ごめんね堅思い

授業が終わり大きな欠伸をしていると、ズボンのポケットに入れていたケータイが振動し、メールの受信を知らせた。
送り主の名前を見て俺は今までの眠気がふっとんだ。

「山本どうしたの? 嬉しそうだね」
「んー! ま、ちょっとな」

自然に上がる口角をそのままに、俺はツナに「ちょっくら行ってくるわ」と言い残して教室を出た。途中すれ違う奴らに冷やかされながらも笑ってやり過ごし、一目散に階段を駆け上がった。

◇◇◇

しばらく階段を上がっていくと、連先輩が俺を待っていた。
少し乱れた呼吸を整えて彼女を呼ぶ。

「連先輩からメールくれるなんて珍しいっスね」

先輩から送られてきた『休み時間に屋上階段に来て』という簡素な文面でさえも俺を喜ばせるには十分だった。

『事は非常事態だ、山本君』

俺のいる位置より数段高い場所にいる連先輩はどこか疲れているように見えた。それはそうと、俺が先輩に見下ろされるなんてことは今までなかったから少し新鮮だ。

『私と君、付き合ってないよね』

先輩は困惑の色を醸し出しながら俺にそう言った。
普段はこんなこと言わないから、「らしくないっスね」と俺が言うと彼女は大きく溜息を吐いた。呆れているというより安堵に近いのかもしれない。

『私と君が付き合っている、とかいう根も葉もない噂に今日は翻弄されまくりなんだって』
「あー、そのことっスか」

数日前から俺も同じ理由でクラスメートや先輩たちから質問責めにあっていた。
あまりに多いんで否定するのも面倒くさくなって、笑って流すようにしたがそれがいけなかったのかもしれない。
しかし、嘘であってもその噂が学校内に広まることは嬉しいことであるのは無論事実だ。

胸の内を述べると先輩は『君のそういう気を遣えるところ、偉いと思うよ』と褒めてくれた。
分かってはいたが、彼女には社交辞令に聞こえたようだ。

「んじゃー、ご褒美にそれください」

俺は変なところで頭が回るのか、ここぞとばかりに先輩の校章をねだった。
野球部の引退した部長が俺に校章をくれるとか言っていたが、どうせ貰うなら部長のより連先輩の方がいいなって思ってしまう。
いや、部長は尊敬してるけどそれとこれとはちょっと違うし――。

「じゃ、俺予約で! もし他の人がほしがってもあげちゃだめっスよ! 卒業式終わって、見送りのアーチが終わったらすぐ行きますんで」

連先輩が戸惑いがちに頷いたのを確認して、嬉しさと少しの罪悪感を感じながら階段を駆け下りた。



――脳裏に浮かぶのは2週間前の野球部での3年生の卒業を祝う会での先輩たちの会話。
卒業を控えた先輩たちに進学予定の高校名を聞いたり、労ったりとそれなりに有意義な時間を過ごしたが聞き逃してはいけない言葉が先輩たちの口から発せられた。

「美術部の田中っているじゃん? 俺、今度告ろうと思う!」
「え、田中って……田中連?」
「そうそう。ずっと気になってたんだけどさーなんつか、冷たい感じ? するじゃん。だから今まで言い出せなかったんだけど、卒業前だし当たってみよっかなーって」

先輩たちの口から聞くとは思ってなかった連先輩の名前。
……俺はその名が聞こえた時、どうしても黙っていることができなかった。どうしてもその先輩に「頑張ってください」などと応援することはできなかった。

連先輩は恋だとか恋愛だとか、そういうのには興味がないのか、鈍感なのか、それともあの性格だから言い寄ってくる男がいなかったのか、こういった話とは無縁だと思っていたがそうでもないみたいだ。

連先輩は冷たいわけじゃない。実は結構優しいし、ちょっとはクールっぽい性格もあるのだろうが大体は照れ隠しから冷たい態度を取るだけなのだ。
しかも押されると弱い。
たった一年間しか連先輩と一緒に学校生活を送ることができなかったが、それでもこれだけのことが分かる。

「えー、先輩告るんスかー?」

俺は野球部の先輩たちが羨ましく思った。
連先輩と同い年で、クラスは違えど3年間一緒に過ごしてきたのだから。
だからこそ、俺は連先輩を獲られたくなかった。

「よいしょっと」

俺は椅子から立ち上がり、紙コップに入ったコーラを手にしながら先輩たちの許に行った。

「ダメっスよ、先輩。連先輩は俺の彼女サンなんで」

気付いた時には言葉を発していた。

「うそ!? マジ?」
「マジかよ……、田中に言う前に俺玉砕じゃねえか」

俺はハハハと笑って、先輩に「ドンマイっス」と言って肩を叩いた。
それから、これから訪れるであろう周囲からの質問責めの対応を考えながらコーラを飲み干した――。



(やっちまったな……)

まさか俺がその噂の根源だとは知らないだろう連先輩は、俺を疑いもせずに俺を気遣ってくれた。
その優しさを前にした時に罪悪感が押し寄せて来て俺はひどく後悔した。
俺が先輩を他の奴に獲られるのが嫌で咄嗟についた嘘が、ここまで大きくなるとは思わなかった。俺があの場さえ乗り切れればいいと安易な気持ちで言ってしまったのがいけなかったのだ。

それでも先輩に面と向かって謝ることはできなかった。
だから先輩に聞こえないように小さく呟く。

「連先輩、すんません、わざとです」

わざとあの噂を流すようなことをしました、俺があなたを獲られたくないばかりに――。


***
先輩を取られたくないという堅い思い。
彼が予約したものは、校章ともう一つ。

(「すみません、わざとです」)
お題セリフ:確かに恋だった様より


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