面白い話



鉄板を上手く繋ぎ合わせただけの階段は錆びだらけで耳を引っ掻くような音を立てる。

空はコバルトブルーに染まり、月や星みたいなものは見えなくて、喧騒とした街の景色は深い靄がかかっているような静けさがある。

俺はその中で、こうして一段、一段、甲斐甲斐しくも、こんな階段を登るのが馬鹿らしく感じた。


「おかえり、」


無用心なドアノブをひねれば、薄暗い部屋の住人の擦れた女の声。名前は忘れたけど、この部屋だけは覚えている。スニーカーを足踏みしながら脱いでも、部屋の電気はつかないし足音もしない。

内側からドアの鍵をかけて部屋に上がる。狭い空間。溢れる程ある物。足で物を掻き分け床の板目を見つけて歩みを進めるのも疲れた。


「……どこ行ってたの?」


薄暗くてよく見えないが、パイプベットにマットレスが敷いているだけの上に、裸体なんだろう、奇妙な柄のタオルケットを無造作に掻き集めて胸元まで隠し、締まりのないだらしない顔で、俺に、そう、話し掛けてきたここの住人。

俺は咥えていたタバコが口元に迫って来ていたので、「灰皿」とだけ言う。女は両手で押さえていた胸元を片腕にして、台所を指差し「ガス台の上」と言った。

ふらり、台所に立てばシンクの中には使用済みの皿が洗われていないまま積み重ねてあり、周りのステンレス台にはカップヌードルの残骸。この豚骨味は、前に俺が食べたやつ。

灰皿は唇を型どったもので、縁を囲うようにしてタバコの吸殻がある。口紅がついたやつ、噛んでいる跡があるやつ、そうでないやつ。皿底でタバコの火を押しつぶしながら、フィルターから吸い上げた毒を肺に通して吐き出した。苦味を楽しむ。


「…さみしかった、」
「………」


横腹から白い腕が生えてきた、と思ったらヘソの前で交差して、ぎゅう、としがみついてきた。背中に何かが当たる。あたたかい。足の間から小さな膝が見える。


「……ん、」
「…ねえ、なんか面白い話して?」

「…じゃあ、ベット行くか」
「………えっち」


女の期待通りに抱いてやる。キスは多く長めに、胸には痛いくらいの刺激を、アソコは念入りに。舐めて、と言われたら、舐めてやる。やだ、と言われても、やる。もっと、と言われたら、しつこく。

びくん、びくん。何度か身体が波打てば、俺は身を退いて、指で輪を作り、ぐちゅぐちゅ、汚い音を立たせながら性器を上下に扱いて欲を吐き出す。ティッシュである程度汚れを落としてから、狭いベットの中央に横たわる女の隣に身を投げる。


「……カップラーメン、あるだろ?」


シン、と静まる部屋。車がここの下の道路を通り抜けた音が聞こえた。ベッドは軋む、というよりかは悲鳴を上げているようにも聞こえ、何度もヒヤヒヤしたが、なんとか2回、持ち堪えた。


「はぁ…はぁ…っ…、な、に…?」

女は辛そうに返事をする。


「だから、…カップラーメン」
「ああ……うん、……ある、ね」


まだ女は呼吸が落ち着いていないみたいで、胸を無防備に揺らせている。たぶん、頭も上手く働いていないんだろうけど、俺にはちっとも関係ないから、茶色く染まったパサパサな髪を指に絡ませる。


「あれって添加物の塊なんだ…」
「…へ、ぇ……」

「だから豚骨ラーメンに、本物の豚は、爪の先も入ってないんだ」
「……ああ、…ふふっ……へぇ、」


女はヘラヘラ笑いだす。肩をすくめて、身を縮こませて笑うから、絡ませていた髪を解いた。


「おもしろいね、」
「……そーか、」

「豚骨なのに、爪の先って……ふふ」
「………そこか」


笑いの沸点というか、観点が違う。面白い話をしたつもりではないのに、結果的にそうなっている。可笑しな話だが、これで満足しているのなら、良かった。


「ねぇ」
「……ん?」

「…どこ、行ってたの?」
「……ダチんとこ」


敢えて、何も言わない。「そっか…」と女は呟き、「友達は大事にしなきゃね」。そう言って、寝返り、俺の首に縋り寄ってきた。

きっと、この女は、分かっていないんだろう。それなら、それでいいと思う。知らぬが、仏。お前みたいなダチ、大事に離さないようしっかり手綱握っておくさ。

モゾモゾと体温を近づけて来たと思えば、ちゅ、ちゅ、と積極的に唇を重ね、女は満足すると俺の耳にあるピアスをコリコリといじり出す。


「な…んだ、よ…」
「ふふっ…ホント、かわいーんだから」


耳を触られて、いい気はしなくて、その手を煙たがるようにしたら、甘ったるい声で、何かを強請るみたいに俺の名前を呼んだ。

この女は俺の名前は知っていて、俺は知らない。俺はこの女の家を知っていて、女は知らない。その間には、もしかしたらとんでもない絶妙なバランスが働いているんじゃないか、と思って、やめた。

笑ってすくめた肩を抱き寄せて、みる。肉付きは良くないが、セックスが好きで、腰突きも上手くて、締まりはイマイチだけど、あんなとこにも入れたがるから、嫌いじゃない。だけど、それだけじゃない。


コバルトブルーに水が差さったような空色になった。月は見えなくても太陽は見える。脳みそが、微睡む。

暫く、ここの階段は登らないどこう。ぼやける意識の中で、最後にそう決めた。

これは愛でもないのに、恋でもないのに、そうでもないから、面白い話なのだ。





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