いつも笑っている人には、悩む事なんてないんやろうなって、思っていた。

──だから、俺みたいな無愛想な人間とは不釣り合いで、関わらない方がいいと分かっていた。


「あの、大丈夫ですか……?」


俺は思わず、そう聞いてしまった。何でかは分からない。言ってから、その人が書く手を止めて顔を上げ目が合って、しまった、と思った。

まだ水分を孕んだ両目があって、なぜだか息を潜めてしまう。

生きてる以上、悩みは付き物なんだろうけど、やっぱり笑顔でいられる人には、悩みなんてあってもないようなもんなんだろうって、思わせられていた。

──じゃないと、いつもあんなキラキラな笑顔が出来ることの説明がつかないやろ。


「あ…、いえ……」


もう一度ツバを掴んで顔を隠す。
何度も仕事で顔を合わせているから、今さら顔を隠したって意味はないのだが、どうしてもそうするしかなかった。何やってんのや、俺。


「すんません…、だいじょーぶです……ごめんなさい、心配かけて」


目を伏せていると、震えた声でそう言われた。内心、自分の犯した失敗を悔やんで悔やんでそれどころではなかった。自分らしくない。他人に干渉するなんて、ほんま、苦手や、この人。

──だいたい、何が大丈夫や。鼻水たらたら垂らして、目真っ赤に腫らして、だいじょーぶですって、説得力あらへんがな。

自分で蒔いたことなのに収拾がつかなくなってしまっている。どうしたらええんやろ。もう考えるのも面倒やな。

──最悪や。だから好きやないねん。いつもニコニコしとる人が泣いているのは。


「えっと、あの、これ…、お願いします……」


小さく丸っこい丁寧な字で埋まった空欄。先にバインダーを受け取り、綺麗に装飾された花を手渡される。

いつも笑顔で渡されていたこの花束。今日のは、心成しか青色が多いからか、嬉しい気分にはならなかった。なんや、これ。今からこれが本当に人を笑顔に出来るのか、と疑ってしまった。


「はい、確かに……ありがとうございました、失礼します」


だけど俺はそこから逃げるようにして踵を返した。花に囲まれているのに、こんなに不愉快な気持ちになったのは初めてだった。

──話し掛けたらアカンやろ、黒田。

──あの人は失恋したのかもしれへんし、誰かが死んだのかもしれへんのに。

一刻も早く車の中に逃げたかった。配達する前に煙草の少しだけでも吸って、気を落ち着かせたい。

──ちょっと、待てや。

──なんでこんなに急いでるんや?

脳が落ち着こうとする。こんな急ぎ足でせかせか歩くんわ良くないって、心得てたはずなのに慌ててしまった。

──眉間にシワなんか寄せて、何してんのや、自分。

──逃げ出したいって、自分から吹っかけておいて何をしたいんだ。それはもう忘れよう。面倒くさい。

それから、閃いたように気付いた。

──アカン、また俺、笑っていないやん…

ドキリとした。笑顔が出来てないと散々言われ、鏡に向かってやらされた営業スマイルの練習。上司に煩く説教された思い出が頭を過る。

──運ぶだけが仕事ちゃうねん

──分かっとる。笑顔を忘れたらアカンのや。笑顔、笑顔。


「……あの、」


言葉尻が震えてしまった。情けない。花束を両手で抱えたまま、うじうじ湿っぽく女々しいその人と、また向き合った。

落ち込んでいるように見える、その人と目が合って、不思議そうに見つめられた。

──笑顔や、えがお、黒田、笑顔や


俯き気味だった顔をあげる。

──アカン

その時、目が合った。

水っぽい両目が、俺を捕えている。2人の間に陽炎が生まれたみたいだった。そこに笑顔なんてなかった。

──あれ、笑顔ってなんやったっけ。なんでこの人、笑ってへんのや。いつも笑っとるのに。

──やったら、いつも笑えへん、俺は、どうしたらええんや…

そう思ってしまって、もうダメだった。何をどうしたらいいのか、なんと言って笑えばいいのか分からない。いつも通り、仕事をすればええんや。女相手してるんやない。いま仕事しとるんや。そう言い聞かせて呼吸を繰り返す。

少しだけ帽子のツバを持ち上げ顔を見せる。いつも笑顔をもらっているんやから、元気のない今日くらいは、俺が笑わんでどうするんや。

──でも、笑うって大変やな

失恋したあとも、誰かが死んだあとも、上手く笑えないもん。それは俺でも分かる。分かるが、それでもこの人には笑顔が似合う。


「あの、迷惑かもしれへんど…、笑っとった方がええですよ……」


一瞬静まり返る店内。慣れなく居心地の悪い空間を作り出してしまった事に、体内温度が上昇し始める。心臓が速く動き出して、意識がふらつく。

その言葉は最早、誰に向けて言っているのか自分でもわからなくなっていた。俺が言えたような台詞ではないことは分かっている。

だからこそ恥ずかしくなった。なんで黙っとるんや。笑えよ、うざいって、暑苦しいって。その人は今にも零れ落ちそうなほど目をまん丸にして、静止してしまった。また、しまった、と思った。だから、今度こそ逃げるようにして花屋から出た。

笑うのも、暑苦しいんのも、渋滞もクラクションも苦手。せやけど、泣き顔は、もっと苦手やった。


それからは、普通に仕事をこなした。その人から花を指定の時間内に届けた。それからいくつもの配達物をこなして、仕事は事無く終わった。

火を点けた煙草の煙が空に登っていくにつれ、だんだんと薄くなっていく。

たいした仕事をこなしていないのに、酷く疲れていた。きっと、あの人の見慣れない泣き顔なんか見たからや。ああ、だから苦手なんや、ああゆう人は。

湿気た煙を吸い込んでは吐き出した。



←前 次→




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -