のノ野:狼さんより上手



 色とりどりの実をつけた木々が立ち並び、あちこちから妖精たちの笑い声や歌声が聞こえてくる。群生したキノコが連なる向こうには、見上げると首が痛くなるようなそれはそれは大きな木――私たちを見守る神樹がそびえ立つ。
 それらを眺めてふわふわ翔んでいくと、キノコたちの中でも一際大きいものの上に寝転がる人影が見えた。彼は欠伸を一つすると、神樹に顔を向ける。その視線の先、神樹の樹洞には美しい森が映っていた。彼の役目はここからあの森を見守ること。何故なら、彼は――

『妖精王様〜!』

 声をかけると彼は、胡乱気にこちらを見遣って体を起こす。

「急になんだい、それ」
『じゃあ、人間みたいに“キング”って呼んだ方がいい?』

 悪戯っぽく笑うと、彼は溜め息をついた。

「レン、からかうのはやめてよ」
『あはは。ごめんね、ハーレクイン』

 そう、彼はハーレクイン。私たち神樹に住む妖精族の、王様だ。妖精界と人間界をつなぐ妖精王の森と、そこに祀られた不死の泉を守るのが彼の使命。彼にはそれを全う出来るほど強大な魔力が備わっている。だからこそ王なのだ。とはいえ、

『今日はね、ハーレクインにお土産があるんだよ』

 ずっとただ見守るのはなかなか退屈なのだろう。いつも欠伸を繰り返す王様に、私は持ってきた紙束を見せてあげた。

「これは……本? 君まさか……」
『うん! 人間がくれたの』

 妖精王の森の近くでたまたま行商人に会って、貰ったものだ。おじちゃんは『お嬢ちゃん』なんて言ってきたけれど、私の方が何倍も長く生きているのに。今思い出しても可笑しくって笑みがこぼれるが、反対にハーレクインは眉を吊り上げる。

「また無断で人間界に行って! 人間を信用しちゃ駄目だっていつも言ってるだろう?」
『むー……』

 またこれだ。私は思わず口をとがらせた。

『でも、人間って面白いよ。それに』

 言葉を区切って顔を見る。ハーレクインは、嫌な予感がするとでも言いたげに眉を寄せた。

『ハーレクインが守ってくれるでしょ?』

 そう言うと、彼は頭を抱える。

「全く、ヘルブラムといい、君といい、しょうがない奴ら……!」

 そうしてうんうんと唸りだした。でも、ハーレクインは優しいから怒ったりしない。いつも私たちを許して守ってくれるんだ。それに、人間たちが私たちに変なことをするわけがない。ハーレクインの魔力を怖がっているんだから。人間たちが彼を“キング”と呼ぶのは、彼を恐れてのことだと聞いたことがある。なんだかおっかないことを言われているみたいだけど、私たちにとっての彼は、強くて優しい、自慢の王様だ。

「それで……その本は、何?」

 一転して、そわそわした様子で彼が聞く。口では『人間なんて』と言う彼だけど、本当は人間の文化に興味津々なのだ。そうじゃなきゃ、人間を真似て自作した服なんて着るはずがない。
 思った通りこの本にも興味を示してくれたみたいで、私は嬉しくなった。人間界にいくと、確かにハーレクインには叱られるけど、人間の話やこうしたお土産には喜んでくれる。(もちろん、表面上は取り繕おうとしているけど、そわそわしててとっても分かりやすいんだ)それが分かっているから、つい何度も人間界へ降りてしまうのは私だけじゃない。みんな、この素直じゃない王様の喜ぶ顔が見たくて仕方ないのだ。

『うーんとね、子供が読む“ドウワ”っていうお話なんだって。でも、私、字が読めなくて』
「なるほどね」

 ハーレクインは頷くと両手を広げた。

「おいで。オイラが読んであげる」

 それに従いキノコの上に降り立つと、足元がぽよんと揺れた。彼の膝の上に収まって本を開く。後ろからだっこされるような格好は少し恥ずかしかったけど、ハーレクインの匂いがしてくすぐったい気持ちになった。優しい、金木犀の匂い。

