春告げの鳥

石畳を歩く。太陽の日差しは暖かく穏やかな陽気は春の訪れを間近に控えているようだ。
見覚えのある女は水を替えた花立に仏花を供え、こちらに気付かないまま墓前にしゃがみ両手を合わせた。
暫くして立ち上がったのを見計らい、声を掛ける。

「おやおや奇遇ですねィ、売れっこ娼婦さん」
『あら、お巡りさん。お仕事お疲れ様です、休憩ですか?』
「まあ、そんなとこです」

沖田は地面に置いた水桶を持って、れーとの距離を縮める。

『最近は暖かくなってきて過ごしやすくなりましたね』
「暑さ寒さも彼岸まで――ってねィ。ところでれーさん」
『はい?』
「ちょいと付き合ってもらえやすかィ?」

れーは二三瞬きをすると、二つ返事をし軽くなった水桶を持ち上げる。
沖田は霜柱が溶け少し泥濘む足場を気にも止めず進んでいき、人気のない墓地の裏手にある庭の一角にぽつんと植えてある若木の前で止まった。
そして、細く背丈も低いその梅の木に彼は恭しく頭を下げた。

『沖田……ミツバ……?』

梅の木の横に立てられた立札には女性名が彫り込まれており、沖田はその木の根本に柄杓で水をやる。

「やっと花を付けましてね、誰かに見せたいと柄にもなく思っちまったんでさァ。生憎うちの野郎共には花を愛でるなんたァ大層な趣味を持つ奴はいないもんで」
『ふふふ、墓石の代わりに生木を用いるなんて、私は素敵だと思いますよ』
「生木にしないと世話しない姉不孝者ですからねィ」

「それに本物の墓は武州にありやしてね、こっちは空っぽなんでさァ」
と、沖田は梅の木に向って手を合わせた。
詣り墓として植えられたこの木は、故人である姉ミツバの想い人が好んでいるものなので沖田は植えることに最後まで良い顔をしなかった。しかしながら、この場所を使用するにあたり住職に許可を取ったのも、穴を掘り若木を植えたのも他の誰でもない彼だった。
れーも沖田に続いて、しゃがみ、手を合わせて目を瞑る。

『……それでも貴方の思いはきっと届いていると思いますよ。私はこの方とお会いしたことはないけれど、とても貴方を愛していらしたのね。その愛を返そうと貴方はあえて石ではなく生木を選んだのでしょう? 生木……梅は定期的に手入れをしないといけないものね』

立ち上がり、裾を直しながられーは言った。
心を見透かされたような感覚に至った沖田は目を丸くした後、隠そうともせずに微笑んだ。

『お巡りさんもそんな風にお笑いになるのね。私、新聞やテレビではもっと怖い方だと伺っていたものだから……お気に触ったならすみません』
「今更印象なんて気にしちゃいやせんぜ。それより、その呼び方どうにかなりませんかね」
『あら、そうね。お巡りさんの名前は……沖田……沖田……うーんと』

ちょっと待って下さいね、今思い出しますから、いや思い出すというのも失礼ですけれど……ここまで、喉まで来てるんです、沖田……えーっと、そう、総……

あーでもないこーでもないと言いながられーは右往左往し、うんうんと悩む。
その動作に沖田は失笑し、ヒントも言わずにただ見届ける。

『銀時に教えてもらったんです、けど、えっと確か……沖田……総一郎君?』
「違いやす」
『え!? じゃあ夜神総一郎君?』
「もっと違いやす。あーあ、傷ついちゃうなァ。俺はアンタの名前覚えてたのになー」

加虐心を擽られた沖田はニタニタと目を細めて、慌てふためくれーの様子を見て愉しんだ。

『総なんとか君よね、沖田総なんとか君』
「タイムリミットはあと十秒ですぜィ。そうだなァ罰ゲームは……」
『え!!』

思ってもみなかった言葉に一層焦るれーと口角を上げカウントダウンを始める沖田。庭には彼らを除いて人は一人もおらず、れーの記憶を絞り出す声と間延びした気の抜けるような沖田の低い声だけが辺りに響く。
そんな空間に緩やかな風が吹き、ここ数日の間に段々と数を増やしてきた様々な花の薫りを運んできた。

『……総悟』
「へい」
『沖田総悟君ね、思い出したわ。合ってるかしら』
「なんでィ思い出しちゃったんですか。つまんねェ」

よかったよかった、と胸を撫で下ろすれーは思い出したように腕時計を確認し少し慌てた様子で水桶を持った。

『ごめんなさいね、これから牡丹餅を作りに行くのだけど……そうね、たくさん作る予定だからあとでお裾分けに行ってもいいかしら』
「持って来てくれるんで?」
『銀時に行かせようかな』
「えー、なんでィ」

口を尖らす沖田に「冗談よ」と言ってれーは手を振り、その場を後にする。
沖田は一人になり再び静寂が訪れた庭の片隅でじっと梅の木を見つめたまま立ち尽くした。


「そーちゃん、あなた、好きになる人も年上の方なのね」


そよ風に乗ってどこからかそんな声が彼には聞こえた気がした。
幻聴かと耳を疑ったが、彼にはそんなことなどどうでもよかった。

「いい人でしょう、姉上。聞いていましたか? まだ満足に名前も覚えてもらってないんですけどねィ」

よいしょ、と水桶に残っている水を玉砂利へと流し踵を返す。

「今度はもっと花が咲いたら来ます。その時ァもっと進展してるといいんですが」


羽音が鳴る。
重力を孕んだそれは若木に体を沈ませ、僅かに撓った枝先を器用に移動した。
沖田がそれに気付き振り向くと、鴬は囀り春の訪れを告げた。


 

***
(沖田総悟・甘夢)


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