脳内ポリエステル
「安っぽい台詞って大嫌い」
「…いわゆる主に愛の、あれ?」
そうそれ、と彼女は楽しそうに言う。彼女はたいして乱れてもいない前髪を手でそっと直し始めた。そよ風で毛先が悪戯に揺れる。
「でも安っぽい、って何処が?」
「………聞き飽きたのよ」
「それほど愛されてたんじゃん」
「煩いわね、黙りなさい」
「贅沢な悩みだこと」
「…失礼ね」
彼女は天を仰いだ。つられて見上げると重苦しい雲が空を覆っていた。それは此れから先が暗雲低迷な俺らに酷く似合っていた。
「じゃあ、何て言われたいの」
「……言葉なんて必要ないわ」
「なにそれ、キスしたいの」
「ええそうよ、あなたは?」
「…俺とキスしたら、どうする?」
「……そうね…どうしたい?」
彼女の毛先は遊ばれていた。向けられた笑顔には僕が落ちた笑窪がある。彼女は本当に楽しそうだ。
「俺、言っちゃうかも…」
「ふふっ、そう思った」
「どうしたらいい?」
「いま思いついた選択肢」
彼女は目の前にスラリと細い指を一本立てた。冷たい風が二人の間を駆け抜ける。
「ひとつ、セックスする」
「果てる時に言うかも」
「ふたつ、いっそ口を縫う」
「針と糸は?」
彼女は上着のポケットを叩いた。用意周到と言うか最初からその気でいたような気がする。
「んじゃ、俺からの提案」
「何よ?」
「キスで窒息死」
「面白い事言うわね」
「だろ?」
「じゃあ、そうしましょうか」
いつ雨が降り出しても可笑しくない空の下。俺達は唇を交わし始めた。安っぽい愛ではないのは、確かだろう。