逸美:狼さんより上手

この日は秋らしい透き入るような青空と真白な鰯雲とが上空一面に広がっていた。時折涼やかな風が信楽の頬を掠める。その清々しい空模様とは裏腹に、信楽はどんよりと街中を歩く。今日も賭博で大金をすってしまった。まぁた狐にどやされちまうなァ…そうぼんやりと考えている最中、不意に、法衣の裾をくいっ、と引かれる感覚を覚えた。驚いて後ろを振り返ると――

「信楽おじさん!」

元気の良い声。信楽は視線を声の方へと下げる。すると、濡れ烏のように漆黒に煌めく黒髪、端正な顔立ちの女性が佇んでいた。信楽は一瞬、見蕩れる。もしかして、こんなおいちゃんに逆ナンか?下卑た考えが頭を巡るも、彼女の顔立ち、醸し出す雰囲気、何処かで見覚えのあるような…?記憶を思い起こし、思い当たる名前を呼ぶことにした。

「…おぉ、お前さんは確か……田中ん家のお嬢さん、か?」
「そう!そうだよ!田中連!久し振りだねっ」
「やっぱりそうかァ!いやぁ…大きくなったもんだなァ…」

彼女が見せた屈託のない笑顔が信楽の記憶と重なる。合点がいったとばかりに、信楽も顔を輝かせた。彼女と過ごした記憶を巡らせながら、信楽は綾芽をしげしげと見つめる。彼女は昔、信楽が児童養護施設に預けた子供の1人だった。

「私が施設を出てから会う機会なくなっちゃったもんね」

高校へと進学した連は、施設を出、自活する道を選んだ――と、信楽は施設のスタッフ伝手に聞いていた。以降、信楽が彼女の動向を知る機会はなかった。

「あぁ…そうだな。そういやァ今、いくつだ?」
「23。もう社会人だよ」
「大学は?」
「きちんと卒業したよ。奨学金と…それから、施設からも少し援助してもらって…」
「……そうか。お前さん、まだ若ェのに偉ェなァ」

にぃ、と歯を見せ笑いながら、信楽は彼女の頭を優しく撫でる。まるで娘の成長を垣間見ているかのようで、信楽はある種の感慨深さを感じていた。それと同時に沸き上がる――罪悪感。連の家庭が崩壊したのは、他でもない信楽自身が彼女の家に取り憑いたことが原因であった。本人には口が裂けても言えない。こんな時、何もしてやれない甲斐性のない自分が疎ましい。

「…ありがとう」

憂慮する信楽とは対照的に、連は彼の行動を甘んじて受け入れ、嬉しそうにはにかみ呟く。
心なしかその頬は紅潮しているように見えた。

「それにしても、右目の傷…大丈夫?昔はそんな傷なかったけど…」

その言葉と同時に、連の不安そうな視線が彼の目元に注がれた。
こんなに自分の身を熱心に心配してくれる相手は久方振りだな、と、信楽はついうつけてしまう。

「あ…あぁ、これな。いやぁ、つい最近こいつを引っ掛けた時にな…」

信楽はこいつ、という言葉と同時に小指を立て、バツが悪そうに頭を掻く。

「もう、おじさんったら相変わらずなんだから」

軽蔑するでもなく、嘲笑するでもなく、連は楽しそうにくすくすと笑う。純粋な彼女の反応に信楽もつられてくっくっ、と笑った。実際は妖怪退治時、相対する妖怪の呪詛によってつけられた、癒えることのない傷であるとは、到底言えなかった。憑き物筋であるこひなはともかく、一般人である彼女に自分の素性を明かす気はなかった。言っても信じてもらえないか、敬遠されるのが関の山だ。


「ねぇ、信楽おじさん。今日、時間ある?」

一頻り立ち話を続けていると、彼女の方からそう誘いが掛かった。

「あぁ。基本、おじさんフリーだから」

信楽が懐手にそう言うと、連は、ぱぁっ、と顔を輝かせ手を叩く。

「そう?よかったぁ!せっかくだからこれからお茶でもどう?私も今日はフリーだし」
「いーいねェ…こんな別嬪さんと飲む茶ァはきっと旨いだろうなァ」

信楽は顎に手を当て、にやりと口角を上げる。

「もう、やだ…おじさんったら」

否定しつつも、連は満更でもないようだった。

「それに、嬢ちゃんの積もる話も聞かせてくれや」
「うんっ!」

連の元気な返答を聞くと、信楽は満足そうに顔を綻ばせる。そして彼女を誘い場所を移すことにした。



******



お互い、店で軽くお茶を楽しむだけのつもりだったはずが、積もる話が両者ともに尽きずに時間は刻々と過ぎていった。その後は店を変え、2軒目、そして3軒目には互いに酒を飲み交わすようになった。

