想いの行方

U-17日本代表候補合宿。私はこの合宿に参加している。勿論、選手としての参加ではない。スタッフとして、だ。在籍する専門学校の実習の一環でこの合宿施設に配属された。現在は精神コーチの補佐として責務を全うする日々を送っている。

私は、件の精神コーチを探すため合宿施設内をうろつく。確か、今日はテニスコートで中高生を観察しているはず…。きょろきょろと辺りを見回すと――見つけた。白衣を身に纏う長髪を結わえた長身の姿。精神コーチ・斎藤至はとてもよく目立つ。

「斎藤コーチ」
「あぁ、田中さん。ボクに何か用ですか?」

彼はテニスコートから目を離しこちらに向き直すと、心地の良い穏やかな声で言葉を返す。

「こちら、頼まれていた資料です」

そう言って私は抱えていた書類の束を差し出した。

「あぁ、もう作成してくれたんですか?いやぁ、ご苦労様ですー」

彼はそれを受け取ると、頭に手を当てながら申し訳なさそうに私を労う。

「いえ、そんな…」
「田中さんは本当によく働いてくれますねぇ。偉いです、感心しちゃうなぁ」

彼は私に向かってにっこりと微笑み、感嘆の声を漏らす。

「有難う御座います。そう言って頂けて光栄です」



彼は、先程手渡した書類に目を通し始める。すると、

「田中さん、真面目で努力家だし、可愛らしいし…きっと、素敵な彼氏さんとか、いるんでしょ?」

彼は、まるで今日の天気を尋ねるような…そんな声色で話題を振る。

「…え」

あまりに唐突で、彼が触れないような質問だっただけに、思わず固まってしまう。
私の様子に気付き、彼は分かり易く慌て出した。

「あっ!ごめんごめん、こういう発言もセクハラですよね。
 いやぁ、こんなこと不躾に聞いちゃうなんて…ボクもつくづくおじさんだなぁ」

彼は申し訳なさそうに頭をぼりぼりと掻く。

「いえ、そんなことないです…私、彼氏はいませんよ」

苦笑いをしながら、やっとのことで声を出す。想い人はいても、彼氏などいない。彼は、私が抱いている恋情に気付いていないのだろう。いや、役職柄私の心理などとうに把握しているのかもしれない。だとしたら彼は意地が悪い。毎日彼の一挙一動に期待し、落胆し、翻弄されているのだから。

「えぇ、そうなんですか?もったいないなぁ…こんなに魅力的なのに。
 将来、君はきっと素敵な奥さんになりますよー。ボクが保証します、ハイ」

そう言うなり彼は私の頭をぽんぽん、と優しく撫でた。40代とは到底思えない、屈託の無い少年のような笑顔を向けて。向けられる度、私の心臓がどんなに跳ねるかも知らないで。格好良いと見惚れる反面、ちくり、と胸が痛む。

「…有難う、御座います」

目頭が熱くなるのを感じながら、やっとのことで声を絞り出した。

彼の無責任な言葉に、僅かな期待をしてしまう。
でも、この気持ちを伝えようとは思わない。伝えたら、彼を困らせてしまう。

彼は、既婚者だ。お子さんもいて、とても溺愛しているらしい。私が入り込む余地なんて、何処にもない。略奪したい――なんてそんな気持ちは毛頭ない。そんなこと、してはいけない。彼が大切にしているものを奪ってまで得ることに何の価値があるだろう。そんなのはただのエゴだ。

それでも…報われないとわかっていながらも想わずにはいられない。これもエゴなのだろうか。でも、この恋情を嘘や勘違いで済ませたくは、ない。



「ねぇ、コーチ…」
「ん?どうしました?田中さん」

彼が、笑う。簡単に振り撒くその笑顔が、優しさが、私の心を掻き乱す。
私は、喉まで出掛かった言葉を必死で飲み込んだ。

「いえ…何でもないですよ」

無理やり口角を上げ、下手糞な笑顔を取り繕う。



――嗚呼、彼はとても…残酷だ。






い の 行 方


(ねぇ、コーチ…もっと早く出逢えていたら、少しは希望はありましたか?))

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