11.「暑い暑い」「じゃあ離れれば?」

部屋の中だというのに、首筋からつぅ、と汗が滴り落ちる。
日差しは防げているものの、気温はさながら外にいるようなものだった。


彼、千里の部屋の空調は壊れてしまっているらしく、今はうんともすんとも言わない。
代替品として扇風機を使用しているが、猛暑と謳われるこの日に、扇風機の風如きでは涼しくなれるはずも無く。妙に生暖かい風を送ってくれるだけだった。

「暑いー…暑いばーい…」

消え入りそうな声で千里は呟く。
しかし、その言葉とは裏腹に、後ろから私に絡ませた腕を離そうとはしない。

「…じゃあ離れれば?」

彼の矛盾した態度に若干の苛つきを覚え、思わずぴしゃりと言い放ってしまう。

「連のにくじー…」

そう言って千里は顔をぐっと私の肩に近付け、膨れ顔を見せる。

「暑いなら離れればいいでしょ。わざわざくっつかないでよ、私も暑いのー」

千里とこうやって触れ合っていられるのは、嬉しい。
それでも、この状況下では勘弁してもらいたかった。自分の汗がすごく気になる…。

「そぎゃんこつ言わんでも…」

千里はあからさまにしゅん、と俯く。ああもう…可愛い。大柄なくせしてそんな表情しないで。

「ダメなものはダーメ!」

そう言いながら、私は半ば無理矢理千里を引き剥がす。体格の良い彼を離すのには少し骨が折れた。ふっと後ろを見れば、千里は大きな身体で膝を丸めてうずくまっている。どうやらいじけているようだった。嗚呼どうしよう言い過ぎたかな…そう考え倦ねていると、

「…俺がどぎゃん連のこつ好いとうか、わからんと?」

千里がとつとつと、言葉を紡ぎ始めた。

「たいぎゃ暑かばってん、おまんと離れたくなか」

そう言うと、千里は俯いていた顔を上げ、真っ直ぐ私の瞳を射抜く。
その瞳は何時になく真剣で。どきり、と胸が高鳴る。

「連は、俺とおんなじ気持ちじゃなかと…?とぜんなかよ…」

彼は、そう言ってとても悲しそうな瞳を向ける。彼を不安にさせるつもりはなかったのに。

「そ、そんなこと言わないで千里。さっきは私も言い過ぎたから」

あまりにも寂しげな千里の顔をもう見たくなくて、考えるよりも先に言葉が出ていた。

「ほんに?」

ぱぁ、と彼の顔が明るくなる。

「うん…私も、千里と同じ。好きだし、一緒にいたいけど…今は、嫌。汗掻いてるし…涼しいとこでなら、いいよ」

私の言葉を聞いて安心したのか、彼はにこやかにありがつ、と言って私を抱き寄せ優しく頭を撫でてくれた。千里の腕の中は安心する。暑くなければいつまでもその中に収まっていたい。

「…そぎゃんこつ言うちょっても」

まだ納得がいかないのか、千里は少しだけ不貞腐れたように、私の耳元でぼそりと呟き始める。

「昨日は熱帯夜だっち、あぎゃん俺んこつぎゅうぎゅう締め付けて離さんかったんに」

彼の言葉を聞き、昨夜の事を思い出し羞恥心で身体はわなわなと震え、みるみるうちに全身が上気する。
図星を突かれ居たたまれなくなった気持ちを紛らわしたくて、気付いた時には、彼の身体をぽかぽかと容赦なく叩いていた。

「あいっ、たたた!連!やめなっせ…!」
「ほんっとに千里デリカシーなさすぎ!馬鹿!最低!」
「せからしかー…」

頭をぼりぼりと掻きながら、苦笑混じりに呟く。そして、いつまでも叩く私の手をぎゅっと握り締め制止させた。びくり、と身体が強張る。

「ばってん、おごった連もむぞらしかよ」

そう甘く囁き、千里は恭しく手の甲に唇を落とした。

「そんなこと言っても…嬉しくなんか…ないんだから…」

言葉とは裏腹に、内心では彼の行動にどきどきと胸をときめかせていた。
そんな私を愛おしげに見遣り、彼はおもむろに切り返す。

「なぁ、連。涼しとしゃが、ひっついてもよかと?」

彼の問いに、私はこくり、と頷くことで応えた。

「んじゃ、今から出掛けんね?」
「えっ、今から?何処に…?」

急な誘いに思わず聞き返す。

「うんにゃ。そぎゃん勿論…」

そう言いながら、彼は今まで重く上がらなかった腰を軽々と上げた。

「2人きりで涼しめる場所」

立ち上がった彼は、指を唇に添え、悪戯を考えた子供のような無邪気な顔で私を見下ろす。

「俺と一緒に探しに行かんね?」

そう言って、千里は満面の笑みでこちらを見遣り、そっと手を差し出す。
今よりも涼しむことが、千里と気兼ねなく触れ合うことが出来るなら…と私は彼の手を取った。





逃避行 


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