大概にアホで呆れる
「なあ、お前アホなの?」
季節の変わり目は単純に数えれば四つだけなのだがもっと細かく数えたら軽く十はいくと思う。四季の中でも雨期もあるし、風が強い時期もある。一筋縄ではいかない天気ばっかりだから、そう思う。でもそんなの今はどうでもいい。
風邪を引いた。
その変化に上手く対応しきれなかった間抜けがここに約一名。まあ、俺なんだけど。その見舞いに来てくれた友人も大概にアホで呆れる。
倦怠感。喉に違和感。悪寒。重たい頭痛。完璧に風邪菌にやられてしまった。季節外れなどではなく、季節を先取りしすぎた格好をしていた俺が悪い。自分を甘く見ていたよ。雪が溶けたらゴワゴワとした服を着なくてもいいし靴だって軽くなる。ラフなスタイルでいられる。それに雪が溶けたら何といったって行動範囲が広くなる事だ。雪道ほど時間のかかるものはないだろう。それに外を出歩く時間も必然的に多くなり、過ごす時間も長くなる。いいことだ。そんな日も後少しで訪れると思っていた矢先で、こうだ。
「失礼な奴だなー、こうしてわざわざ見舞いに来てやったんだぜ?普通、風邪で遊ぶの断った奴の見舞いなんて来ないだろ?」
そこで敢えて俺は来た、とかなんとか、ちょっと恩着せがましく言うもんだから腹が立つことこの上ない。というか言葉の端々がいちいちムカつく。それで発言が、やっぱり、アホだ。
せっかくの春休み。共働きの親がいない家で、風邪なんかくだらないヤツにやられてしまった俺は、ゆっくり、静かに寝ていようと思っていたら、コイツがダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んでコンビニ袋をぶら下げてやってきた。コンビニついでに立ち寄った感が半端ない。
思いもよらない訪問者を突き返そうとする前にコイツは図々しくも内側から玄関に鍵をかけて家に上がり込み「おいこら病人、お前は大人しく寝てろ」なんて言いながらちゃっかりコイツも俺の部屋まで来やがって寛いでやがる。
今は俺が横たわっているベッドに寄り添ってマンガを読んでいる。時折「ふっ」と笑うものだから気味が悪いったらありゃしない。
頭が痛いから本当は何も考えたくもないのに、見舞いという建前でこうして俺の安眠を妨害してくるんだからたまったもんじゃない。
「なぁ、まじ帰れってー」
「俺の心配はするなー馬鹿だから!」
「存在が煩い、邪魔、目障り」
「なにそれただの悪口じゃん!」
あー、そうだよ悪口だよ。病気でやられて弱っている俺の今お前に唯一対抗出来る武器だよ。毛の長いふわふわとした女の子が好きそうな手触りの毛布がかけられていたので、モゾモゾと隠れるように顔を埋めた。
「あっ、そーいやお見舞いに買ってきたんだった」
すっかり忘れてた、とかなんとかごちゃごちゃ言いながら学習机に置かれたコンビニ袋の中をあさりだした。実はずうっとそうだと思っていた。だからこそ敢えてそれには触れずにやり過ごしてきた。
がさがさ煩い音に「んだよ、うるせぇなー」なんて口では文句を言いつつも内心にやけが止まらないのもしかり。熱がないから温かいものが欲しいな、なんて思っていたら「じゃじゃーん」とか意味不明な効果音を言いながら取り出したものがなんだったかって。
「レモンスカッシュ!」
「…………」
しかもソイツの手には二本ある。まさか、そう、そのまさか。病人への見舞いの品がレモンスカッシュ。しかもそれだけ。ご苦労なこった。俺は必要以上に何も言いたくなかったので、また毛布で顔を隠して壁と向き合いソイツに背を向けた。
「えっ、なになに、具合悪いか?」
そんな俺の姿を急に心配しだして肩を揺さ振ってくる。なにコイツ。優しいとか気持ち、悪い。
今日遊ぶのを断って、俺はずっと部屋で寝ていたというのに、コイツは何を心配しているのだと思った。まあ、風邪引いて寝込んでるる友達の家に上がり込んでマンガなんか読んでお見舞いにってレモンスカッシュ買ってくるような馬鹿でアホなヤツだからなんだろうけど、なんか、なんか、違う。
「おれ、風邪引いてんだけど…」
「ああそうか、分かった分かった」
薄っぺらな返事。もう何も分かっていない。手の平の暖かな体温が伝わってくるから、ずっとそうしていてほしいな、とか思ったけど、相手が相手だからこれは俺の中で勘違いしているんだろうな、と分かった。
「まあ、これでビタミンを摂って、炭酸の刺激で風邪菌を殺せよ」
まったく意味の分からない事を言って、ソイツは独特の笑いをした。
そうして、やっぱり体温は離れていって、その時に俺の中でスゥと何かが持っていかれたような感覚になった。まだちょっと、そうしていて欲しかったな、と口には出さず寝返りをしてソイツを見た。
「なにそれ、意味わかんねぇよ」
「飲むか?冷たくていいぞー
「冷たいなら…いい」
