紅涙を君は知らず


「あいつは人の魂を食らう悪魔だぞ。そんなのの何がいいんだ…」

自分には微塵も理解できないというかのようにシエルは両手を軽く上げ、大きなため息を吐いた。毎日朝から晩までお世話になっているというのになんて言い方だ。

『シエルは男だし、下僕としてしか見ていないから何とも思わないんだよ。あんなに紳士的で素敵な人そうそういないわよ』
「執事なんだ、紳士振るのは当たり前だ」

シエルは相当呆れてしまったのか机に肘をついて遠い目で私を眺めている。そんないかにも可哀想な子を見るような目で見ないでほしい。

『確かにあれが本当の彼だとは思わないわ。でもいいじゃない。秘密の一つや二つあった方が魅力的よ』

それがわからないなんて、まだまだお子ちゃまねシエル。と、わざと明るい声色で言ってみる。

「あいつを好きになっても叶うはずがない」
『…わかってる』

わかってる…彼を好きになっても彼が私を好きにならないこと。私が傷つかないようにと忠告してくれているシエルは優しいと思う。でも自分が一番よくわかってる。だからって「好き」という気持ちが止められるわけじゃない。もう好きになってしまったのだ。何もかも遅すぎた。
前に悪魔は恋することがあるのかと聞いたことがある。彼は何とも曖昧に「さあ、どうでしょう。人間と違って私たちの命は長いですからね。一生寄り添って生きていく相手を見つけるのは容易ではないでしょうね」なんて言っていた。一生寄り添って生きていく…恋はできても結婚はできないってことかしら。そもそも悪魔に結婚概念なんてあるのかどうか…
でもそんなことはどうでもいい。彼にとって、私にとって、たった一瞬の恋でもいい。私が彼を好きなように、彼にも私を好きになってほしい。

『まあ、そんな簡単に好きになってくれたら苦労しないんだけど…』

自分で言っていて悲しくなってくる。恋って叶ったらあんなにキラキラしてるのに叶わないとなんでこんなに辛いのだろう。

『シエル、私部屋に戻るね。またあとで』
「あぁ」

シエルは軽く手を上げ、部屋から出ていく私を椅子に座ったまま見送った。もうすぐ夕食の時間になるだろう。セバスチャンが呼びに来る前に書庫に行ってこようかな。寝る前に読む本を何冊かストックしておこう。そう思い、シエルの部屋から直接書庫へ足を向けた。

*****

シエルと共に夕食を終えると、仕事の話でもあるのかセバスチャンを連れてすぐに部屋へ戻ってしまった。私も部屋に戻ってシャワーでも浴びようか。今日は色々考え事(主にセバスチャンのこと)をしたから少し疲れてしまった。熱いシャワーで癒されたい。それからさっき持ってきた本も読みたい。
でもちょっとだけ。ちょっとだけ休みたい。ここで座ってしまったら確実に眠ってしまうことはわかってた。だけどゆっくりと腰を下ろしてしまった。後悔の念が押し寄せるかとも思ったけれど、そんなことを感じる前に私は深い眠りについてしまった。

「お嬢様、起きてください。ここで眠っていてはお風邪を召されますよ」
『うん…』

セバスチャンが私の肩を揺さぶっている気がする。この優しいセバスチャンが夢か現実かわからない。いや、彼はいつでも優しいのだけれど。
でもほしい言葉はいつも言ってくれない。彼のことだから、私が好意を寄せていることなんてとっくに気付いているはずだ。

「お嬢様」

夢でもいい。現実で叶わないのなら夢の中だけでもいい。私の気持ちを聞いて。

『好き…セバス…』
「だめですよ、お嬢様」

どうして。なんで。言いたいことは山ほどあるのにもう口を開くことができなかった。ただ眠たかったからかもしれないし、夢の中でまで振られてしまったことがショックだったからかもしれない。
振られてしまった。改めてその事実を思うと目頭が熱くなってくる。人間、寝てても涙がでるんだな。そんなことを思うどこか冷静な自分がいる一方で涙は止まらない。けれどもうその涙をぬぐってくれる人はそこにはいない。



紅涙を君は知らず



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