13. 二人で花火もオツなもの

誰もいないはずの自宅の玄関から三味線の音色が聞こえてくる――。

鍵を開けると、連の物ではない草履が揃えて置かれており、それを見た連は何となく察しがついた。
玄関先に「本日休業」を告げる看板を立て、戸を締め鍵を掛ける。
家内に入り、町で買ってきた物を各々の場所に仕舞うと三味線の音に導かれるように座敷に足を進めた。

『一体どこから入ったのかしら、ねえ。……高杉』
「戸締まりはちゃんとした方がいいぜ、売れっこ遊女サン」

三味線を奏でる手を止め、ゆっくりとその男は振り返った。
葡萄色の着流しから見える肌にはうっすらと汗が吹き出している。
男――高杉晋助は座敷の壁に掛けられていた連の三味線を手元に置き、糸巻を回し調弦している。
時折、ベン、ベン、と音を確認する。

連は冷蔵庫に冷やしてある日本酒――獺祭を取りに行き、昼食の残りの塩で煮た魚を皿に乗せて座敷に運ぶ。

『今日ね、隅田川で花火大会なんだって。場所取りの人でたくさんだったよ』

連は高杉の隣に腰を下ろし、窓から薄暗くなり始めた空を見上げる。
ああそうだ、と床の間に置いてある蚊取り線香に火を付け、団扇で調弦している高杉を仰いでやる。
高杉が三味線を一度畳の上に置き、猪口を持ったのを確認して連は酒を注いだ。

「花火が上がる日に休業ったァ、分かってねー女だな」
『分かってるよう、稼ぎどきだってことくらい。でも月のものが来てるんだから仕方ないでしょ』
「孕まねェんだから構わねーだろ」
『変態ね、高杉。……あ、知ってた』

連の悪態に「フッ」と失笑し、目を閉じた後に喉の奥をクククと鳴らした高杉は左腕を伸ばし連の肩を抱き寄せた。
獺祭の小瓶を持ったままの連は
『零れたらどうするの!』
と、高杉を睨んだが彼は物怖じもせずに隻眼を細め、連の口を吸った。
連は高杉の胸を押して抵抗すると、彼はすっと離れ何事もなかったかのように猪口に入った獺祭を喉に流す。

「可愛くねー女」

その時、真夏の夜空に光が差した。
大きな爆発音が次々と耳に届き、大輪の花が咲く。

『意外とここからでも見えるんだね』
「てめェの家だろうが」
『ほら、いつもお客さんの相手してるからさ。花火大会の日は凄いんだよ? お客さんが奮発して屋形船とか取ってくれるの!』

そう連が言うと、高杉は手を伸ばし連の頬を抓る。
彼の表情は変わらない(通常の無表情)だが、連は彼が些か不機嫌であると感じ取った。
痛い痛い、と声を荒らげる彼女に目も向けず高杉はただ空に咲く花を見続ける。
やっと解放された頬を撫でながら連も空を見やる。

音が鳴る、閃光が走る、花が咲く。
どこからか「たまやー、かぎやー」と声が上がる。

先ほど調弦を終わらせた三味線を顎で指しながら、
「おい、折角俺が調弦してやったんだから弾けよ」
と、高杉は連の手から小瓶を奪い自身の酒器に注ぐ。

連は三味線を構え、撥を手に取る。
適当に音を鳴らす。その後、浮かんだ端歌を奏でるが歌詞が思い浮かばない。
何度も何度も三味線だけの音が繰り返し弾かれる。

音が鳴る、閃光が走る、三味線が鳴き、花が咲く。

「唄えよ」
『晋助唄って。思い浮かばない』

すると「職務放棄もいいところだな」と皮肉を垂れ、高杉は猪口内の酒を飲み干し息を吸った。
地声より少しだけ高い音程の声が三味線に被せられる。
唄い終えると高杉は満足気に口元を歪ませた。連も手を止め彼の肩に寄り掛かる。

窓の外では一際大きな花が咲いた。
終わりを告げる大輪、どこからか拍手が聞こえてくる。

『なかなかにオツなものですねえ』
「暑い、離れろ」
『さっきの歌の歌い手とは思えないね、何あんた、二重人格?』
「……馬鹿か」

そう言って男は女の首筋に噛み付いた。


  



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獺祭→山口県の地酒




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