「ええーと、『赤ずきん』……これがタイトルかな?」

 一ページ目には可愛い女の子と、その子を木の陰から見詰める狼の姿が描かれていた。その繊細な絵に思わず見惚れていると、彼は穏やかに読み上げ始めた。

「むかしむかし、あるところに“赤ずきんちゃん”と呼ばれる女の子がいました――」

 語られたそのお話は、なんだか変な話だった。私が首をひねると、ハーレクインがおかしそうに笑う。

「どうかしたかい?」
『ううん、人間って変なこと考えるんだなぁって』
「変なことって?」

 私は頷いて、数ページ戻す。そこにはおばあさんの服を着て、おばあさんの振りをして赤ずきんをだます狼が描かれていた。

『だって、狼さん、おばあさんを丸呑みしちゃったんでしょ? 狼さんはわざわざ家の中を探して服を着たのかな?』

 確かに、動物たちは人間が思うよりよっぽど頭がいい。だから、人を騙しておちょくるなんて朝飯前だろう。でも、それにしたってお腹が減っただけの狼がこんな面倒なことはしないと思う。
 考えたことを率直に口に出すと、初めはきょとんとしていたハーレクインがお腹を抱えて笑いを噛み殺しだした。後ろでひぃひぃ言われると、あんまり気分は良くない。

『笑いすぎ!』
「ふふふ……ごめんごめん、そうくるとは思わなくて」

 ひとしきり笑ってから、

「それじゃあ、レンならどうするの?」

 そう優しく聞いてくる。私はここぞとばかりに胸をはって、

『赤ずきんの気をひきたいなら、赤ずきんが喜ぶようなものをあげたらいいんだよ。折角人間の服が着られるほど器用なんだから』

 そしたら無駄におばあちゃんも食べなくて済むし、と付け加える。
 彼は、そりゃそうだ、とやっぱり少し笑って、それから私の頭を撫でた。

「狼なんかより、レンの方がよっぽど上手だよ」

 優しげに細められた目と、髪に触れる温かい手と、優しい金木犀の香りに、私は胸がいっぱいになった。


   ***


 男たちの下卑た笑い声が、うっすらと聞こえる。目の前の檻の中でヘルブラムが何か叫んでいたが、もうあんまり聞き取れない。ただ、ヘルブラムが涙を流しているのは哀しいなぁと思った。
 こんな時に思い出すのが、あんなに幸せな時間だなんて、なんて皮肉だろう。私は馬鹿だ。自分で言った策と、まったく同じ手で騙されるだなんて。私は、私たちはただ、人間が好きなものを持って行っていいよと言うから、持ち帰ったら彼が喜ぶかもなんて考えてしまって、でも、奴らは。
 人間の手が、背中の羽にかかる。少しずつ引き剥がされていくそれは、私に途方もないほどの痛みと哀しみを与えた。

――いや。いたい。たすけて。

 思わず自分の口から零れる言葉が憎い。自分で招いたことなのに、私たちはいつも、いつも彼に頼ってしまう。私より前に羽をもがれた仲間もそうだった。情けなくて、自分たちに腹が立って、でも、どうしようもない。
 遠くから近づいてくる彼の気配をかすかに感じる。あぁ。来ちゃ駄目だ。来たら、この光景を見たら、あの優しい王様は哀しむに決まっている。そうして、どうして守れなかったのだと自身を責めるのだ。そうに決まっている。あぁ、私は大馬鹿者だ。喜ばせたかったのに、笑ってほしかったのに、出来ることならまた、頭を撫でて褒めて欲しかったのに。結局彼を哀しませてしまう。こんなに馬鹿な話は、人間にも思いつかないに違いない。
 お願い。ハーレクイン。どうか私たちの為に哀しまないで。どうか、自分を責めないで。私たちが願うのは、あなたの幸せ、ただそれだけなのだから。
 途切れる意識の最期に、あの、優しい香りがしたような、気がした。


狼さんより上手




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