19. やり残したこと
やり残したことがある。そう言って千里は夜に私を呼び出した。
それは、夜風が爽やかな、ある夏の終わりのことだった。
千里に手を引かれ、私は人通りのない道を歩く。
「どこに行くの?」
そう聞けば、彼はゆっくり振り向いて
「内緒」
と悪戯に微笑む。どうやら、着くまでのお楽しみらしい。
不安半分、期待半分。私は彼の背中を見つめながら歩き続けた。
彼に誘われ行き着いた先は――神社だった。
聞こえる音と言えば、私たちが地面を踏み歩く音と、微かに聞こえる虫の声。そして、さわさわと風に揺れる木々の音だけだった。
「ねぇ千里。どうして、こんなとこに…?」
疑問を率直に述べてみた。すると彼は私の頭をそっと撫でながら
「ね、連。線香花火せん?」
そう聞いてきた。…答えになってない。
けれど、彼があまりにも優しくて切ない顔をするから…それ以上深く追求することはしなかった。
「線香花火…?」
「そ、線香花火」
彼は、小さな鞄から線香花火の束をちらつかせた。こんなにいっぱいどうしたの?と聞けば、テニス部の打ち上げで余ったものを譲り受けたものだ言う。
「だけん、ただするのはつまらんと。ちょいとゲームせんね?」
「線香花火で、ゲームなんて出来るの…?」
想像がつかず、私は彼に怪訝な顔を向けた。
「うんにゃ。花火の火を相手より長く持たせた方の勝ち、先に落とした方が負けたい。勝ったら相手に何でも質問出来る。負けたら相手の質問に必ず答える……な、簡単っちゃろ?」
一頻り説明を終えると、首を傾げ、私の顔を覗き込んでくる。それが彼の望みなら…私が断る理由は、何もなかった。こくり、と頷けば、彼はありがとう、と微笑んで額に口付けを落とした。
「まずは俺の勝ちばい」
一回目の勝負は、千里の圧勝。私は手の震えを止められずに点火早々火玉を落とした。
未だ、千里が持つ線香花火はぱちぱちと綺麗に爆ぜていた。顔をちらりと覗き見れば、勝ち誇ったような表情をしていた。それはまるで大きな子供のようで、何だかとても可愛らしい。
「うー…悔しい…何?」
「スリーサイズ…」
彼は、ぼそりと呟いた。
「スリーサイズ、教えてくれん?」
「はぁ?何言って「何でも答えるっちゅーんがこんゲームのルールち、言ったばい」
前言撤回。彼の勝ち誇った顔が、今はとても憎らしい…。
「………82、61、79…」
恥ずかしくて、私は顔を背けた。
そんな私を見て千里はくすり、と微笑み、ぽんぽんと頭に触れる。
「…よく出来ました」
それから、私たちは黙々と花火に花を咲かせる。
花を咲かせては、互いの知らなかった部分を理解して。共感して。事に依っては異を唱えて。それが、私にはとても心地良かった。彼とこんなにもゆっくりと、落ち着いて話せたのは何時振りだろうか。ふと手元を見ると、あんなにあった線香花火はもう残り4本となっていた。
もう何度目の勝負だろうか――今度は私が勝利した。
残数ももうない…私は、意を決してずっと喉奥で閊えていた質問を投げ掛けることにした。
「ねぇ千里。熊本に帰るって本当なの…?」
私からその話題が出るとは夢にも思わなかったのか、千里が大きく目を見開いた。
「………誰から聞いたとね」
「…金ちゃん」
「たはぁ…金ちゃん口が軽かぁ」
千里は参ったな、とでも言うように大きな溜め息を吐き、大きな手で目元を覆う。
彼のその反応が、疑惑を確信へと変えていく…どくどくと、早く脈打つ感覚が不安感を煽る。
「じゃあ…本当に」
「うんにゃ、そうたい。卒業したら熊本の高校に進学すると」
彼の答えが真実でも。それを、信じたくはなかった。
「そっか…そう…なんだ…」
消え入るような、掠れた声で…やっとのことで答えた。目頭が熱い。それを察してくれたのか、彼は私の肩を抱き寄せ、優しく優しく髪に触れた。
「最後、ばい…」
その言葉に促されて地面を見遣る。ぽつりと残った2本がとても物悲しく見えた。
それを1本ずつ手に取り、蝋燭の火に翳した。琥珀色の火花が闇夜にきらきらと輝く。
軽やかに爆ぜる音が妙に切ない。
お互い、長い間健闘したが、私の方が先に地面に落ちた。
千里からの、最後の質問を待つ。どきどきと、いやに鼓動が高まる。
彼は心なしか平生より気張った顔をしていた。
「美幸…聞いても、よか?」
「何でも聞いて、何でも答えるのがルールなんでしょ?いいよ、言って?」
私の答えを聞いて安心したのか、顔に微かに安堵の色が見えた。
すう、と深呼吸をひとつし、彼は真っ直ぐと私の顔を見据え、言葉を紡ぐ。
「俺と、一緒に熊本に来てほしか…連と離れたくなか」
「っ…」
「…俺ん我儘で連振り回しとう……返事は今じゃなくてよかけん」
考えるよりも先に言葉が出る。
「私も…私も!千里と離れたくない…!一緒に、行きたい…!」
「…っ、連…ありがとう…」
そう言って千里は私を強く抱き寄せた。それに応え私も強く抱き締める。
やっと離れて彼を見つめると、嬉しそうに顔を綻ばせて笑っていた。つられて私も涙を浮かべながらくしゃりと笑う。そんな私の目尻の涙をそっと拭い、彼は唇を重ねた。