情緒
私の彼氏は、モテる。
勉強も私に分かりやすく教えてくれるほど出来るし、スポーツだってオールマイティーに出来る。分け隔てなく人に優しいし、親しみやすい私の彼氏さんは、おまけにカッコいい。むしろ彼がモテないわけがないわけで。
「あ…」
(また、だ…)
彼が誰かに、告白されてる。
一緒に帰ろうって約束していたから、掃除当番に当たっている私を彼が教室で待っていてくれていた。よりによって、私はゴミ捨てジャンケンに負けて彼の元に行くのが遅くなってしまった。それが、この有様。もう何度も見ている光景だが、どうにも慣れないし、不愉快だ。
教室には入れず、扉の前で立ち止まって、中の様子を眺めているだけだった。女の人の上靴を見る。上級生だ。顔は、ここからじゃ見えない。でも、後ろ姿だけでもふわふわしていて、可愛いって思える。
私は自分に自信がなかった。まず、どうしてあんな人と、何にもない私が付き合っているのかわからなかった。あの人に意味もわからず告白されたんだ。だから私も意味もわからず了承したんだ。
何にも可愛くない平凡な顔の私が、授業についていくのがやっとの私が、体育の時間でいつも足を引っ張っている私が、あきらかに彼と不釣り合いの私が、どうして告白されたのかわからなかった。分かろうとさえしなかった。分かりそうにもなかった事だった。
少ししてから女の人が教室から出ていった。その奥の扉の前にいた私に、その人は気づいていないようだった。呼吸を整えてから、私は教室に足を踏み入れる。
そこは、がらんどう。
彼は気まずそうだったが、私が入ってきた途端に顔色を変えた。彼は私に、おつかれ、と声をかけてくれた。私は、うん、と呟く。
「今日さ、カラオケ行かない?」
「……いかない」
「じゃあ、ウチくるか?」
「いかない!」
声を荒げてしまった。彼は驚いたように動作を制止した。私も自分に驚いた。黒目が滲む。もう限界だった。静寂が走る。得体の知れない感情で私は満たされているようだ。
「なに、どうしたの?」
「…………それは、私の台詞」
「え?」
「なんで、私と付き合ってるの」
強く目を閉じた。音がない。
「なんでって、…好きだから」
(嗚呼、ほら、意味不明)
「好きって理由だけで付き合ってるの?」
「…おかしい?」
(おかしい、充分におかしい)
思考は私を急かすように働く。いくつもの疑問が溢れる。どれもこれも追い付かない。私が何故、いま得体の知れない感情に流されているのかさえ分からない。どうして。すべてが疑問。
「おかしいよ……みんな、さっきの先輩だって、あなたが好きなの…付き合いたいって強く願って、勇気を振り絞って気持ち、伝えて…あなたは、それを断る……気持ちを踏みにじる…」
自分が何を思い、何を考え、何を伝えたいのか、自分自身でも検討がつかないくらい、言葉が出てくる。脈絡なんて存在しないかのように。
「…嫉妬してくれてるの?」
勢いよく首を振る。脳ミソが心臓のように脈打つ。それさえ気持ち悪くて吐き気がした。どうして、こんな想いをしなきゃいけないのか、分からない。好き同士だから、仕方なく付き合っているのか、どうなのか。気持ちが一緒だったから付き合わきゃいけないのか。私の安直でひねくれた思考は路線を外していく。
「俺はお前を見捨てないよ」
(そんな台詞は望んでいない)
呼吸がめんどくさい。倦怠感を抱く。どうやら私は正気ではないようだ。彼が距離を詰め寄る。私はどうしていいのか分からない。視線をわざと逸らした。名を呼ばれる。心臓が高まる。
「私はあなたの事がよくわかんない、…どうしてあの人たちの告白を断るのか、どうして私なんかと付き合っているのか…、もう……いやだ…」
眉間を寄せる。頭痛がする。もう、何もかもが面倒臭くて、どうでも良くなってしまって、すべてが馬鹿馬鹿しく感じた。どうしてこうなったのか分からないが、いつかはなるんじゃないかと思っていた。分かっていた。
「お前、いま自分が何言ってんのか分かってんの?」
腕が伸びてきて、頬を撫でられ、顔の向きをかえられた。やや水分を孕んだ今の私の黒目には淡く輪郭が浮かぶ。彼もきっと、険しい表情をしている。
「そんなの分かんないよ…ばか、」
(私には、余裕がない)
彼は私のすべてを分かり切ったようでいる。分からない。それさえも分からない。あくまで憶測に過ぎないのだが、彼の口振りが憎たらしいほど、そう思わせる。もう、何も考えたくないのに。
「泣きたいなら泣けばいい」
「めんどくさい女って思われる」
「もう既にそうじゃん、」
「……うるさい」
(それにしても、冷たい手、)
手を振り払う。額に手の甲を押さえつけ俯いた。気を落ち着かせるように深く呼吸を繰り返した。
「だって俺、お前のそうゆう所に惚れたんだもん、……その、変なところ」
脈絡もなく、唐突にそんな事を言われたら、一体私はどんな反応をすればいいのかわからなくて、ムズかゆくなった心臓辺りを睨んだ。
「どうする、帰るか?」
彼は見上げてボソリと時刻を読み上げた。私も時計を確認した。窓の外は思っていたほど暗くはなかった。
「カラオケの気分じゃない…」
「正直おれも」
「………家、いいの?」
「…俺の事好きなら、入れてやるよ」
視線が合う。首を傾げたら、眉を八の字にして笑われた。肩を抱かれ、腕の中におさまった。頭を撫でられ、急に照れくさくなって突き放した。
「ばか…場所考えて、」
「はいはい」
「言うのやめた、もう嫌」
「はいはい」
なだめるように言われた。気に食わない。もう、心臓が痛い。
「んで、俺の事、どーなの?」
下から覗きこまれるようにして、答えを急かした。意識に靄がかかっているようで胸の辺りが苦しい。手の平が汗をかいてきた。
「それは、家で教えてあげる」
彼は一瞬驚いたような、素っ頓狂な顔をした。それがたまらなく面白くて、自然と口角が上がった。「セックスのお誘いなら、もうちょっと捻って欲しいんだけど」と言い出した彼は、下品な笑みが似合っていた。それでもかっこ良く見えてしまう私は、相当なんだと思う。