甘く砕いて咀嚼して
月が尖った真冬日、冷たい石畳を裸足で駆けた。足の裏から奪われる体温に身を震わせながらも懸命に足を進めていく。途中、石に躓きよろめいたが直ぐに立て直し走る。吐く息は白く、吸い込む空気は肺を凍らす。
「まって、まってください…っ」
段々と大きくなっていく背中に声をかける。背中は立ち止まり振り向いた。顔は見えないが誰だかは知っていた。潤んでいく瞳でぼやけて滲んでいく視界。足元がふらついた。転びはしないが膝から落ちる感覚が脳に響いた。
「ばかっ、見送りは禁じられている」
「はぁはぁ、罰は受けます…っ」
目の前で立ち止まると低い声が降ってきた。落ち着かない呼吸を宥めようと大きな息を吸った。胸の奧が酷く傷んだ。
「もう逢えないと想うと…足が勝手に」
「もう良い、もう良い…」
そう言うと体が引き寄せられた。両腕でしっかり抱かれ、頼りない腕を背中に回す。生きている証を耳で感じ笑みがこぼれる。見上げてみても闇で顔は見えない。
「最期の別れではないのであるぞ」
「いいえ、行かれてしまったら…もう」
腕に力をこめる。寒さが痛い。それでも構わず抱き締める。ここで放してしまったら、それこそ酷い罰を受けた事になる。鼻の奧が痛む、目頭が次第に熱くなってきた。
「大丈夫だ、きっと、また逢える」
「逢えないかも、しれないじゃないですか…」
胸に顔を埋める。もっときつく抱き止せ、このままひとつになりたいと願った。落ちる涙の切なさに、羽織に痣をつける。
「では、必ず逢いに来る」
太く力強い声が耳の中で飽和し、悲しみが僅かに薄まった。呆気なく離されて体は自由になり、額に押しあてられた唇がやけに乾燥していた。涙は拭われることを知らなかった。
小さくなっていく背中に月が刺さっていた。