○ (前編)

「チョーク足りないから用務室に行ってくるね」
『ありがとう、佐伯君』

橙色の夕日が窓から差し込み、佐伯少年の顔を照す。
本日の日直である佐伯と連は教室に残り雑務を片付けていた。
昼間はクラスメイトの話し声や笑い声で煩いほどだった教室内は静まり返り、第一グラウンドからの野球部の掛け声や、テニスコートからのボールを打つ心地よい音が聞こえている。

(佐伯君、やっぱりかっこいいなあ……)

容姿端麗で性格も誠実、所属するテニス部では優秀な成績を収め、副部長を務める佐伯虎次郎はクラスメイトはおろか生徒会副会長を兼任しているため学校内でも人気を集めていた。
しかし本人はそれを鼻に掛けるわけでもなく、「応援してくれる人が多いのは嬉しい」と純粋に喜んでいることも人気を集める要因として挙げられる。

六時限目の古典の板書を消しつつ、明日の日直の名前を記入する。
クリーナーの掃除機のような吸引音が鳴り止む頃、廊下からすたすたと歩く上履きの音が徐々に近づき、やがてC組の教室の前で止まった。

「ただいま。チョーク貰ってきたよ」
『お、おかえり佐伯君! ありがとう』
「あとは日誌だけ?」
『うん、あとは私がやっておくから佐伯君は部活行っていいよ、大事な試合が近いんでしょ?』


連は自分の席に座り、学級日誌を書いていた。
苦手な数学から一日を始めなければならない木曜日は朝から憂鬱だった連だが、今日ばかりは少しそれが和らいでいた。
何の縁か、学校内の注目の的である佐伯虎次郎と日直という名目でいつもより会話の数が増えるからだ。

しかし、名残惜しくもその幸せな一日が終わろうとしていた。


「ありがとう。でも、テニス部だからって特別扱いされるのはなんだか悪いな。だから気にしなくていいよ」
『そ、そっか……! そうだよね、ごめん』
「……それとも早く俺と離れたい?」
『ち、ちがうよ!』

冗談だよ、と佐伯は顔を真っ赤にして否定する連に笑いかけた。

「今日は個人練習で練習時間が短い日なんだ。だからもともと部活は休む気でいたから、時間は気にしなくていいよ」
『へー、意外だね。テニス部は朝から晩まで猛練習しているんだとばかり……』
「他の学校はそうかもしれないけど、うちはそんなにギチギチしてないんだ。海とか行くしね」
『そうなの?』
「そうそう。潮干狩りして蛤とか焼いて食べたりもするんだ」


佐伯は今まであまり親しく話していなかった連との何気ない会話に、心地良さを感じていた。
女子に対しては聞き手に回る方が多かった彼だが、今は自分のことを積極的に話したくてたまらなかった。

「それでね、剣太郎が……あ、剣太郎ってのは部長なんだ。一年生だけど」
『一年生なのに部長やってるの? すごいね、テニス部仲いいんだね』
「うん。その剣太郎が女の子にモテたいってうるさくてね、それで……」

彼はふと連の顔を盗み見る。
夕日に照らされた連は昼間の教室で見るのとはまた違う雰囲気を醸し出していた。
佐伯はもう少し彼女を顔を見ていたいと思った。
ころころと変わる表情と、心地よい声音をもっと感じていたいと思った。

相槌を打つ連は、呆れることなく佐伯の話を聞いており、時折り問い返せば佐伯は快く返答する。

二人は純粋に会話を楽しんでいた。



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