「あんなに可愛気のあったお嬢ちゃんが、今じゃこんなに綺麗になってなァ」
「もうっ…おじさんったらやめてよぉ、褒めてもなにもでないよ?」

酔っている所為か、再会当初に比べどちらも明るく、饒舌になっていった。
そして、肩や腕、手といった身体に触れる頻度も次第に増えていく。


それから、どれくらい飲んでいただろうか――

「嬢ちゃん…嬢ちゃん!」

何処かから聞こえる信楽の声で、連はうっすらと瞳を開け、頭を上げる。

「ん、ぁ…信楽おじさん…?」

連の視界いっぱいに、心配そうな顔の信楽が映る。
余りの近さに連はびくり、と身体が反応する。

「大丈夫かィ?ほら、起きな。此処の店、閉店だとよ」
「ん…」

信楽から差し出された無骨な手に誘われ、連は覚束ない足取りで退店する。
頭が痛い…気分も優れない…足下がふらついて天地がひっくり返っているみたいだ…そう、連は薄らぼんやりと考えた後は思考が停止していった。連の意識が次第に遠のいていく――



*****



「…ん」

連は身体をふわり、と包み込む心地良さで目を醒ました。起き上がり見渡すと、間接照明で温かな橙色に彩られた部屋。そして自分は一面真っ白なシーツが広がる天蓋ベッドに寝かされていた。
状況が読み込めず、連はがばっ、と飛び起きる。

「お。お嬢ちゃん…目ェ醒めたかィ?」

声のする方へ顔を向けると、煙草を燻らせベッドに腰掛けている信楽と視線が交わる。

「あ…信楽おじさん…」
「心配したんだぜ?あの後いきなりぶっ倒れちまうもんだからよ…」
「…ごめんなさい」

信楽に会わせる顔がなく、連は俯く。自己管理も出来ない程お酒を飲むなんて…信楽おじさんに会えて浮かれていたにしても、彼に迷惑をかけていたのでは元も子もない…最悪だ。連が悔恨の念に駆られていると

「いいってことよ。それよりも、自分の身体を大切にしな。もう平気か…?」

信楽は笑顔でそう言うと、連の頭を優しく撫でる。その手の感覚がとても心地良い。

「ありがとう…信楽おじさん」
「礼なんていらねェよ。おじさん、女の子をちやほやするのが生き甲斐だからな」
「ふふ…そういえば、ここはどこ…?」

連の問いに、バツが悪そうに信楽は答える。

「…あー……ラブホテル?」
「え、えええっ!?」

信楽の予想通り、連は過剰な反応を示す。

「ご、誤解すんなよ?すぐに入れるとこがここだっただけで…おじさん、お嬢ちゃんにはなーんにもしないから、な。お嬢ちゃんは安心して寝な」

本当は連が寝入ってる隙に少しだけ“味見”をしておけばよかったと後悔していることなど、口が裂けても言えなかった。そんな信楽は連から思いもよらない言葉を聞くことになる。

「ねぇ…信楽さん、して?」

信楽の腕を掴み、艶めかしくそう言う彼女は“女”そのもので。最初、瞳をぱちくりと瞬かせていた信楽も、連の本意を理解したのか、信楽は顔面を虚空へと向け、手で一杯に覆いながら、困ったように呟く。

「ハハッ、参ったぜ…お前さん、おじさんより断然上手じゃねェの」

信楽は、彼女の肩をしっかりと掴み、真剣な面持ちで諭す。

「こんなおじさんを煽らせるんじゃねェ…言っただろ?身体は大切にしろって」

信楽は平生を装い、彼女を諭す。
しかし、実情は彼女に対して情欲が沸々と沸き上がっていることを自覚していた。

「やだっ…そんなこと、言わないで…」

彼の答えに納得がいかないと連は詰め寄る。
衣服越しに連の体温を感じて、信楽の色欲はますます昂る。

「せっかく…せっかく貴方と再会出来たのに」

縋るような、か細い声。

「好き……好きなの、信楽おじさん…貴方が、私を助けてくれた、あの時から」

今にも泣き出してしまいそうな、滲んだ声。

「お願い…助けた“子供”のひとりじゃなくて、ひとりの“女”として見て…」

そう言いながら、連はゆっくりと自身の服に手を掛けていく。

「それとも、わたしじゃ“女”としては不服?」
「んなこたァねぇよ…」

彼女の指の動きをそっと止め、信楽は続ける。

「嬢ちゃんは魅力的な女だぜ…今すぐ襲っちまいてェくらいにはな」

そう言い、信楽は彼女の頬にそっと手を添える。

「っ…!」
「本当に、いいんだな…?」

その言葉に、連はこくりと頷く。それを見、信楽はぞくりとした仄暗い感情を覚えた。

純真な彼女を穢してしまうような罪悪感と、それをするのが自分だという高揚感。信楽はその背徳感に酔い痴れていた。情欲のまま、彼女の唇を貪る。舌を絡ませ合えば、ぴちゃぴちゃと淫靡な水音が部屋中に響く。

「んっ…ふ、ぁ…信楽さっ…うれし…」

漏れる甘い声と共に、連の頬に涙が伝う。

「っ…女の涙で動かねェ奴ァ、男じゃねェよな…」

信楽は乾いた笑いと共に、誰に向けて言うでもなくそう呟く。
寸でで堪えていた理性の抑えはもう、効かなかった――








さんより上手   




******

      

「っ…人間相手に本気で入れ込む気はなかったが…」
「…あっ、はぁ…!…んっ…信楽さっ…!」
「好きだ…連」

   


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