○ (後編)

二人だけの橙色の教室で、日誌を書くために二つの机を繋げて隣り合って座る。
絶えない話題に時間ばかりが過ぎて行く中、日誌を書く手が全く動いていないことに連は気づいた。

『あ、名前書くとこ、私書いちゃっていい?』
「うん、いいよ。すっかり話し込んじゃったね」
『佐伯君とこんなに話したこと無かったから、楽しかったよ!』
「俺も田中さんと話せてよかった」

シャープペンを持ったは良いものの、なかなか手が進まない連を不思議に思い、佐伯は日誌を覗きこむ。
連は急に距離が近くなったことに驚きつつ、なんとか平常心を保ちながら日直者記入欄を指さした。

『……サエキの“エキ”って人べんだっけ』

「うん、そうだよ。どうしたの、ド忘れしちゃった?」
『ご、ごめん』

申し訳なさそうに肩を竦める連が怯えた仔犬の様に見えた佐伯は、くすくすと笑って彼女を許した。
日直者の欄に「佐伯・田中」と書かれたことを確認して彼はしばらく次々文字で埋まっていく日誌を見つめた。
そしてふといつか小耳に挟んだクラスの女子たちの会話を思い出し、心の中で自分の苗字と彼女の名前を繋げて何度か唱えてみる。

(うん、語呂も悪くない)

「将来使うかもしれない苗字だからちゃんと覚えておいてね」
『……え? ど、どういうこと?』

佐伯の言った言葉の意味が理解できていない連は、ただひたすらにその言葉を心の中で復唱した。
そしてしばらくそれを繰り返していると、彼の言った言葉が誤解を招きかねない意味でも捉えられることに気付いた。

『さ、佐伯君はさ……その、そういうことは色んな女の子に言ってるの?』
「え、いや、あの、どういうことかな」
『なんかその、無闇やたらに使わないほうがいいと思うよ。誤解されちゃうよ!』

彼は「将来“伯”ってつく人と結婚するかもしれないから、この漢字は覚えておいたほうがいいよ」という意味で言ったにちがいない。ただ、あの言い方では佐伯君に夢見る女の子たちが違う意味に捉えてしまって、佐伯君が昼ドラ宜しく大変なことに巻き込まれてしまうかもしれない、と危惧した連はお節介ながらも佐伯に忠告した。

しかし、言われたの本人は呆気に取られ、どうしてそのようなことを言われたのか理解できていなかった。


「誤解……そうか、そうだよね」
『うん、佐伯君モテるから……』

やっぱりはっきり言わないとだめだよね、佐伯はそう言って一度大きく深呼吸をした。

「俺さ、田中さんのこと好きになっちゃったんだけど、もし、俺でよかったら、……付き合ってくれないかな」


夕日は彼らを紅く染めていた。
突然の出来事に脳の処理が追い付いていないのか、連は口元を手で隠し、なるべく佐伯を見ないように目を泳がせる。
彼女はみるみる速くなっていく鼓動を感じながらその場凌ぎの言葉を紡いだ。

『あ、あの、えっと……』


――連にとって佐伯は憧れの存在だった。
高嶺の花だと思って諦めかけた瞬間に、その憧れが心恋であったことに彼女は気付いた。
せめて彼との数少ない会話を思い出に中学校を卒業しようと自分を納得させ、待ちに待った今日を迎えたのだ。
しかし連も予想していなかった幸運に、未だ夢幻を見ているようで半信半疑にならざるを得なかった。

「どう、かな……?」

連は沸騰しそうな顔の熱さと緊張で声が上手く出せずに、浅い呼吸を繰り返す。
しかしそれでも、答えは決まっていた。
なんて言おうか、どういう言葉で自分の想いを伝えようか、どうしたらこの想いが伝えられるだろうか、酸欠気味の脳内でぐるぐると回る。

しばらくして、目を少し潤ませながら、彼女はそっと顔を上げ佐伯を見つめる。
目眩を起こしそうな顔の火照りの中、連はまだ少し震える手でペンを握り、耐えがたいこの沈黙の間をなんとか埋めるように日誌内の未記入欄へとペンを走らせた。


『あのね、私……』


――今日は雲ひとつ無い快晴だった。




(テニプリキャラ)
2014/02/19

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