「なにそれ、じゃ置いとくなー」
俺にと買って来てくれたレモンスカッシュは机に置かれたみたいで、ゴトッと堅い音がした。なんだ、この空間。なるべくソイツを見ないよう、壁や天井を見て気を散らす。それからしてアイツがレモンスカッシュを喉に通している音だけが響いていて、意識がぼやける。
「……お前、いつ帰るんだよ」
「ああ、もう帰るよ」
「えっ……」
「俺が居たらゆっくり出来ないだろ」
そういって、ダウンジャケットを羽織りだしたアイツ。その一連の動作が、おそい。どうゆうわけか、腑に落ちない感情が生まれ、まだ行かないでと、駄々をこねるように泣き出した。
帰れって、言い過ぎたか。
本当にせっかく来てくれたのに。
「………」
「まあ、ゆっくり休んどけ」
「……うるっせ」
「季節の風邪ならすぐ治るし」
着終わって振り向いたソイツと顔を合わせるのがこっ恥ずかしくなって、眼球だけを下におろした。毛布の中でモゴモゴと足をこねらせて、引き留めたい気持ちをうやむやにする。だって、コイツだぜ。
「はやく元気なれよー」
うりゃー、とか言って、俺の髪をぐしゃぐしゃにして、碌な抵抗なんか出来ずに目を瞑って耐えた。頭、あったかい。でも、嫌いだ。
「やめ、ろっ…て!」
「おっ、ちょっと元気になったか」
「うるっせーなぁ」
「はいはい、帰りますよーだ」
悪態を吐いていた自分とは別人みたいな、風邪を引いた時だけな感情みたいなものが全身を駆け巡っている。出て行こうとする背中を追い掛けようとベッドから足を出したら「あーそんなのいいから、病人は寝た寝た」と言ってソイツは、部屋に俺だけを残して、「じゃーな」と行ってしまった。
俺はポカンと、取り残されて、ここは俺だけの部屋で、常にここは俺だけで、たまにアイツが来るだけなのだが、でもいつもその時には思わない感情が騒ついた。有り得ない、それは信じがたい心の声で、それを塞ぎこもうと、毛布の中に逃げた。
もうちょっと、居てほしい、なんて。
モワンとする毛布の中、ぐわんぐわんと揺れる思考はやや乙女気味で、頭が可笑しくなったようだ。道理で頭痛がするわけだ。なるほど、いや違う。違わない。
どれくらいそうしていたのだろうか。不毛な事を考え、頭痛を覚えた身体は睡魔の甘い罠にハマり、気付いたら太陽がオレンジ色に変化していた。
ガバリ、と起き上がってみたが、特に何にもない。枕元にあるスマートフォンの画面を指で撫でてみても、何もなかった。
「………」
アイツから心配の連絡が無かっただけで、ちょっと、寂しくなった、気になった。そんな自分に動揺。空気が薄い空間でパクパクと呼吸をすれば鼓動は早まりを見せて、ドッドッド、と血が全身に脈を打ちながら駆け巡っていることが伝わる。熱も出てきたのか。
「……そうだ、」
脳みそまで風邪菌に毒されたのだろうか。少し心配になった。アホな頭が言っていた事を思い出した。滲む視界。毛布を抜け出す。熱を下げる、せっかく買ってくれた、レモンスカッシュ。飲まないわけにはいかない、そんな理由じゃない、アイツの見舞いという気持ちを受け取りたくなった。
足をベッドから放り出した時に、爪先だけが異常に冷たくて、きゅん、となった。熱、あるんじゃないの、おれ。
「…はあぁ?アイツ、なにやって…!」
机の上に立ち尽くすレモンスカッシュを持ち上げたら、あろうことか、キャップが、開いていた。室温に置いてあったから、すっかり生ぬるい温度が伝わる。何より、キャップが、開いてる事が、不思議で仕方ない。
「炭酸の意味!」
一気に目が覚めた気がした。今までアイツの事を気持ち悪いように考えて、行動や言動に一喜一憂していた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
そうして肩の力が、ふっ、と抜けて、へらり、と。せっかく買って来てくれたんだ。貰った時は喉が痛いから炭酸なんて、とか思っていたが、こうして炭酸が無くなってしまうのは悲しい。計算してやった事なのか分からないが、アイツは馬鹿でアホで、紙一重の天才なのかもしれないと、ちょっぴり思った。
おそるおそる、ペットボトルに口づけをした。ぬるい液体を口に含む。甘ったるくて、レモン。飲み込めば、腑抜けたレモン水。爽やかさなんてこれっぽっちもないし、美味しくないし、ずっと飲んでたら胸焼けしてしまいそうだったけど、もう一口飲んだ。
「あーもう、意味わかんねぇー」
ずるずる、鼻をすする。また新しい症状。完璧に風邪を引いてしまったのだろうか。熱も出てきた、気がする。しかし爪先は冷たい。視界が湿ってきた。もう一度鼻をすする。風邪、悪化したんだ。
何もかもから隠れるように毛布を頭からかぶった。炭酸で風邪菌を殺す前に炭酸が死んじまったじゃないか。間抜けたレモン水。しばらく忘れられそうにない、俺の春休み。