人形劇
まあ、落ちぶれ者のくだらない独り言だ、気にしないでほしいが良かったら聞いておくれ。
この世に神という存在がある。誰も姿形は知らないが声を訊いた者はいるらしい。だから存在がある、と言った。我々はその神をどれだけ知っているか。男か女さえもわかりはしないし、善人なのかもわからない。実は何も知らないのに勝手に想像して人の形にしてみたり、崇めてみたり、実に豊かな感性と想像力の現れなのだろうかね。おっと、別に神を馬鹿にしているわけでもなんでもないよ。こんな私でも何度手を合わせて神に頼んだことやら。まあ、なぁんにも神はしてくれなかったけどな。見捨てられたというべきか、最初から眼中にないと云うか、可笑しくて笑ってしまうの。この世界は神によって動かされていると、すべては神が決めたこと、運命だといっているようだね。私もね、昔はそうだったけどね、ある時そうではないと思ったのだ。私は戦争で全てを失ってね。何もかも。せめてあの子だけは失いたくなかった。どうして神はどうして息子に生きる勇気を、希望を与えなかったのだ。息子に限ったことじゃないさ、みんなに言える。すべては神の手の内だと云うならば、なぜ、そんなことをさせたのだ。地球というくだらなん箱庭に役者として人形として私達を詰め込み、幾万の糸で操るだけ操ったというのか。この世はそこらの三流よりもっと質が悪いぞ、神よ。
……ああもう何も云うまい。醜い戯れ言だ。訊いてくれてありがとうよ。きみに幸あれ。