光明は草葉の陰に浸る



「久しぶり、随分大きくなったね」
「おじさんは老けたね」

「もう三十路だからね」
「白髪あるじゃん、ウケる」


殺風景な病室に私は似合わなかった。規則破りのスカート丈に傷んだ栗色の頭、仮面のような化粧に身動きすれば何かしらの音がするような派手な格好。イケているかどうかは同世代の価値観だ。

来客用の椅子にカバンを置いてベッドの縁に浅く腰をかけた。慣れない消毒液の匂いが鼻腔をくすぐって目眩がしそうになった。


「ねぇ、おじさん」
「うん?」

「おじさんはもう、死ぬの?」
「ああそうだね」


末期だからね、と自重気味に笑ったおじさん。詳しくはしらないけど、おじさんは癌らしい。それでいて進行が早いらしい。三十路なのに。本人はそのことをどこか誇らしいげに話していた。


「ああそうだお小遣いをやろう」
「えっ、いいよバイトやってるし」

「俺が金持ってたって、な…ほら」
「あ…ありがと」


小さな棚の引き出しから一万円を取り出して私に押しつけた。バイトという名の援交よりも安い金額だったが、持っているとやけに緊張する。


「お洒落が仕事みたいな年頃だからな」
「ああー、そうかも」

「にしても、派手すぎないか?」
「…こうしていないといけないの」


大袈裟に肩をすくめて笑ってみせた。おじさんもつられて笑った。そうしておもむろに私の髪に触れた。傷んだ髪はがさついていて指を通したら必ず二回は引っ掛かってしまうほどだった。おじさんは可笑しそうに笑って毛先を弄んだ。


「あれ?嫌がらないのか」
「あーうん、別に」


女にとって髪は命だって知らないのか、なんて言われて苦笑いしか出来なかった。知らないおじさんが体液まみれの手で私の至るところを触るから別に抵抗なんてなかった。ただ、おじさんがどんな意味を込めてそう言ったのかはわからなかった。


「何されたって、平気よ」
「何言ってるんだ、華の女子高生が」


悲しくなるだろ、と今度は頬を撫でてくれた。目を細めて笑った先で視線がぶつかった。もっと自分を大事にしろと目で言われているような気がした。たまらなくなって目を瞑って表情筋だけで笑った。

華の、なんて今どき誰も口にはしない。死語なんじゃないかってぐらい耳にしない。それにしても、私には似合わない言葉にかわりなかった。


「あっ、これじゃあ、援交しているみたいだな…悪い悪い」


おじさんは首の後ろを無造作にかきはじめて笑った。反対の腕から繋がっている点滴がわずかに揺れる。痩せこけたその体は血管を浮かび上がらせていて人の脆さを象徴しているのではないかと思ったくらい。


「いいよ、私おじさん好きだし…」
「ははっ、昔っからそうだよな」


え?と聞き返したら「小さい頃もそう言って許してもらっていたんだよ」と照れ臭そうに答えた。そんなこともあったっけ、なんて思い出しつつ笑った。あの頃の私は、まさかこんな人間になるなんて微塵にも思っていなかったはず。いつからか、これが私の歩むべき道のりなんだと思いはじめたのは。

こんなはずじゃなかった、としか言い様のない私の十数年の人生。ここにいると、なんだか自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。横目でおじさんを見れば窓の外の奥のずうっと先を見つめていた。黄昏ている。おじさんは何を見ているのか不思議になったが、特に気にもしなかった。


「…じゃあ、もう帰るね」
「ああ、ご両親に宜しく言っておいて」

「あー…、はい」
「なんだその返事は」


両親が別居している事を知らないおじさんは苦く笑う。知る余地もないだろう。残酷なまでに笑うおじさん。こんな元気なのに、もうすぐで死んじゃうなんて可笑しいと本気で思った。

スクールカバンを肩から下げて窓ガラスで毛先を気にして、おじさんを見た。目が合うとどこか不思議そうに私を見て、また笑った。


「次来るときはすっぴんでおいで、そんな化粧似合ってないから」


どうしてか、その言葉が胸を打った。私の本心を見抜いているようなそんな一言だった。私は潤みだした両目を落ち着かせようと無意識に瞬きが多くなった。ツケマツゲがわずかに動く。いつもならポーチから手鏡を取り出して人目を憚らず直すのに、どうしてか、そんな気にはならなかった。


「じゃあ、次からそうするね」
「おう、気をつけて帰るんだよ」


そうして出ていった病室。私が扉を締め切るまで笑って手を振ってくれていたおじさんは、その三日後に息を引き取ったそうだ。






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