透明人間


はっ、と意識が戻る。自分で自分の顔を触ってみる。輪郭はある、中央に鼻もある。ほっ、と息を吐いた。僕には家がない。自分の名前もない、家族の顔も思い出せない、自分の色もない。それでも確かに今日も僕は存在していた。空を見上げる。満天の星空に雲隠れするお月さま。そう、いつも決まって、僕は真夜中の墓地に裸で立っていた。どうしてなのか、僕もしらない。寒い、とかは感じない。ああちょっと風が当たっているなって感じ。

その場から離れる。ふらり、街に出た。街は廃れているようで、疎らに灯りがともっている。人気もなく、どこかくすんで見える風景。かつては人で賑わっていたであろう道を歩く。人がいなければ店もおろされ、街灯すらない。ああ、それでもここは存在している。薄ぼんやりと灯る、小さな店を見つけた。見知らぬ宝石店。自然と爪先が向かっていた。光に集るハエのような気分にもなった、けれどもそれは僕の気持ちが存在していることを証明する。

宝石店のショーウィンドウに両手をついて自分を見ようとした。けれども、やっぱり映らない。こうして裸で歩いていることに抵抗していたのはいつだっただろうか。誰も、僕にも見えない己の存在。どうゆう訳なのかわからない。でも、これはこれで受けとめないといけない。溜め息さえも空気に溶けていった。

なに感傷的になっているんだろ、いまさら馬鹿みたい。一歩、歩きだしたら空き缶が足元に転がっていた。ああ僕は、この空き缶よりも存在感がないんだよな、と唐突に思う。きゅう、と胸が狭くなって、言葉にならないくらいむしゃくしゃして、近くの路地に向かって空き缶を蹴飛ばした。肩を落とす。そしたら、想像していたのと違う衝撃音、声、そうして地面に転がった音。静止。誰かに当たった事実。思わず鳥肌がたった。恐怖で足がすくむ。

闇の中からのそり、と頭を押さえた男が出てきた。蹴飛ばした空き缶が奇形して男の手の中にあった。目を疑った。男に近づく。男は辺りあちこちに目配せをしている。自分はこの人にも、見えていない。あの空き缶よりも存在感がない。

僕の存在意義はなんだ。

価値はなんだ。理由はなんだ。そもそも、そんなものが、あるのか。僕は、存在して、いるのか。急に込み上げていた存在への疑問。寂しかった。哀しかった。けれども、ここまで深く考えないようにしていた。だって、考えたらもっと悲しくなるから。

男は舌打ちをして腕をだらりと下げた。自分の首も下がる。ああ、存在、意義。自分に歩むべき道のりなんてなかった。前も後ろもいない。誰もいない。自分の死に方すらわからない。顔を上げた。その男の人と目が、合う。けれどもあっちは気付いていないだろう。こんな吐息がかかる距離でいるのに。

侘しい。

おもいっきり抱き締めてもらいたい。その衝動にかられた。けれども僕は誰にも見られないし、体温を分かち合い、楽しむこともできない。空き缶、以下。だってあの空き缶は手の中で、どんな姿であろうとも存在し、構ってもらえるのだから。

空き缶に嫉妬するだなんて、切ない溜め息が自棄に自分に似合っていた。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -