっかり傘持ってくるの忘れちゃって…雨弱まるのずっと待ってるんだけど、あはは…」

頭に手を当て、まいったなぁーなんて言いながら空笑いをする。

「そうですか…」

軽い相槌を打ってくると思ったら、彼は顎に手をあて、真剣に思案するような仕草をとる。
ややあって、彼から言葉が紡がれる。

「でしたら、どうぞ」
そう言うと、彼は大きくて黒い傘を差し出す。


「…?」
「良かったら、この傘を使ってください」
「ええええええ!!!?いやいやいいよ悪いし…!だってそしたら竜ヶ崎くんが濡れちゃうよ?」

予想外の言葉に、頓狂な声をあげてしまった。恥ずかしい…。

「いえ、僕は予備の傘を用意していますので。気にしないでください」

事も無げに彼は赤眼鏡をくいっと押し上げる。

「やっぱ、竜ヶ崎くんは用意がいいねー」
「まぁ、当然です」

彼は腕組みをして得意げに言う。得意顔、可愛いな。

「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。本当ありがとう…!」

そう言って私は竜ヶ崎くんから傘を受け取り、ぬかるんだ地面へと一歩踏み出す。
昇降口の方を振り返ると、彼は私に手を振ってくれた。
嬉しくなって私も大きく振り返す。

「今度きちんとお礼するねー!」

大きな声でそう言うと、私に笑顔を向けてくれた。
もうこれだけで幸せだ。

私は満ち足りた気分で帰宅するやいなや、早速マフィン作りに精を出す。
甘いもの、苦手じゃないといいな、そう思いながら、感謝と親愛を込めて。






*****

次の日の朝。私が教室に入ると、竜ヶ崎くんの姿はなかった。
HRで担任教師が竜ヶ崎くんの欠席を知らせる。どうやら彼は風邪を引いてしまったらしい。

「え…?」

嘘でしょ…だって彼は昨日予備の傘をさして帰ったはずじゃ…
混乱。焦燥。不安。彼のことが気掛かりで、授業などまともに聞いていられなかった。


*****

昼休み――。
屋上に向かおうとする葉月渚くんに事情を聞くことにした。
彼は竜ヶ崎くんととても仲がいい。彼なら何か知っているかもしれない。

「ねぇ、葉月くん…。」
「あ、田中さん。こーんにちはっ!僕のことは渚でいいよー!僕も連ちゃんって呼んでいい?」

彼の人懐っこい笑顔のお陰で、気持ちが少し晴れた気がする。

「全然いいよ。あの、渚くん…竜ヶ崎くんのことなんだけど…」
「あぁ怜ちゃん?」
「そう。今日風邪で休んでるけど、どうしてか知ってる?」

「んー僕が思い当たるのは昨日のあれしかないなぁ。」

口元に手を当て、昨日のことを思い出しているようだった。

「何?」

「僕ね、昨日の放課後、昇降口で怜ちゃんのこと見掛けたの。でね、『一緒に帰ろー!』って声掛けようと思ったら僕に気付かないで傘もささずにそのまま走って行っちゃったんだー。きっと、傘忘れちゃったんだろうねー。もう、怜ちゃんて変なとこでドジっ子なんだから」

彼の話を聞いて、違和感を感じる。

「え?竜ヶ崎くん、傘さしてなかったの?」
「うん、そうだよー」

笑顔で彼は肯定する。

「どうしよう…私の所為だ…」

血の気が引く思いだった。私が傘さえ借りなければ、竜ヶ崎くんは風邪を引くことはなかっただろう。
彼が本当に予備の傘を持っているか、確認しておけばよかった。

「私に傘を貸してくれたから…竜ヶ崎くんは風邪を…」

私のこの一言で事態を把握したのだろうか、渚くんは何か閃いた様子で、

「ちょーっと待ってねー…」

そう言いながら、どこからともなく紙とペンを取り出し何かを書き込む。
そして、その紙を私の掌にそっと乗せてくれた。

「これ、怜ちゃんの電話番号」
「……え?」

私は、涙目で彼をきょとんと見つめる。

「心配なんでしょ?怜ちゃんのこと。だったら!思い切って電話しちゃいなよ!」
「で、でも…」
「連ちゃんはそんなに重く考えないで。連ちゃんからの電話、怜ちゃんきっと喜ぶと思うよー!」
「…?」
「と に か く!僕、連ちゃんのこと応援してるから!頑張って、ね!」

激励の後、彼はウインクして去っていった。

あれだけの会話で、私の悩みも、私の気持ちも、察したのだろうか……。
渚くんは勘が鋭い。





*****
渚くんと別れた後、早速竜ヶ崎くんに電話を掛けることにした。
緊張で震える手で電話番号をプッシュする。そして、番号とメモと照らし合わせ何度も何度も確認した。
意を決し、すぅっと深呼吸を1つして、通話ボタンを押す。
コール音を聞いている間、心臓は早鐘のように鼓動を刻んでいた。

――――5コール目でコール音が止んだ。

『ん…はい、もしもし?』
普段とは違い、ゆっくりとして気だるそうな声が聞こえた。寝起きなのだろうか。
「もしもし、竜ヶ崎くん?私、田中!ごめんなさい、起こしちゃったかな?」
『…なっ!!?田中さん?』
分かりやすく動揺している。無理もない。番号を知るはずもない相手から電話が来たのだから。
不謹慎にも、彼の動揺ぶりが可愛く思えてしまう。

『どうして僕の番号を知っているんですか…?』
彼は、多少平静の落ち着きを取り戻したようで、不思議そうに尋ねた。
「渚くんに教えてもらったの」
『あぁ…なるほど』

もう一度意を決し、本題に入る。

「あの…昨日、傘さして帰らなかったって聞いて…。それって私に傘貸してくれたからだよね…だから風邪ひいちゃったんでしょ?私の所為、だよね…ごめんなさい…」
『いえ、貴女が謝る必要はありません。僕の体調管理が不十分だっただけです。』
「で…でも!」
『僕が好きでしたことです。本当に、貴女が気に病む必要なんてないんです。それに…』

竜ヶ崎くんが何か言うのを躊躇ったのか、口篭る。…何だろう?

「それに…?」

堪らず、私が聞き返す。

『………好きな女性が困っていたら、力になりたいと思うのは当然じゃないですか』

数秒、間があって受話器越しに聞こえる彼の言葉。
それは、とても甘かった。


「えっ…!」

信じられない言葉に、思考が追いつかない。
彼の言葉が何度も何度も反芻される。

沈黙が重かったのか、私の返答を待たずに彼から言葉が紡がれる。


『…すみません今のは忘れてくださ』
「あああああああの!お見舞い!今から行くから…!待ってて!」
『え!?今からですか?』
「そう!今から!!私の気持ち、直接聞いて欲しい!」
『…っ!では、お待ちしています、連さん』

初めて名前を呼んでくれた彼の声は、今まで聞いたことのないような優しい声色だった。

「っ…ありがとう!怜くん!」


「あ、そうだ。ねぇ、今度…」
『はい?』
「今度、雨が降ったらさ…一緒に帰ろうよ」
『ふふ、そうですね。では』
「うん、じゃあまた…ね」

そう言って電話を切る。

そうと決まれば、早速渚くんに怜くんの自宅の住所を聞かなくっちゃ。
教室を飛び出し、屋上へと駆け出す。私の足取りは軽い。





今 度 は 自 分 か ら

       ( 気 持 ち を 打 ち 明 け な く ち ゃ ! )

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