青の羊水
頬に風が当たる。冷たく鋭い風だ。耳元では今も絶え間なく風が鳴いている。息苦しいからとネクタイを外したのに、正面から来る風がスーツと体をより密着させて余計に息苦しさを感じる。
眼下に広がる青は果てしなくて息苦しさなんて微塵にも感じそうにはなかった。眼を細目、青を見下すと自分が惨めで滑稽だと思った。
息を大きく吸い込むとほんのり磯と潮の香りがする。鉄骨が一本という不安定な足元がぐらついた。心臓が大きく跳ねた。一度大きく脈打つと落ち着いてはくれなかった。温かい血液が身体中を忙しなく巡っているのが伝わる。
ああ、今から死ぬのにな…
生きている心地がした。指先まで温かくなり、呼吸も浅くなってきた。この土壇場にきてなんて様なんだろうと嘆いた。
それでも死のうと思った。グッと手に力をこめる。長い爪が突き刺さっている。心臓が脈打つ度に血が出ている事を自覚した。
この血がいけないんだ…
母は碌でもない男と寝て俺を孕んだ。男はそれっきり姿を現さなかったそうだ。それから俺が生まれた。母は二歳の時に亡くなった。エイズで難病を患って苦しんで死んだ。母の血を半分受け継いでいる俺も勿論そうだ。
この世の全てに意味があるのなら、持って生まれたこの血に、この毒に、何の意味があるのだろうか。
ああ、もう、いいや…
固く眼を閉じ息を吸い込めばやっぱり磯と潮の香りがした。懐かしい気がした。もう一度見下ろすと果てしない青だ。
生命が海から始まったなら、俺はこの海に還ろう。
「ただいま」
息苦しさなんて、もうなかった。