陛下:狼さんより上手


いつもならこんな時間に外を歩くことなんてないし、こんな場所に来ることもない。


会社が終わってすぐに帰ろうと思っていたのに、同僚の友人に飲みに誘われた。まぁ早く帰ったところで特にやることもないし、明日は休みだしいいかと思い、わかったと返事をして一緒に会社を出た。会社から数個先の駅で降りて行ったのはごく普通の飲み屋だった。会社の話や休日の話をしながら飲んでいると、友人の携帯が鳴った。相手は彼氏からみたいだ。

「連ごめん!今から彼氏が家に来るって言ってて…」
『いいよ、気にしないで』

両手を合わせてごめん、と謝ってくる友人に、『いいよ、大丈夫だから』と言い『早く帰らないと彼氏が来ちゃうよ』と背中を押して鞄を持たせた。

「ほんとごめん!今度ランチおごるね!」

鞄を抱え直し、バタバタと出ていく友人を横目に私も鞄を持って、お会計をして店を出た。
そこまではよかったのだ。店を出てしばらく歩いても駅がない。道を間違えただろうか。今まで一度も降りたことのない駅だったのに、来るときも友人についてきただけだったのが悪かった。しかも、今目の前に広がっているネオン輝く通りはいかにもカップルでどうぞといった感じだ。もう最悪だ…もう一度さっきのお店の方へ戻ろうかと思っていたとき、ばっちり見てしまった。今まさに見知らぬ女と仲良く腕を組んで、ホテルから出てきた私の彼氏の姿を。しかもしっかり目まで合ってしまった。

「連…連!!」

彼が私の名前を呼んでいたけれど、構わず走った。ヒールがコンクリートに引っ掛かり、何度も転びそうになりながらも走った。どれくらい走ったか自分でもわからない。足が疲れたし、ここがどこだかわからない。本当にもううんざりだ。
先程のネオン街とはうって変わって辺りは暗く静かだった。とりあえずどこかの店で休もう。そう思い数分歩くと、地下に続くひっそりとした階段を見つけた。バーのようだが見るからに怪しい。しかし、この先に他に店があるかどうかもわからない。そう考えゆっくりと階段を下りていった。
カランカランと音をたててドアを開き、中の様子を伺う。クラシックな音楽が流れる店内には二、三人の人が座っていた。静かにドアを閉め、カウンターの隅に腰かけた。

「いらっしゃいませ。見ない顔ですね…初めてですか?」
『あっ、はい。もしかして会員制とかでしたか?』
「いいえ、大丈夫ですよ。何かお飲みになりますか?」

ひっそりとした、大人の秘密基地的なバーなので会員制だったらどうしようかと思ってしまった。とりあえず何か頼まなきゃ。でもカクテルとか詳しくないし…

「マスター、XYZを」

何にしようか。マスターの後ろにずらりと並べられたお酒たちを眺めながら考えていると、二つの隣の席に座っていた男の人がマスターに注文した。マスターは後ろからいくつかお酒を取り、シェイカーへと手際よく入れていく。あまりにもスマートな動きに思わず見入ってしまった。できたお酒をグラスへと注ぎ、スッと私の前に出してきた。

『あの、これ…』

なんで私の前に出されたのか、マスターと隣の男の人を交互に見る。マスターは笑顔で、男の人はクックッと笑いを噛み締めていた。

「俺からのプレゼントだ。気にせず飲め」

男の人は自分のグラスを持ち、私の隣の席に移動してきた。近くで見るとすごくかっこいい人だ。

「XYZ。失恋したときのカクテルだ。」
『えっ…』

失恋という単語に過剰に反応してしまった。初対面な上にまだ何も話していないのに、そんなに顔に出ていただろうか。

「こんな時間にこんな場所へ来るくらいだ。何かあったことはすぐわかる」

彼は至って真面目に私のことを分析し、お酒を飲むように勧めてくる。『いただきます』と小さく呟いて、口をつけた。

『おいしい』

走って疲れていたからか、体にぱっとアルコールが回った気がしたけれど素直においしかった。

「それはよかった。俺はダンテだ。お嬢様ちゃん、名前は?」
『連です…』
「連…で、何でこんな時間にこんなところに?」

たまたまバーで近くに座っていただけの人に名前を名乗るのもなんだか不思議な気がしたが、彼ならいいかとなぜか思ってしまった。
それから今さっきの出来事を彼に話した。その間に何杯お酒を飲んだのか全く覚えていない。私のグラスが空になりそうになったら、彼が飲みやすいものをマスターに頼んでくれた。彼は私を茶化すことなく、真面目に話を聞いてくれた。だからか彼に店を出ようと言われたとき、何の躊躇いもなく頷いた。もう終電なんてとっくにない時間だったし、ここからタクシーで家に帰るにはあまりにも距離がありすぎた。バーを出てしばらく歩いてホテルへ入った。もうここまできたら、いくらお酒が入っているとはいえ、この後の展開は容易に想像できた。部屋に入ったら彼はベッドに寝転び、私にシャワーを浴びてきたらどうかと促した。彼の言葉に従い、部屋に置いてあったバスローブを持って脱衣場へ向かった。熱いシャワーを頭から浴びたら少しすっきりした。

『ダンテさん、シャワー終わりましたよ』

ベッドに転がっている彼の背中を叩き、声をかけた。グルリとこちら側に寝返りをうった彼は、私の腕を引っ張りベッドへと引きずりこんだ。

「じゃあもう寝ろ」

そう言って彼は私を抱き枕にして寝始めようとしていた。いや、待って。ここまできて!お酒でほろ酔い気分になった男女二人!しかもここホテル!

『ダ、ダンテさん…寝るの?このまま』
「今日は色々あって疲れてるだろ。寝て起きたらすっきりするさ。それに傷心の酔ったお嬢ちゃんを襲うなんて…そんな安い男に見られたくないしな」

彼は笑いながらゆっくりとした動作で私の頭を撫でた。心地いい。お酒は弱い方ではないと思っていたけど、さすがに今日は酔っているのかもしれない。彼に全てを忘れさせてほしいと思ってる自分がなんだか怖い。

『ダンテさん、お願い。忘れさせてよ…今日だけでいいから』

自分はこんなに安い女だっただろうか。もう何も考えられないし涙も止まらない。泣きながら彼の胸にすがって懇願した。

『お願い…今だけでいいから…』
「参ったな。俺は女の涙に弱いんだ」

ダンテさんは私の涙を優しく拭ってくれた。そして、もう何も考えられない私の体はシーツの波に溺れていった。


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